第20話 異動
乾季が巡ってきた頃、プラチュワン城に常駐している軍人のうち幾人かを、北のフィアドゥ離宮に異動させる話が持ち上がってきた。
これは捕虜などからの聞き取り調査の結果、各地での小規模な反乱が、概ねレピカ・バオティホアの手引きによる物だと判明したからであった。レピカの居場所は未だ特定できてはいないが、どうも北部の森の中を転々としているらしいということが分かってきていた。
レピカはあっさりと王座を退いたものの、また奪い返す機会をあからさまに窺っているのだ。それ見たことか、バオティホアの一族を滅ぼさなかったからこうなる──という意見も出たが、これに関しては、メイラス家のような、バオティホア家と関わりの深い元貴族を刺激するのは良くない、という結論に落ち着いていた。
ともかく、北の大きな町は軍事的な要衝になる。そして、フィアドゥへ向かう軍人の中には、ヒシアも含まれていた。
「俺もフィアドゥに行きたい」
ヒシアからの報告を聞くや否や、ルルナはそう言った。
「俺、ソウンに許可取ってくる。俺もフィアドゥ町に行かせてもらえるように頼んでみるよ」
「やめなさい。危ないから」
ヒシアは思いのほかきっぱりとした口調で、ルルナを突っぱねた。
「え」
「あなたは私と一緒に来ちゃ駄目よ、ルルナ」
ルルナは茫然自失して立ち尽くした。
「ど、どうして、そんなこと言うの」
「あなたが危険な場所に行く必要なんてこれっぽっちも無いのよ。そんなことで役に立とうなんて思わなくて良いの。そもそも、今のままで充分、あなたは人の役に立てているじゃない」
「……でも」
「大丈夫。あなたがここで安心して生きていけるように、私頑張るから。あなたを置いて行ってしまうことは心苦しいけれど……ここでならあなたは、私が居なくてもうまくやっていけるわ。ちゃんと食べて、ちゃんと仕事をして、皆と助け合って生きるのよ」
「……ヒシア」
もしかして、と悲しい思いが胸を覆う。
百年、二百年と一人で生きてきたヒシアは、ルルナが隣にいなくたって、あまり寂しくないのかもしれない。
ルルナを一人にするのが心苦しいだけで、ヒシア自身はルルナと一緒でなくても平気なのかもしれない。
ルルナはしょげ返った。
「そうだね。ごめん。身勝手なこと言っちゃった。ただ、俺、ヒシアが心配で」
「……ルルナは優しいわね。私なら平気だから、心配しないで」
「うん……」
もう、わがままを言わないと、約束をした。だからルルナは、ヒシアを困らせてはいけない。
ルルナは笑みを作って、ヒシアを見た。
「気をつけてね。俺、手紙を送るよ。たまにはこっちに来てくれると嬉しいな。……待ってるから」
「ええ、そうするわ。お互い頑張りましょうね」
「うん」
そうしてヒシアは行ってしまった。ルルナはその朱色の翼が見えなくなるまで、ずっと立って見送っていた。
ルルナが、もっと強ければ。
そうしたら共に行けたかもしれないのに。
ずっと、誰かの役に立ちたかった。
人に迷惑をかけるだけだなんて嫌だと、ずっと思ってきた。
プラチュワンに来てからは、自分の仕事を与えられて、それなりに信頼も得て、役に立てるようになってきた。迷惑をかけてばかりではなくなってきた。
それなのにルルナは、その環境を放り出してまで、戦いに行きたいと思っている。
だって今のルルナは、他の誰かではなく、ヒシアの役に立ちたいのだ。ヒシアの隣にいたいし、ヒシアを守れるようになりたいのだ。
いくら偉くなっても、大勢の角無しの役に立てていても、ヒシアが死んでしまったら何の意味もない。
その夜は、風が涼しかった。ルルナは全ての戸を閉め切って、布団にもぐりこんだ。
「さむい……」
半分、夢の中をたゆたいながら、ルルナはそうこぼしていた。
「さむいよ、ヒシア……」
立派な建物で、着心地の良い寝巻きを着て、柔らかい布団に横たわっているのに、これ以上ないくらい贅沢な生活をしているのに、どうしようもなく寒い。
雨風を凌げない洞窟での夜だって、ヒシアの翼は暖かかった。
一人で食べきれないほどの豪勢な料理を出してもらっても、そこまで嬉しくない。
品数が少なくても、ヒシアと一緒に作って一緒に食べた料理の方が美味しかった。
ヒシアがいないと、ルルナは寂しくて涙が滲む。
こんなのでは駄目だ。強くならなくては。せめて、ヒシアが安心できるよう、一人でもしっかりと立てるようにならなくては。
それにここでだって、ヒシアのためにできることはある。
そうしながら修行を積めば良い。
重さを操るのには、かなり慣れてきた。今は二つ目の仙力の獲得を急ぎたい。
──いや、恐らくもう、獲得はしている。確信には至っていないが、心当たりがある。だから、早くこれが何なのかを理解して、制御できるようにならねば。
皆が納得できるくらい強くなろう。練習あるのみ。
朝は早起きをして、プラチュワン京で走り込みをして体力をつける。仕事中に眠くならないよう、程々に。
昼休みは、仙力の効果の検証。仕事終わりの夕方には、色んな文献を当たって研究もする。
他にもちょくちょく、色んな人と話して、仲を深めて、ちょっと実験に付き合ってもらう。
そういうわけで、今日もルルナは走り回っていた。
「ヴァン、俺の仙力の練習を手伝って」
「お断りだね! 何でいっつも俺に付きまとうんだ! 他所でやれ!」
「いつもじゃないよ。いつもは他の人に手伝ってもらってるもん。今日はたまたまヴァンを見かけたから声をかけただけ」
「俺は嫌だ!」
「そう、残念……とっても残念……。あの、ヴァン、とりあえず、逃げるのやめて。俺、走るの疲れた」
「お、おう」
ヴァンは立ち止まった。二人して肩で息をして、しばし黙りこくる。
「ありがとう、ヴァン」
「あ? 何が?」
「何って、走るのやめてくれたから」
「お……俺だって疲れるんだよ、お前の相手すんの。というかお前、体力作りしてるんじゃないのか? この程度で疲れてどうすんだよ」
「うっ……そうだね……。じゃあ、今日はこの辺でやめておくよ。またよろしくね」
「お断りだって言ってるだろ!」
こんな調子で、目まぐるしく日々が過ぎる。
忙しくしていないと、進み続けていないと、寂しさが募る。それを誤魔化すように、ルルナは仕事と修行に打ち込んだ。
「ルルナちゃん、本当に頑張り屋さんねえ」
チェトが仕事の合間に雑談を交えてくる。
「ソウンちゃんが心配してたよ? 暇さえあれば何かやってるから、ちゃんと休めてるのかなって」
「問題ないよ。毎日たくさん食べてるから、元気モリモリだよ。たくさん寝てるし」
「そう? なら良いけど」
「健康でいなくちゃ、軍人になれないし」
「本当に戦いたいのねえ。ここでなら安全に生活できるのに……。というか私、ルルナちゃんは本当に軍人に不向きだと思うのよねえ。もうね、全然向いてないから、是非ともやめとくべきよ。私もルルナちゃんが書記を辞めちゃったら寂しいなあ」
「書記なら字を書くだけだから、代わりは居るよ」
「それ、言うほど簡単じゃないのよ? 軍人の方がよっぽど、代わりが居るんだけどなあ」
「俺より強い人がいっぱいいるのは、そうだけど。ヒシアより強い人は、あんまりいないでしょ。クオムもどっか行っちゃったし」
「そうねえ。でもヒシアちゃんを守るのはルルナちゃんじゃなくても良いでしょ? それをやるなら絶対、もっと向いてる人の方が良いと思うのよ」
話しながらもチェトは、山のような書類の束に恐ろしい勢いで目を通していく。ぱっと見るだけで全て記憶に残るので、一枚を読み切るのにほとんど時間がかからないのだ。
「……俺も仙力を使いこなせたら、向いてるようになるかもしれないし。早くしなくちゃ」
「焦っちゃ駄目よ。先は長いのだから。この前ねえ、城に保管されていた過去の戸籍をざっと調べたけれど、ちゃんと鱗性の人の仙力が二つ書いてあったのを見つけたの。その人も、発現がうんと遅かったみたい。だからねえ、ルルナちゃんも気長に待てば、いつかきっとできるようになると思うのよねえ」
いつかでは遅いのだ。その前にヒシアを失うかもしれないと思うと、どうしても焦ってしまう。
だが、慌てても仕方ないのは事実だった。
「……うん。地道にやるよ」
ルルナはやや固い声で返事をした。
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