緩やかな死を望むなら

珊瑚水瀬

緩やかな死を望むなら

 動けない君が好きだった。

 君は刻々と時を重ねるごとに僕のそばから離れない様に毒を溜飲し続けてついにその身体は、肉体は僕のものへと化した。

 たまに瞬きをするまつ毛の音がパサパサと静かなこの部屋に響き渡る。

 それだけが君の命の鼓動の証であるかの様に。


「ゆり、こっちにおいで」


 僕は彼女の頭を僕の方へ向けさせるとそのまま小さく口付けをした。

 そして、柔らかな皮膚のフニフニとしたむき出しの内臓をそのまま噛み付いて血が滴り落ちるのを確認してそれを一思いにすすった。

 彼女はそんな僕をぼーっと眺めて、瞳がゆらゆらと僕の血のついた口を追った。

 そんな彼女が可愛くて仕方がなくて、そのまま力一杯に彼女の首を抱きしめた。

 彼女は軽く息をして、けほっとささやかな咳をした。


「愛してるよ」


 僕は彼女の頬を撫で回しながら、愛しさを込めて瞳を少し細める。

 彼女は嬉しいのか、口を微かに左右に引いてこくりと頷いた。

 不意に彼女の口の中に指を入れたくなって、僕の指を思いっきり、彼女の口腔へ突っ込んだ。

 彼女は先ほど以上の苦痛が襲ったのか、眉を大きく顰めて、瞼に強く力を入れる。

 僕はその様子を見てさらに奥に指を押しやる。

 するとあまりの苦しさに彼女はかはっと言ったかと思うと、ううっとうめき声を漏らした。

 それに満足した僕は、そのまま指を引っこ抜く。彼女は喉に詰まった違和感を取るように何度も咳を繰り返した。

 彼女の目からうるうるとした液体が流れ落ちて、そのまま皮膚の上を濡らしていく。

 彼女は小さく手を振るわせて、天井の方へと向けて弱々しく手を差し出す。


「あ……つし」


 僕の名前を呼んだような呼んでいない様なか細く今にも消えてしまいそうな吐息を交えた空気の破裂音を響かせては、唇を震わせた。


「うん?」


 僕は彼女の言葉を一音一音、聞き逃さぬ様にと耳を彼女の元へと近づけて、その震える手を優しく握った。


ーー冷たい。


 まるで死人の手を握っている様なほどの氷の塊を僕の暖かい体温で溶かす様にゆっくりと這わせて僕の色に染めた。


「ごめんね」


 彼女はさらに瞼の上から大粒の雫を一粒、また一粒とぽつりぽつりと落とした。


「ううん、君は悪くないよ」


 そう。本当に君は悪くない。だって僕がそう仕向けたのだから。

 ゆっくりと毒牙が染み込む様に君の皮膚にそれを食い込ませて、そのまま溶かし続けた美しくも残酷な毒を。

 君はそんな僕にありがとうと感謝の言葉すら口にして、声を出すのもしんどいだろうに小さくて音ともわからないものを必死で紡ぎ出している。

 声すら奪った僕はきっと悪魔と評されるのかもしれない。

 人魚のように泡沫の夢を彼女に与えて、そのまま地獄へと招待したのだから。そんなことをつゆも知らない彼女はただ、堕ちていってもいや、海の底まで辿り着いても何も変わらないどころか君の素敵なところが余計に輝いて海底の宝の山に化した。


 これが可愛いというものでなければなんと表現をするべきなのだろうか。

 ベッドの傍らにある時計の針の音だけがかちこちと残りの時間を指し示す。


「じゃあ、僕はそろそろ行ってくるよ」


 もう一度彼女に接吻を繰り返すと、軽く彼女の頭を撫でた。彼女はそのまま気持ちよさそうに目を閉じた。

これで安心だ。

 僕は動かなくなった彼女の悲しみも辛さも全てこの場所へ置いておける様に小さなネックレスを首にかけ、扉の鍵を外からかけた。

もうどこにもいかない様に。

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緩やかな死を望むなら 珊瑚水瀬 @sheme

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