第3話

 始業式。半日で終わるその日は、寄り道したうえに遠回りをして帰った。

 万が一にも、ではない。普通に生活をしていれば、普通に鉢合わせる。小月さんの生活圏から抜け出せるわけもない。見つかることは前提にしておいたほうがいいだろう。それでも、猶予が欲しかった。

 隣人、小月珠桜。

 学校でも自宅でも括れるひとまとまりの区分があるものか。能動的に関わるつもりはない。あちらも、こっちをビビっていたようであるし、適度な距離でいるのがいいはずだ。

 隣人。

 前向きな想像をするには、厄介な噂の対象にされかねない杞憂が高過ぎた。

 どうか、という気持ちでマンションへ戻る。その日は小月さんに会うこともなく、一息をつけた。

 一度家へ引っ込んでしまえば、そう出かける用事もない。俺の趣味はキッチンで済む。だから、その日は済んだのだ。

 だが、遠回りして引き延ばした時間は、棚上げにしか過ぎない。登校時間を大幅にズラせるほど、俺は早起きの化身ではないし、小月さんだっていいタイミングで家を出る。

 翌朝、部屋を出る瞬間に思いきり鉢合わせた。


「……おはよう」

「帯包くん」


 止まりそうになった息をどうにか吐いた挨拶は、呆然とした呟きに飲み込まれた。

 そりゃ、そうだろう。俺だって、昨日小月さんが教室に入ってきたときは、呆然としたのだから。


「……お隣さん」


 呆然としたまま、ぼそぼそと呟く。多分、口にしていることにも気がついていない。苦笑いするしかなかった。


「ごめんな」

「あ、ううん。そんなことはない、です」

「……敬語じゃなくていいよ」


 隣だ。すべてにおいて。

 適度な距離を保ちたいとは思っている。だが、恐れられるのもそれはそれで居心地が悪い。距離を保つのも過ごしやすさの問題で、小月さんとの付き合いを遠慮したいわけではなかった。


「うん。あ、えっと、ごめん。驚いて……だから、あの、お隣さん、なんだ……えっと、よろしく、お願いします?」


 他にどういいようもない。社交辞令とは、こういうときに使うものだろう。


「こちらこそ。……じゃあ」

「あ、え、うん?」


 小月さんはコミュニケーションに明るくない。昨日、和久田や他の子に声をかけられているときも、おどおどしていた。

 会ったばかりだから、というのもあるかもしれないが、俺だってそこから逸脱した存在ではない。そのうえ、ちょっとビビらせてしまっている。その距離感で、こんな突発事件に陥って、まともな反応が返ってくるとは思えない。

 このまま一緒に登校なんて、ハードルが高過ぎる。それは、小月さん側からもそうだろうし、俺側からもそうだ。こんなときに回る機転など、持ち合わせがない。

 さくっと去ることしかできずに、一層の愛想の悪さを印象付けてしまった気がする。しかし、今更取り返せるものもなかった。しかも、取り返すのであれば、一緒に登校が最低条件になりかねない。そんな蛮勇の持ち合わせもなかった。

 取り残される小月さんには悪いけれど、俺は振り返らずに学校へ一目散に進んだ。だからって、学校につけば隣にいるわけで、気まずさは霧散しなかったが。

 だが、変なアクションに及ぶような性格でなかったのは、不幸中の幸いだろう。お互いに。

 俺たちは、表面上は何もなかったかのように、隣人であることを流していた。……正式には、流すしかできなかったというのが正しいだろう。

 ひとまず、現状は保たれていた。

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