第2話
学校までは徒歩十五分ほど。俺の歩幅ならばいくらか短縮していそうだが、苦痛に思わないギリギリの距離だった。高校を選んだのに、そうした部分がなかったとは言えない。
送り迎えが必要だとか、定期代が高いだとか、一人暮らしが必要だとか。そんな負担を父さんにかけるわけにはいかない。だから、ちょうどいい距離を取った。成績的にも無理はなく、低過ぎるわけでもない。そういった意味でも、ちょうどいい通学路を歩く。
隣室の前を通るときには少し気になったものだが、それ以降は普段通りだった。クラス替えはないから、人付き合いの緊張感もない。一階分だけ上った三組の教室へ入って、出席番号順の席につく。
「おはよう」
こうして声をかけやすい位置であることにも、慣れている。
「おはよう、和久田」
「相変わらず、まったりしているんだね」
「朝から気合い入りまくってるのも怖いだろ」
「だからって、ぬぼっとされてるのも怖いっていうか」
「でかくて悪かったな」
「誰もそんなこと言ってないし、私だってこんな感じなんだけど?」
和久田は俺と六センチほどしか身長差がない。女の子にしては大きいほうだろう。少なくとも、うちのクラスでは長身に含まれ、男子から羨ましがられていた。
「和久田はすらっとしてて怖いってことにはならないだろ」
「マサくんだって、別にごついってわけじゃないでしょ」
「それでもでかいよ」
中肉、ではあるだろう。骨格が太いってこともない。ただ、どうしたってタッパを保つ分はあるので、でかく威圧感を与える。ぬぼっとしているとは、そういう意味を含んでいるはずだ。
「気にしてたんだっけ?」
「あんまり?」
「じゃあ、いいでしょ」
「和久田が先に言い始めたんだろ」
「だって、休み明けで久しぶりに見るとマサくんって、でかかったんだなぁって思うんだよね。あと、今日、転入生が来るらしいから、あんまりぼーっとしていると悪印象与えるよ」
図体のでかい人間が真顔でいると、威圧感は通常以上に感じるものらしい。俺にそんな気がなくても、平板に挨拶するとビビられることも多かった。大きくなるにつれて、性差も入ってくるのだろう。低身長の女の子には、よく距離を取られた。
悪気があるわけではないのは分かるので、俺もそこまで神経質にはなっていない。けれど、進んで悪印象をつけたくはないものだ。
それよりも気になる発言があった。
「転入生?」
「うん。そうらしいよ。さっき、先生に話をされたから」
「なんで和久田にそんな情報が……ああ、今年も委員長やるんだっけ?」
「もう決め打ってるって感じだよね」
「そりゃ、そうだろ。去年だって、和久田以外に立候補した人はいなかったし、去年見事に成し遂げたわけだから、和久田が適任だろ」
「褒められてるって思うことにするよ」
「褒めてるよ」
生真面目という評価をどう受け取るかは人次第だろう。だが、和久田が素晴らしい委員長であることは実績があることだ。断言した俺に、和久田はわずかにはにかむ。
「ありがとう。そんなわけで、委員長として転入生の案内とか色々任されたし、来るのは本当。マサくんも少しは愛想良くしたほうがいいよ」
「分かった分かった」
新しいクラスメイト。
個人的に仲良くするかは置いておいて、その教室に威圧的な生徒がいるってのは、向こうにとって災難だろう。あえてそうしたいとは思わないし、和久田の忠言を素直に受けた。
和久田はくすりと笑って、座っている俺の肩を叩いて席へと着く。和久田はベランダ側の後ろだ。見事に対極に位置していて、目線を投げれば目が合う。苦笑すると、和久田は面白そうに笑っていた。
生真面目な委員長で責任感も強いが、お高くとまっているわけでも、お堅いわけでもない。愛想が良くて付き合いがいいから、委員長として慕われている。転入生も安心できるのではないだろうか。担任が和久田に任せたのも納得というものだ。
そのときは、そうして他人事のように思っていた。それは、教師がやってきて転入生の話を切り出してもなお、知らぬことだった。
その転入生が教室の扉を開いて入ってくる。そのときまで、完全に切り離した世界のことだった。
けれども、入ってきた艶々とした黒髪。大人しそうな小柄で縮こまった身体。小顔で整った顔立ち。教室に降り注ぐ陽の光に柔らかく線を浮かび上がらせている姿。黒縁の眼鏡は、昨日はかけていなかったはずだ。
……転入生ということは、こちらに引っ越してきた子。妄想でも繋がらなかったことが不可解なほど、その二つは隣り合った位置にある。
挙げ句、隣人だ。そして、更にもうひとつ、看過できないものが追加される。
「
そう定型的な挨拶をした小月さんが担任に座るように言われた席は、隣だ。確かに、空いていた。
男女別の出席番号で列が交互に並んでいる。空くなんてことは休みでなければないし、ましてや去年隣だった女子は今四列目の一番前の席に座っていた。ぬぼっとなんてしていなければ、気がついたことだったろう。
転入生が来ると聞いていたがために、席移動があることを漫然と受け止めていた。無関係だと思っていたからこその無頓着だ。
小股の小月さんは、人目を気にするようにこちらへ近付いてくる。大人しそうな子にとって、こうした自己紹介は地獄だろう。可哀想に、とは言い過ぎだろうが、大変そうではあった。
その様子を、何とはなしに目で追う。……追っていた、というほうが正しい。
どこをどう見ても、昨日の少女だった。昨日、ガン見していたつもりはない。それでも、記憶に焼きついている整った愛らしい顔つきは、見間違うことはなかった。
そんなふうに見定めていれば、目つきに力も入る。大男が引っ込み思案の女の子を凝視して待ち構えていれば、そりゃ気が引けるだろう。目が合った小月さんは、きゅっと眉を下げた。
「よろしくお願いします」
小声の挨拶は、注視していなければ聞き逃していただろう。同時に、ここまで萎縮させることもなかったかもしれない。
「よろしくお願いします」
これ以上、無愛想な印象を与えたくはなかった。怖がらせたくもない。比較的、高めの声で答えたつもりだったけど、それで小月さんに効果があったのかは分からなかった。そして、言っておいてなんだが、よろしくするつもりはあまりない。
隣だ。無難に済ませたい。この席は、そのうちに席替えになるだろうけれど、隣室なんて少なく見積もっても高校在学中は続く。俺の家は引っ越しの予定がないし、小月さんだって一年で引っ越すなんてことはないはずだ。高校生の一人暮らしと考えれば、尚のことだろう。
その間、ずっと隣人。下手なことはできない。
現状、小月さんは俺が隣室とは考えてもいないだろう。知られたら、どうなるか。今の緊張感を与える関係はまずい。かといって、馴れ馴れしくなれば、変な噂を立てられかねない。
転入早々、そんな晒し者になりたくはないだろう。ただでさえ、転入生として注目を浴びるだろうに、余分な噂の負荷はいるまい。とにかく、平坦にやり過ごすことを心に決める。
俺が精力的だったならば、この状況を楽しむ余力があるのかもしれない。降って湧いたような出会いだ。楽しめる人間は楽しめるし、あわよくばを狙ったりするんだろう。
小月さんは可愛い子だ。
それでお近づきになりたいと抱かないことは幸いだろう。もし、そんな思惑があったなら、今よりもずっとややこしい事態を巻き起こしていたはずだ。
小月さんは静かに前方を見て座っている。姿勢はいいけれど、これは緊張かもしれない。じろじろ見ることはしないけれど、視界には入る。
参った。失礼ながら、面倒なことだ。
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