しばらく未来にいたエルフ

渡貫とゐち

未来で私は親になっているから……


「どう? 釣れてる?」


「あん?」


 小柄なエルフだった。青く澄んだ長い髪を持つ十代の少女……しかし彼女は長命のエルフなので、見た目と生きた年齢が合っているわけではない。

 十代に見えても実際は大人だ。少なくとも、声をかけた青年(こちらも見た目と年齢が一致しているわけではないが……)よりは年上だ。

 男エルフの名はシオン。後に世界を支配する魔王となる男だ。


「なんだ、シオンか……。わたしに話しかけてくる物好きがまだいたんだと思えば、甘えん坊の魔王様か……」


「魔王? なんの話?」

「こっちの話。なんでもないよ、気にしないで……それと、話しかけないで」


「なんでよ……雑談するくらいならいいじゃないか。それともエーデル姉さんに嫌われるようなことでもしたかな?」


 肩で揃えた銀髪を揺らしたシオンが、彼女の隣に腰を下ろす。

 目の前は広大な海である……、大自然の中で、エーデルは釣りをしていた。

 どうやらまだ一匹も釣れていないようだが……。


「…………」


「どうしてみんなから距離を取っているんだ?

 エルフの輪に入らない理由は――……もし悩みがあるなら聞くけど」


「シオンも『報告』、してないでしょ?」


 なんのことかと思うまでもなく、嫌なことを聞かれた、とシオンが顔をしかめた。


「……固有魔法のことだよね」

「他になにがある」


 ――エルフ種……その個人が持つ、その者だけが使える魔法を固有魔法と呼ぶ。

 出た結果が同じ固有魔法はいくつかあるが、過程が違うためにまったく同じ固有魔法は存在しないとされている。ただし、血の繋がりから、時代が開けばまったく同じ固有魔法も生まれるかもしれないが、現段階で確かめる術はない。

 固有魔法は、持つ本人にしか使えない魔法である――詳細を他人に明かさなければ、だが。


 エルフたちはそれぞれの固有魔法を伝え、一冊の魔法書を作っている(記載する魔法の数が増えれば、自然と1巻、2巻と増えていくだろうが……)

 ――その魔法書さえ読めば、誰でも他人の固有魔法を扱えてしまう。


 魔法とは。

 理論さえ分かれば、エルフであれば誰だろうと使えるのだ。よほど魔力音痴でなければ――。


 たとえ魔力音痴だったとしても、自分の固有魔法は使えるだろうけど。


 エルフひとりに魔法ひとつ……その常識は覆された。魔法書が普及すれば、エルフひとりが使える魔法は無限に広がっていく。魔力がある限り、魔法が使い放題だ。


 そんな未来を実現させるために、エルフたちは協力しており――

 魔法書の『ページ』となる固有魔法を各自、開示しているのだが……。


 もちろん、強制ではないものの、半ば『教えなさい』と言われているようなものだった。

 教えなければ、表立っては言われないが、水面下ではエルフ種の中で『要注意人物』として名前が記録されてしまう……。

 ――みなの輪に混ざれない、協調性がなく問題を起こしそうなエルフだと認識されるのは、食物連鎖の頂点に立つエルフ種が世界を支配している今の環境下では、なかなか我を通し、口を閉ざすことは難しいことだ。


 分かっていても――、

 エーデルは、エルフの輪に最初から入る気がなく、マイペースに過ごしている。食物連鎖の頂点に立ったがゆえに襲いかかってくる退屈を、彼女は退屈とは思ってなさそうだ。

 思っているなら……、探求という欲望で、魔法の研究をしているはずだろうから。


 ……彼女はひたすら、釣りに没頭している……

 本当に釣りだけを生きる糧にしているわけではないだろうけど……。


「……うん、報告してないね。言えば――きっと私は危険人物だと認識されるだろうから」

「だろうね」


「だろうね? ……エーデル姉さんは私の固有魔法を知っているのか? ……でも、教えていないはずだけど……」

「寝言で言ってたぞ?」

「え、本当に?」


 エーデルが初めて、視線を海からシオンへ向けた。彼女は小首を傾げた仕草だが、口角は上がり、眉もへの字になって、人を小ばかにしたようなほくそ笑んだ顔だった。


「そんなわけないだろ、ばーか」


「…………なら、エーデル姉さんの固有魔法で……かな?」


 楽しそうに人を小ばかにしていたエーデルの表情が固まった。一瞬で笑顔はなくなり、むすっと……、頬を膨らませたりはしなかったが、聞こえないはずの舌打ちが被害妄想で聞こえてしまうほど、彼女の不機嫌が雰囲気で分かった。


「つまんねーの」

「……それで、エーデル姉さんには報告しておこうと思ってね……」

「なにを」

「私の固有魔法を」


「余計なことをしなくていい。誰にも教えていないならこのまま秘匿するべきだ……、なんでわたしに教えるんだ。誰かの魔法でわたしの頭の中を覗かれたら、あんたの固有魔法がばれるんだぞ? 責任なんか取れないんだから……わたしに荷物を背負わせるな」


「それ、私が同じように魔法で覗かれてもばれるけど……」


 シオンは苦笑した。つっけんどんな態度だが、シオンのことを心配して身を引いてくれているのだ……。態度は悪いし対応も冷たいけど、それでも面倒見が良いお姉ちゃん――

 彼女から秘密がばれたところで、シオンは責めたりしない。


「信頼の証だと思って聞いてもらいたいんだ」

「いらない。帰れ。わたしは忙しいんだからな」

「釣りをしているだけじゃないか」

「そう見えてるだけだ。わたしは…………、――いいから、帰れ」


 しっしっ、と手で軽く払われても、シオンは立ち去ることはしなかった。


 地面に垂れて渦を巻いている青く綺麗な髪を手のひらに乗せる。


「それにしてもエーデル姉さん、髪が伸びてきたね……切ってあげようか?」

「必要ない。美容師に――」

「美容師?」


「…………いや、なんでもない(……やっばいな、あっちに染まり過ぎてるかもしれない……)」


「エーデル姉さん」

「なんだ、まだいたのか……帰れと言っただろう」


「これは独り言だから……聞こえてしまったらごめん」

「この距離で言う独り言はもう聞かせるつもりだろ……あーもう、分かったっ、聞くよ。聞くというか――正直もう知ってる」


 間違いない、とまで、エーデルは断言している。


 彼女は釣り竿を地面に固定し、意識を完全にシオンへ向けた。

 ……今なら、糸が引いていても気づかないだろう。


「シオン……あんたに『悪意を向けた』生物は弱体化される……魔力の制限、つまり魔法も制限されることになるし、腕力、脚力も十全には出せなくなる……。あんたを相手にした時、敵対する生物は大きなハンデを背負うことになる――だろう?」


 シオンは頷かない。誰かに見られていたら――聞かれていたら、を想定しての配慮だったが、仮にばれたところで問題はないとも言える。

 分かったところで、対処できるかと言われたら……難しいだろう。

 今の時代ではどうにもできない固有魔法だ。


 こんな魔法、広めるわけにはいかない……。


 ――世界を支配できる、無敵になれる魔法とも言えるのだから。


 シオンは、頷かない代わりに目を閉じた。それを肯定の仕草とした。


「この固有魔法だけは、『差』がなかったからな……あんたの固有魔法であることは確定だ」

「じゃあ私も、姉さんの固有魔法を当ててもいいかな?」

「勝手にしろ。それと、隠す必要はないから配慮はいらない」

「じゃあ遠慮なく――姉さんの魔法は……『未来を見る』、でしょ?」


 ――未来を観測している。

 シオンの固有魔法をあらかじめ知っていたのは、未来を見たことで今知らないはずの情報が入ってきていたからだ。『差がなかった』、という一言から、エーデルはひとつではなく複数の未来を見ているとも言えた。


 多少の違いがある複数の未来で、シオンの固有魔法は固定されていた……――であれば、いくら未来が分岐しようとも、固有魔法が変わることはないと判断できたのだ。


「姉さんが、最近ぼうっとしていることが多いのは……そして、エルフたちの輪から外れていったのは……未来を見たから……。それも、きっと嫌な未来だった……そうじゃないの?」


 未来を観測する魔法。使い手次第では今を捻じ曲げるために悪用できるし、見えたのが悪い未来であれば、回避しようと行動することができる。だが、エルフの未来が退屈で一辺倒だった場合、『今』に熱が入らないのは仕方ないことではないか。


 ……では、その未来を回避する方法があった場合。……唯一とも言えるその方法が、大事な人が犠牲になるような方法だったとすれば……、その一手を打つことはできない。


 少なくとも、エーデルにはできなかった。


 犠牲を出すくらいならば今の退屈を選ぶ……

 最初から足掻くこともしないのが彼女らしさなのだから。


「嫌な未来なら回避すればいい」

「方法はない」

「本当に?」


 目線を合わせたシオンの疑問に、エーデルがさっと、視線を逸らした。


「むぎぃ」


 シオンが、明後日の方向へ逃げたエーデルの両頬を片手で掴んだ。

 力づくで、ぐいっと戻す……無理やり、目線を合わせる。


「本当に?」

「…………ないよ、ないんだよ!! 使える手はない!!」


「そうか……。

 なにか姉さんにとって、嫌だから使えない手があるみたいだね」


 シオンがそっと、エーデルの首に噛みついた。

 ゆっくりと、歯が沈み込んでいく……

 ――まるで血を吸うように……。もちろん吸わないが、似たようなものだった。


「なにを……!?」


「本人自体が固有魔法の魔法陣だ。だから体内に魔力を流せば、自然と魔法が発動する……姉さんが発動時に操作するだろうけど、方向を変えることはできても対象をずらすことは難しいんじゃないかな? つまり……、姉さんの魔法に巻き込まれるから、一緒に未来を見れる――」


「む、無茶苦茶なこと、してぇ……ッッ」


「教えない姉さんが悪い」


「ふうぅぅううっっ!?」


 エーデルの体内に流れ込んでくる他人シオンの魔力。体内を循環する血の中に混ざる冷たいものを感じて……、でも、嫌ではなかった。

 初めての経験だが、クセになる快感だった。


 痙攣する体を支えてくれるシオンに全体重を預け、気づけばエーデルは、魔法の操作を忘れていた。いつも調整して見え過ぎないように抑えている未来視の魔法が、十全の効果でふたりを未来へ連れていく。――意識だけが、未来へ。


 見えた未来は多岐にわたる。少しの差であっても違う未来だ。その全てが意識に叩き込まれているような感覚だった。


 良い未来、悪い未来……、シオンにとってどうかは分からないが、エーデルからすればはっきりと区別できる。


 エルフ種がこのまま繁栄するものの、長命ゆえに今と変わらぬ世界が何千年と続く未来……、平和だが、退屈だ。


 一方で、エルフ種だけでなくヒューマン種が台頭してきた未来もある。ただその未来では、シオンが人柱となっているため、エルフ種としては進展しているが、シオンが不幸になる……。


 彼だけが犠牲になるような未来は避けるべきだ。


 そしてこの未来では、エルフ種の数もうんと減っている……、魔王となったシオンが手を下した場合もあるが、魔王を討つために生まれた勇者の影響もある。

 退屈とは程遠い数多くのイベントがエルフ種を飽きさせない――ただ、危険と救われない結末が待っているが……。



「でも」


「え?」


 多くの未来を見たシオンが呟いた。


 彼は、どちらの世界も希望通りの幸せな世界ではないけれど、と前置きをした上で、


「……生まれた子供たちは、幸せそうだ……」


「…………」


 退屈なだけの未来と、波乱万丈――しかしエルフ種だけでなく他の種も自然も社会も発展した未来……、どちらが生まれてくる子供にとって良い環境かと言えば、後者だ。

 生まれてくる時代さえ見極めれば、子供にとっては恵まれた環境となる……。


 退屈なだけの未来に生まれた子供たちの、救いようがない末路を見てしまっているから、尚更……シオンは――シオンの動機は、決まってしまったのだ。


「シオン」

「……エーデル姉さん」


「考え直して」

「私は魔王になるよ」

 言葉は、重なった。


 もう、未来を見ても……ほとんどの未来が魔王シオンによる支配の世界だった。


 動機が決まってしまったから……彼をやる気にさせてしまったから……もう変えられない。

 エーデルお姉さんの言葉でも、彼はもう止まらない。


「ダメ……わたしは許さないからなっ!?」


「うん……ごめん姉さん。これで縁を切ってもいい……だから……やるよ」



 ――未来で、生まれてくる子供たちのために。


 まだ妻さえいない、親にすらなっていないエルフの青年は覚悟を決めた。


 ――親が子供のために命を懸けられなくてどうする!?


「……なにを言っても、無駄、か……じゃあいい、好きにしなさいよ」

「姉さん……」


「あんたの子供がわたしに泣きついてきても助けてあげないんだからっ」


 子供っぽく、べー、と舌を出して。


 彼女のことだから、これで本当に、姿を隠して縁を切るかもしれない……、でも、それでもいいと思えた。未来の子供たちの顔を見てしまえば、踵を返すわけにはいかないのだから。

 エーデル姉さんよりも優先するべき相手を見つけただけだ。


 ――足下に集まってくる、たくさんの子供たち。


 どうやらシオンは、多くの子供を作るらしい……長命のエルフだから可能なことだ。

 とは言え、子供たちが『きょうだい』と言えるほど似ているわけではないので、妻が違うとすれば、節操がないとも言えたが……、相手がヒューマン種なら仕方ない。


 エルフと比べて短命なヒューマン種との子供を作り続ければ、自然とそうなるだろう。


 ……みんなの笑顔を見た。

 この笑顔を、曇らせたくはない。


 少なくとも、退屈なだけの未来だけは、避けるべきだ。



 だから、動くなら手早く、だ。


 ……シオンにしかできないこと。


 エルフ種を救えるのは、シオンしかいない――。




「私がエルフ種の王となる。花園ガーデンは、私が統治する」





 …了

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