第21話 許可
三年ほどが経過した。
ルルナの二つ目の
ニャンロアイ公国のフウチャイたちは、かなり落ち着いてきた。もう反乱は滅多に起きないし、
国民たちが作った米は、政府が安値で買い取り、他のニンゲンの国に輸出している。そうして得た富が、ユマインス王国を潤している。
ソウンは、もう少し国民にお金を払ってくれないかと、何度もニンゲンたちに要請していたが、これがなかなか通らない。
この頃、ニンゲンのフウチャイに対する態度はどんどん悪くなっている。
ソウンの仙力のお陰で、ぎりぎりニャンロアイ公国政府は傀儡政権に成り下がらずに済んではいるが、やはりニンゲンは隙あらばこの国を手のひらの上で転がそうとしてくる。頑なに主導権をこちらに渡さない。
困ったものである。
ルルナは特に不自由なく暮らしているが、大勢の角性たちは、適度に貧しい暮らしを強いられていた。イーヴの狙い通り、角性たちには反乱を起こすだけの余力はなく、かといって決死の覚悟で蜂起するほど追い詰められてもいない。
そして、仮にどこかで大規模な反乱があっても、もう神器の充填は済んでいるから、相手が誰であろうと一瞬で壊滅させられる。
「今はもう、反乱は全く起きてないよ」
ある日ルルナは、広くて涼しい執務室で作業をしているソウンに進言した。
「今なら、フィアドゥ離宮の人員をこっちに戻しても問題ないんじゃない?」
うーん、とソウンはいつもの困り顔になる。
「これまでの反乱を手引きしていたのは、北方の森に潜むレピカ元国王でしたからね……」
「でも、今は」
「ここに来て急に反乱がピタリと止んだのは、レピカ元国王にやる何らかの策略だと考えるのが妥当でしょう」
「そう、なの? 皆に余裕がない、とかではないの?」
「僕たちも、かつては余裕がありませんでしたよ。それでも戦えました」
それは、その通りだが。
「大方、僕たちを平和呆けさせて油断を誘う方針でしょうね。バオティホア王朝とて、長き安寧の時代を経て、軍事力が衰えていました。だからこそ僕らは勝てたんですよ。逆に言えば、争いが無い時こそ、すぐに戦える人材を……特にヒシアさんを、フィアドゥに配備しておく必要がある……」
ルルナはむくれた。
「ソウンの意地悪」
「意地悪、ですか?」
「俺は、ヒシアを呼び戻したいって言ってるのに」
「……ああ、なるほど」
ルルナを見上げるソウンの反応は、どうも鈍いものだった。
「盲点でした。すみません。そこまで考えが至らず」
「別に良いけど……何で?」
聡いソウンがルルナの目的を理解していなかったとは、解せない話だ。
「うーん、何で、でしょうね」
ソウンは少しの間、細かな文様の施された緋色の天井を見上げて考え込んだ。
「僕が、誰かに特別に好かれるとか、誰かを特別に好きになるとか……そういうことへの理解が薄いからでしょうか」
「え? 何言ってるの?」
本気で意味が分からなかった。とてもではないが、ソウンの言葉とは思えない。
「ソウンは皆に好かれているのに」
「はい」
ソウンはあっさりと肯定した。
「僕はタシャト村の皆にも、プラチュワン城の皆にも、信頼してもらっています。昔は家族にも愛されていました。僕の家族は僕をタシャト村に送り出す際、泣いて別れを惜しんでくれましたね」
「だったら」
「でもそれは僕の仙力の影響である可能性が否めません。皆の好意は、本物ではないかもしれないんです」
「ん……?」
ルルナは一瞬、固まってしまった。それは、つまり……ルルナがソウンを頼っているこの気持ちすら、仙力に強いられたものなのかもしれない……ということか?
「僕は仙力を制御できていません。僕に近づいた人は強制的に僕と仲良しになってしまいます。だから、誰も僕のことを真の意味で好きにはなれない。皆は僕の仙力に誘導されているだけで、本来の僕自身を好きなわけではないのです。村の皆も、家族も、君も」
「……それは……」
「誰も本当の僕を見てくれないのだと、一時期はよく悩んでいました。今は違いますけどね。この仙力も僕の個性の一部ですから、皆に好いてもらえるのも含めて、本当の僕なのだと思っています。だから僕も、皆を好きです。君も、村の人も、角性の人も、バオティホア家も、ニンゲンも、誰も彼も皆」
「……そうなんだ」
村人にとどまらず、こちらに悪意を向けることがある角性やニンゲンまで好きとは、これまた極端な博愛主義者だ。
「ええ。だから僕はこれまで……そうですね、愛情というものについて、深く考えてこなかったように思います。誰のことも好きだというのは、誰のことも好きではないのと、同義ですからね」
ソウンは少し哀しげに微笑んだ。
「でも君は違う。君は家族にも村人にも疎まれた。だからこそ唯一助けてくれたヒシアさんのことを、心から大切に思っているのですね」
「……うん」
「君はよく働いて、よく僕を助けてくれています。ですからお礼として、君の要望を聞くことにしましょう。頃合いを見て、イーヴさんと交渉してみます。ヒシアさんをこちらに連れ戻せるように」
「……ありがとう」
しかし、イーヴはなかなか首を縦には振らなかった。
ニンゲンは、特権を与えている角無したちのことも、自分たちの思い通りにしたいようだった。少しでも意に沿わない方向に話が向くと、全面的に拒否されてしまう。
角無しのフウチャイは、ニンゲンに与えられた仕事を何より優先すべきで、休暇だの何だのの私用で仕事に穴を空けて欲しくない、というのがニンゲンの意向らしい。公国の人からはできるかぎり自由を奪わなくては、規律が乱れると思い込んでいる。
ソウンの仙力は、相手の敵意を削いで譲歩を誘うのには有効だが、真っ向から禁止の命令を出されると少し効きづらくなるようだ。
かなり粘ってもらったところ、ヒシアは十年に一度、五日間の連休をもらえることになった。
「すみません、力及ばず」
「ううん。俺のためにありがとう」
ソウンはしゅんとしていたが、ルルナは感謝していた。たとえ機会が少なくとも、全く会えないよりはずっとずっとましなのは間違いない。
その時、開け放たれた窓の外から、ドンッという衝撃音が聞こえてきた。
「ん?」
「おや?」
「久しいな! ルルナ! ソウン!」
白い髪に赤い瞳の角性のフウチャイが、外から一っ跳びで執務室に侵入してきた。
後からワアワアと
「クオム!」
「クオムさん……あ、あの、皆さん、大丈夫です。はい。いえ、まあ、曲者は曲者なんですけど、害のない類の曲者です。危険はありません。皆さんは配置に戻っていただいて結構ですよ。ええ。問題ないです」
「問題はあるよ。普通は大公の部屋にこんな風に入ってこないもの」
「細かいことを気にするな」
クオムはひょいっと窓枠から降りた。
「それより何だ、せっかく三ヶ月ぶりに戻ってみたというのに、二人ともシケた面をしているじゃないか。どうしたどうした」
「三年ぶりの間違いですね」
力無く訂正したソウンは、状況をかいつまんで説明した。ふーむ、とクオムは腕を組んだ。
「あー……いつだったかな。そう、前回の雨季だった。私はフィアドゥを旅していてな。ヒシアが居ると聞き及んでいたから、離宮にも邪魔してきたぞ」
「ええっ」
ソウンは若干身を引いた。
「クオムさん、まさか、さっきみたいに不法侵入していませんよね!?」
「わっはっは。心配無用だ。こう見えて私は旅慣れている。危険な場所では破天荒な真似は控えているよ。フィアドゥ離宮など、翼性の楽園ではないか。私が乱入したら大騒ぎになることくらい、わきまえている」
「今さっき大騒ぎになりかけてたけど……」
「ご自分が破天荒だという自覚はあるんですね。意外です」
ルルナとソウンがそれぞれの感想を述べる。
「しかし、そういうことなら、私がちょくちょくプラチュワンとフィアドゥを行き来して、お前さんの様子をヒシアに伝えてやろうじゃないか」
「本当!?」
「本当だとも」
「やったあ!」
ルルナはぱちんと手を叩いた。
「ありがとう! 俺、ヒシアと手紙のやり取りはしてるんだけど、それだけじゃ分からないことも多いから、助かるよ! それで、今回はヒシアに会えたの?」
「おう。呼んだら来たぞ。というか、私の身分を証明してもらうには、ヒシアを呼ぶしか無かったからな。それまで拘束されてしまって大変だった」
「ヒシアはどんな様子だった!?」
ルルナは食い気味に詰め寄った。
「そう急くな。元気そうだったぞ。幾分、大人しくなったように見えたが」
「大人しく……? 何でだろう」
「お前さんに会えなくて寂しがっているのではないか? ヒシアとはしばらく話したが、お前さんのことを気にかけていた」
「本当に……?」
「本当だとも。何だ、ヒシアがお前さんのことを忘れているとでも思っていたのか。手紙のやり取りまでしているというのに」
「そういうわけじゃないけど、でも、忙しいでしょ?」
「これは断言するが、昔の方が遥かに忙しかったぞ」
「……それもそっか」
ルルナはしばらく、クオムの土産話に聞き入った。
こうして、不定期にふらりと城に寄ってくるクオムの話を聞いたり、十年ごとに帰ってくるヒシアと共に過ごしたりしながら、時が過ぎた。
ヒシアが帰るのは決まって雨季だった。ルルナはヒシアを自分の部屋に招いて、一緒に食事をしたり、お菓子を食べたりした。眠る時は流石に客室に行ってもらわねばならなかったが──とにかく、この時間だけが、ルルナの最上の幸せであり、生きる希望であった。
「これは美味しいわね。小さな筒状の焼き菓子……? さくさくしていて、お茶にも合うわ」
「良いよね! それ、去年からプラチュワンで流行ってるんだ。ヒシアに気に入ってもらえて良かった。お土産に持って帰る?」
「そうね。お願いできる?」
「もちろんだよ! たくさん用意してもらうね」
「ありがとう。ルルナは優しいわね」
城では、ヒシアはずっと楽しそうだ。
そして別れ際には必ずこう言う。
「大丈夫? つらい思いをしていない?」
ルルナはにこにこ笑っていつもこう答える。
「うん、大丈夫。心配いらないよ」
本当は、ヒシアと毎日ずっと一緒でいられないのが非常に不満だが、それは言っても詮無いことだから、我慢する。ルルナが十年間、寂しさと寒さを我慢して涙を飲み込めばいいだけの話だ。あまり贅沢を求めるのは良くない。
何より、せっかくの連日休暇なのに、ヒシアが毎回必ずルルナに会いに来てくれるというのが、ルルナには嬉しかった。別の場所へ行ったり、フィアドゥで羽を休めたりして、自由に過ごしたって構わないのに、ヒシアはわざわざはるばるプラチュワンまで来てくれる。それがどんなに幸せなことか。
少しでもヒシアに会えるこの喜びを思えば、ちょっとやそっとの仕事上の面倒ごとやニンゲンの理不尽にも、何とか耐えていける。
でも──。
「やっぱりさびしい……」
ルルナは一人、頭まで布団をかぶって呟いた。
「ヒシア、大丈夫かなあ……。ヒシアが大丈夫でも、俺は大丈夫じゃないや……」
目を瞑り、暗闇に向かって愚痴をこぼす。
「俺、まだ全然、ヒシアに恩を返せていない」
いつかもっと強くなって、仙力がうまく使えるようになったら、もうちょっとヒシアに休みをくれないかと、交渉する余地ができるかも。いや、必ずそうしてやる。ルルナでも頑張ればやれるのだということを見せてやる。
鍛錬と修行を欠かさずやれば、きっとルルナの夢は叶う。
──と思っていたが、そうはならなかった。
実際には、事態は特に進展しないまま、八十六年の歳月が経過した。
ニンゲンたちの態度は目も当てられないほど悪化しているし、ルルナの仙力も少しずつしか理解が進まないし、ヒシアと会える頻度もずっと同じまま。
実はこの期間中に、フィアドゥに行こうとして、ルルナは三回、クオムを頼ってプラチュワン京からの脱走を図ったが、ことごとくニンゲンたちに邪魔された。クオムは気軽に目の前のニンゲンたちを皆殺しにしようとするので、ルルナはそれを止めなければいけない始末であった。
因みに、かつて共に働いたニンゲンたちは、今や一人残らず死に絶え、その顔ぶれはすっかり変わっていた。オラスもネリーもロイクもイーヴも死んだ。ユマインス国王も二度の代替わりを経て、今はウラリ・エヴラールという名の女王が、頂点に君臨している。
一方、フウチャイたちの顔ぶれはほとんどが以前のままだ。ソウンも、チェトも、ルルナも。
ヒシアも、ずっとフィアドゥ離宮に配備されたまま。
ルルナはそれでもヒシアを気にかけ続けた。ヒシアから送られてきた手紙の山で、三つもの戸棚がいっぱいになってしまった。
しかしこの年、ユマインス連邦王国を大きく揺るがす事件が起きることになる。
最初は遠方の小さな火種に過ぎなかったものが、あっという間に大きな火焔となり、その火の粉がニャンロアイ公国にも飛び火してきた。
世界は、大きく変貌を遂げようとしている。
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