僭王についての証言、注記(削除)

田辺すみ

(この遺稿は本篇より削除)

 千年の都麗しのエルカンド、その天蓋は藍、その裾野は碧、人は薔薇で黄金を計る。


 黒煙にけぶった視界で私は見た。ギレン軍が王宮になだれ込む。

「ヤーシュ、戻るな!」

 王宮には運び出しきれなかった宝具がまだ残っている。匠たちが丹精を込めてて作り上げた工芸品、絵画、服飾、調度品。私は逃亡する人々の波を潜って、山越えの街道を外れ走り出した。私はいい、奴隷上がりで身寄りも無い、ただの二級石工だ。だがあの美しいものたちを壊されることだけは耐えられない。


 裏門から駆け込むと、既に無惨な状況だった。蛮族どもは城下で逃げ遅れた人々を嬲り殺し家屋を破壊し略奪したが、何百年の栄華を誇った宮城内でも、精緻を尽くした装具は切り刻まれ、鍍金は剥がされ、時を経て親しまれた書物は焼かれ、または荒縄を掛けられていた。衛兵たちは最後まで抵抗しているが、ギレン軍の物量には敵わない。斧鉞ふえつで頭を割られ、槍で突き刺され、投擲とうてきで崩れた建物の下敷きになる。中庭の噴水は赤い流れと化し、人間の肉が焼ける臭いで吐き気を覚えながら、私は金木犀の薮を抜けて工房へ走った。固く閉ざされていたはずの門は、今まさに叩き破られるところであった。兵たちの前に立つ、一層血に塗れた鎧を纏う男の前へ馳せる。

「お願いです、売り払うのは構いません、ですが破壊することだけはお許し下さい」

 突然よろめき出た半死人に、男は一瞬驚いたようだった。その黄金の髪と髭は、劫火に煽られてなお私を嘆息させた。まるで地獄から遣わされた獣のようだ。ならん、と男は憤怒にか悦楽にか僅かに震えた声で応えた。

「打ち壊せ」


 新王の名をルディアと言う。もう何度その名を石板に刻んだか分からない。

「仰々しいこった……今度は立像か」

 男は私に専属職人となることを命じた。四方万里に名を輝かせていたペルナ帝国を壊滅させ、新しい国がつくられた権威付けのため、ギレン国の由来や新王の出自、戦果と建設事業・文化振興に対する貢献などをレリーフや記念碑にして全土に打ち立てる。青年王はせせら笑った。

「監視がわりということかな」

「私などではなく、高名な職人をお雇いになられたらどうですか。私はかつての王宮でも修繕ばかりしていた二級石工です」

「だから“ペルナ風“をよく分かっているということだろう? 俺のことも“ペルナ風“で頼む」

 大帝国ペルナ人はギレンなど文化を持たない辺境国だと思っているからな、せいぜいご鞭撻伺うでも見せてやればいい。別にペルナの宗教や生活習慣まで変えろというわけではない、そんな面倒なことはせん、ただ己れが支配層から転落したことだけ理解すればいいのだ、帝国行政が中央も地方も腐敗したのは保身と自助能力の無さだ、だから黙って税を払え賦役をしろ。甲冑を着けながら王はぶつくさと言う。ギレンの故地はここよりもずっと西方だ。諸国が少ない資源を巡って争い、裏切りや暗殺に塗れ、暴漢が跋扈する。更に飢饉が重なり、ギレンは遠征を試みるしかなくなった。王家に向けられる不満の目を外へと逸らすためである。侵攻した先々での略奪行為で生き延び、遂に天使の如く仰ぎみていたペルナ帝国の首都へと迫った。私は雨の降り出した窓の外を見た。金目のものを全て毟り取られた旧王宮は、目下改築作業中で哀れなものである。

「だが確かにペルナのアラベスク模様は面白い」

 傍らで同じ窓を覗かれて辟易する。ペルナの皇帝は私にとっても、宮廷工房のどんな職人にとっても雲の上の存在だった。多くの大臣、将軍、後宮の女性たち、小姓たちにかしずかれ、その高雅な一挙手一投足が臣民を導く。私にあてがわれた部屋から見える、かつてのパビリオンのファサードには、アラベスクに彩られたペルナの標語が嵌め込まれている。『永遠の帝国』。火薬で煤汚れ、亀裂が入り、そろそろ苔がむしそうだ。あれだけの火に晒されても、花々は帰りくる。ひび割れたタイルの隙間から、踏み荒らされた水路の脇から、鈴蘭や野菊が雨に濡れて仄かに揺れている。

「……幾何学模様の反復は、世界の要素が織りなす無限の広がりを表しているのです」

「“永遠“ね。何がいいのやら」

 不変であれば、変化無くして、進歩無し。つまらん。王は鼻を鳴らすと、愛用の斧鉞を担いで出ていってしまった。また地方で叛乱が起きているらしい。ペルナ帝国は多くの属国を抱えており、首都が陥ちたことで分離の動きがかまびすしい。更に有象無象の地方勢力と、中央から亡命してきた王族や旧軍閥が結びついて各地にペルナ再建の狼煙を上げているのだから、平常を保っていられる方がおかしい。遠征に伴ってきたギレン人からは英雄のように信奉されているが、旧帝国内の大部分の人間にとってはさても凶暴な獣の王である。中央の高級官僚は全て首をすげかえられ、御前会議制を解体して王に裁量を集中し、新しい税制を導入する。ギレン王の愛妾が産んだ四番目の息子で後ろ盾の無い捨て駒、帝王学などとは無縁だが、ペルナの国庫がすっからかんなのくらいは分かる、と王は帰順した旧帝国文人たちに吐き捨てた。むくろを飾り立てたところで、生きている人間には何の役にも立ちやしない。


 しかし争いの火種は容赦なく王を駆り立てる。俺には力しかなくそれだけを誇りに生きているのだ、強くなければ誰もついてこない、破壊しなければ新しいものをつくれない。医者を追い出したとかで、手当のためになぜか私が呼ばれた。王の体躯は傷だらけだ。私が、あなた様を暗殺するようには疑わないのですか、と問うと、王は珍しく笑った。機会なら幾らでもあっただろう、お前はいつもたがねを持っている。そもそもお前は。いかなるものもな。


 ペルナ皇帝の血統を名乗る者が、旧軍閥と属国ハイツークの支援を受けてエルカンドに向かってくる。新王に不満を持つ豪農・商人たちを糾合し、首都でも呼応して住民が暴徒化する。長く交易路の要所として諸派が共に暮らしてきた街で、今はギレン人が私刑に遭っている。銀の山脈が見晴るかすトラニ高原が、ルディア王最後の戦場だったと聞く。旧帝国各地から集められた“皇帝軍“の実態はならずものの集まりだが、規模と気勢だけは溶岩の如く熱烈であった。遠征時代から従っている幕僚たちも皆地に伏し、遂に後退の指示を出した王は、殿しんがりで百騎隊に取り囲まれたのだという。憎悪の敵兵に身体を切り刻まれ、首は荷車で轢き潰された。私は出陣前に王から暇を出されたのだが、エルカンドから離れてどこに行くあてもない。やがて皇帝軍が凱旋し、街は歓待に染まった。


 そうして王よ、ご覧下さい。今度はペルナの人々が、あなたの名をレリーフから削り、あなたの像を打ち壊す。あなたを僭王と呼び、ペルナの歴史から消し去ってしまいたいらしい。私は、私のつくったものを破壊されることなど、ちっとも恐ろしいとは思いませんでした。それどころか群衆と一緒になって、石に記録されたあなたを槌で砕いてこなごなにしてやった。今ならばあなたの言ったことが分かる。形あるものは、決して永遠になどなれない。全てが移り変わる、人の意図するところで、また測り知れないところで。膨大な破壊の丘に立って望めば、あなたはただ私のまなこにおぼろげに、遠くに光る星のようにとこしえに、残っているばかり。

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僭王についての証言、注記(削除) 田辺すみ @stanabe

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