第19話 鎮圧
開けた平たい地形の場所で、対峙する両軍。
敵軍の後ろには川がある。背後に水……敵も退がれなくなる決死の構えだが、こちらも後ろから炎で追い立てることができなくなる。
対してこちらの最後には森。劣勢になったら逃げ込める位置取りではあるものの、戦象は森の中でも構わず突進できる上に、地元民が知り尽くした森の中で奇襲を仕掛けてくる危険性がある。安易に逃げたら痛い目を見る。
敵の大将は、フェマ・メイラス。ふわふわとした濃紫色の短髪に黒い角、とヒシアは聞いていたが、どう見ても当人は戦象に乗らず、最前列ど真ん中に仁王立ちして腕を組んでいる。
フェマは一つ頷くと、こちらを指差して腕を伸ばした。いよいよ開戦か、と身構えたヒシアの耳に、情けない泣き言が風に乗って聞こえてきた、
「あたしには無理ですってばー!」
どうやらフェマの隣にいる
「うううわああああああー!」
お下げ髪はフェマの体をがっしり掴むと──ヒシア目掛けて、フェマをぶん投げた。
「あら……」
何のつもりか知らないが、この程度、高速移動をすれば容易に避けられる。ヒシアはひょいっと右に跳んだ。同時に、オラスが自軍に向けて突撃の合図を出した。ヒシアはそのまま前進しようとして──左肩に衝撃を受けた。
「えっ」
フェマは予想より速くこちらまで到達しており──しかも、その姿は大きく変貌していた。
黒い毛並みの猛々しいの獣──熊に。
しかも角の生えた特別大きな熊。
変身の
熊はそのまますっ飛んでいき、ヒシアの背後の兵を蹴散らしている。止めに入ろうとしたヒシアだが、左腕を中心に体がガチガチに痺れていて、動きが取れない。感覚からしてこれもフェマの仙力。触れたものの動きを制限するのか、もしくは毒か何かを分泌するのか。
「ジェウ! お願いっ!」
フェマが叫んだ。ヒシアの目の端に、お下げ髪のフウチャイが突進してくるのが見えた。──速い。ヒシアほどの速さではないが、こちらは動けないので対応できない。
「ひゃーっ! こっ、この、オタンコナスーッ!」
渾身の一発を頭に食らった。重くて硬い拳だ。
ヒシアは衝撃で後ろに吹っ飛び、地面に尻餅をついた。
このジェウとかいうフウチャイ、どうやら身体能力全般が優れている。ヒシアよりは動きが遅く、クオムよりは力も弱いが、満遍なくそれなりに優秀なのだ。身のこなしも見事なものである。
「わあーん」
叫びながら二発目の拳を叩き込もうとしたジェウの動きが、ピタリと止まる。
「何やってやがんだ、クソボケが!」
髪を一つにまとめて三つ編みにしたトゥイが駆けつけてくれた。念力でジェウを押さえているようだ。
「は、は、離してー!」
「こいつは俺が請け負う! てめえはその熊を早く何とかしやがれ! 下手したら象より凶暴だぞ!」
ヒシアは暴れ熊に右手のひらを向けようとした。だが、どんなに力を込めても、ちっとも体が動かせない。殴られた頭もくらくらする。
ああもう、こういう時にクオムが居たら治してもらうのに。それにあの化け物みたいな熊と取っ組み合いできるのなんて、クオムくらいだろうに。
こうしている間にも味方の兵が熊の爪の餌食になっている。ヒシアとて、前には熊、後ろには象という、悪夢のような状況だ。地べたに座っている場合ではない。
「う……」
「キミだけは倒さなくっちゃ。ヒシア・トゥルガ」
熊が暴れながら、そう言ってこちらにのしのしと近づいてくる。
「角性はね、キミ一人のせいで、何百人も殺されちゃってるの。だからキミにも、ここで死んでもらっちゃうぞっ」
フェマは紫色の巨大な肉球を振りかぶった。黒く鋭く光る爪が目前に迫る。ヒシアは死を覚悟しながらも、指一本動かせないでいた。
──確かに、ヒシアが敵軍を壊滅させたのは事実だ。事実だが、角無しは角性の連中に何百年も虐げられてきた。それを棚に上げてもらっては困る。
この戦いは角無したちの復讐だ。その主力を、ヒシアが担わないといけないのに。一度でも負けたら、角無したちの地位は崩壊しかねないのに。今再び立場がひっくり返ったら、ルルナが一体どんな扱いを受けるようになるか、分かったものではないのに。
なのに、こんな所で──。
「ヒシアさん!」
誰かがヒシアの襟を掴んでぐいっと後ろに引っ張った。
フェマの巨大な前脚がスカッと空を切った。
「皆、ヒシアさんを守ろう!」
名も知らぬ兵士が叫ぶ。
「この人を失うわけにはいかない! ヒシアさんが居れば僕らは勝てるんだ!」
わーっと空からヒシアの周りにたくさんの翼性が集まってくる。
「あ……」
危ない、と言いたいのに声にならない。このままでは皆が熊の餌食になってしまう。
「全く! 何であたしが、ヒシアなんかを助けなきゃならないんだよ」
文句を垂れながら降りてきたのはニュアだ。すぐに、その指先から二筋の光が放たれる。それはフェマの目を直撃した。
「眩しっ!? ちょっと何これ〜? うにゃ〜! 前が見えないよ〜っ」
フェマは前足で目を抑えてじたばた暴れ始めた。ふっ、とヒシアの体の硬直が解けた。ヒシアは慎重に立ち上がると、味方の兵たちを見回した。
「皆、ありがとう。もう大丈夫よ。私が片付ける!」
ヒシアはもがいているフェマ目掛けて、火炎放射を浴びせた。
「きゃあっ」
熊らしからぬ悲鳴が上がる。
「フェマ様!」
ジェウがあっという間に駆けつけてきた。トゥイの念力が切れた隙をついて逃げ出したのだろう。
「こらっ、駄目! ジェウまで焼かれちゃうでしょっ」
「一旦距離を取りましょう! 行きますよ!」
ジェウが熊の大きな手にしがみついて脱出を図る。
「距離なんか取ったって意味ないけれど……」
ヒシアは一目散に自陣営へ戻っていくフェマとジェウにあやまたず炎を浴びせる。
「きゃーっ」
「フェマ様!」
ジェウはフェマの巨体に守られて無事だったようだ。ジェウは即座に、玉でも転がすように回転をかけてフェマを地面に投げつけた。
自分に引火した場合、無闇に暴れ回るより、床や地面で転がる方が消火に繋がる。フェマを燃やす炎も少し落ち着いてきた。
追撃が必要かと思ったヒシアは手を伸ばしたが、背後から水の塊が飛んできて、フェマとジェウを水浸しにしてしまった。
「うっ……」
「た、助かったあ!」
これではヒシアが不利だ。燃やせないこともないが、非効率的である。
「……まあ、良いわ」
大将を焼くのが難しいなら、他の連中を根こそぎ焼いて壊滅させるまでだ。
これまでヒシアがフェマに気を取られていた間に、オラスとネリーが神器で角性たちをかなり壊滅に近いところまで持っていってくれていたようだ。
その後ヒシアの加勢により、反乱軍は急速に衰え、散り散りになって逃げ出してしまった。こうしてヒシアたちはまたも勝利した。
ヒシアたちはプラチュワン城に戻り、戦果を報告した。
因みに、フェマ・メイラスの生死は定かでない。あの後、姿を消してしまった。森の中に隠れたか──その中で野垂れ死んだか、生き延びているか。
ただ一つ言えるのは、フェマの反乱のせいで、ニンゲンがプラチュワン城を一瞬で壊滅させたような兵器を用いることはしばらくないのだと、角性たちに知れ渡ってしまったことだ。
これは逆に、各地の反乱を煽る結果になってしまったかもしれない。
その後もちょこちょこと各地で蜂起が出るようになってきた。
忙しい中、たまたま城内でルルナと顔を合わせたヒシアは、近頃の様子などの話に花を咲かせていた。ちょうどその時、間の悪いことに、伝令の人がヒシアを見つけた。また出陣の命令が下ったらしい。
「……分かった、すぐ行くわ」
「えっ、折角会えたのに」
ルルナは名残惜しそうにヒシアを見下ろした。
「ごめんなさいね、でも」
言いかけて、ヒシアはやめた。ルルナがヒシアの
「お、置いてかないで……」
ルルナは小さな声で言った。
「一人にしないで」
ヒシアの胸に切なさが溢れかえった。泣きそうになるのをこらえて、唇をきゅっと引き結ぶ。
昨今は忙しくてルルナを蔑ろにしていた。ルルナを守るために頑張っているはずなのに、ルルナに寂しい思いをさせてしまった。これでは本末転倒だ。
大きくなって立派に働いているように見えても、ルルナはまだ、たった五十やそこらの若者なのだ。加えて、鱗性は精神面の成長も遅い可能性だってある。本当なら、こんな風に放置してはいけなかった。
しかし、戦いに負けるわけにもいかない……。
「いなくならないでよ、ヒシア……」
「う……」
どうしよう。ルルナの嘆願には抗えない。その絞り出したような細い声音が、潤んだ青竹色の大きな瞳が、ヒシアの心に深く突き刺さって抜けない。
どうすれば良い? 何が正解だった? 分からない。分からないが……、今を逃したら取り返しのつかないほどルルナとの距離が開いてしまう気がした。
「……今は雨季だし」
ヒシアはルルナから目を逸らし、伝令の方を見た。
「私はあまり活躍できないと思うの。だから一日だけ、休暇を申請するわ。私抜きでも戦えるかどうか、確認してきてもらえる?」
「は、はいっ」
結果、ヒシアは初めて、出動を免除されることになった。
最近の反乱軍は豪雨の時間帯を狙って蜂起するようになってきており、ヒシアの仙力はさほど有効ではなくなってきていたのは事実だ。
その報告を聞いたルルナは、目をまん丸にしてヒシアを見つめた。
「本当? 今日は一緒に居てくれるの?」
「ええ。今日は休日。久々に一緒に過ごせるわね」
「やったあ!」
ルルナは心底喜ばしそうに笑った。
「えへへ、嬉しいな。ここに来てから初めてヒシアが、俺のお願い聞いてくれ、た……」
何故だか急にルルナの言葉が尻すぼみになり、表情が曇った。ヒシアはちょっと慌てた。
「どうしたの、ルルナ? どこか悪いの?」
「……違う、けど……」
ルルナは不安そうに俯いている。
「なあに?」
「俺、これからはもう、わがまま言わないから……今日だけは、ずっと一緒にいて欲しい……と思う。俺は仕事あるけど、休み時間だけでも……」
「もちろんよ。今日は一緒に過ごしましょう。ご飯もルルナの部屋に持ってきてもらいましょうね」
ルルナはまだ何か自信なさげな表情をしていたが、それでも微笑んだ。
「ありがとう、ヒシア」
「どういたしまして。私も嬉しいわ」
こうしてヒシアはどこかへ行くこともなく、城内でルルナと共に休日を過ごした。
戦い続きで張り詰めていたヒシアの心が、ゆったりとほどけていく。ルルナの笑顔を見ていると、他のことなどどうでもよくなる。
だが、こうして過ごせる日は、そう多くは訪れなかった。
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