第18話 練習
「うーん?」
ルルナは椅子に座って机と向き合い、手を結んで開いて、腕を曲げて伸ばして、目を開いて瞑って、色々と
あとちょっとで、自分以外の物の重さも調整できるような感覚はあるのだが、具体的にどうすれば成功するのかが掴めない。
早くこれを使いこなしたい。そうしたら書記の仕事を誰かに任せてヒシアを助けに行きたい。今回は間に合わなかったけれど、きっといつか──。
ルルナがどうにか仙力を外に放出できないか苦心していると、コンコン、と扉を叩くユマインス式の挨拶が聞こえてきた。
「はい。何?」
「おはようございます。朝餉をお持ちしました」
「どうぞ」
「失礼します」
引き戸が開いて、ルルナの机にお盆が置かれる。献立は、米に玉子を落としたお粥と、少しの野菜と、食べやすい大きさに切られた
「ありがとう。……ついでに、聞いてもいい?」
「何なりと」
「俺、ごはんは毎日一人で食べることになってるの?」
「そのように仰せつかっております。ルルナ様は、ソウン様の信頼を得ていらっしゃる立派なお役人として、待遇を良くするようにと」
「そっか。……じゃあ、頂きます」
「ごゆっくり。半
「よろしく」
ルルナは匙と箸を使ってゆっくりと食事を摂った。給仕係がお盆を下げてくれた後、ルルナは顔を洗って口を濯いで、鏡を見て若葉色の髪をくしけずり、後ろで一つに結った。
会議の始まる時間だ。
今日の会議はいつもと違って、軍からの報告で始まった。
まず、ヒシアがクオムの部屋に乗り込んだところ、そこは既にもぬけの殻であったらしい。城じゅう探してもクオムの姿は無い。いつの間にか旅に出てしまったようだ。困った人である。
仕方なくクオム無しで出発した軍は、明日にはマウティム町に着くらしい。
その後会議は、内政に関する議題へと移る。
「全国民にユマインス語を覚えてもらいます」
ニンゲンの役人がそんなことを言った。
「以後、公式な場でのニャンロアイ語の使用は禁止となります」
「禁止……でなければいけませんか」
「はい。ソウン様にも可及的速やかにユマインス語を習得して頂きます」
「ユマインス語はさておき、ニャンロアイ語の禁止は必須ですか? せめてユマインス語に併記する形で残せると嬉しいのですが」
「いいえ。異なる言語の存在は、連邦王国の結束を弱めかねません。特にこれから生まれてくる世代には、ユマインス語を第一言語にしてもらいたいのです」
「んー」
ルルナは翻訳を懸命に書き留めている。その隣でソウンはチェトを見やった。
「チェトさん、どうぞ」
「はーい。世代のお話を聞いて思ったんですけど。先日頂いたユマインスの書類をざっと解読しましたが、フウチャイの出生率と死亡率はニンゲンより遥かに少ないですねえ」
チェトは淀みなく意見を述べる。
「つまりフウチャイはニンゲンに比べて、世代交代がうんと遅いようなんですね。ゆえに、今からユマインス語での教育を始めても、それをきちんと習得できるフウチャイはなかなか増えません。そしてユマインス語を幼少時に学ばなかったフウチャイも、このさき何百年と生き続けます。あなたたちが考えるよりも、ここでのユマインス語教育はうまくいかないでしょうねえ」
「なるほど」
ソウンは頷いた。
「僕は、ニャンロアイ国民から言葉を奪うことは、反発を招くように思いました。無駄な争いは避けたいという僕の方針には、アルノ様も賛同してくださいましたし……ここは一つ、お考え直し頂けませんでしょうか?」
イーヴは悩ましげに首を捻った。
フウチャイはかなりうまくやっている方だと、ルルナは思う。ニンゲンの要求を真っ向から否定せず、それでも譲れないところを守れるよう誘導する。その方がソウンも仙力を使いやすい。
この前も、国土の大半を輸出用の米を作るための田にせよという要求を受けて、交渉の末に相手の言う面積の四分の一は国内消費に充てるという結論まで持って行った。
また、ニンゲンたちは
会議は、昼食や休憩を挟みつつ、慎重に進められた。そして日暮れが近づく頃には早くも、書類などにはユマインス語にニャンロアイ語を併記する、ということに同意してもらった。
ルルナは夜風の通る自室に火を灯し、ひたむきに仙力の研究を続けていた。たまに、光に釣られた虫が窓からふらふらと入ってくる。ルルナはそれとなく、灯火に虫が飛び込まないよう、手で払ってやった。
途端にその虫は、風に攫われて弱々しく扉から出て行ってしまった。
「……ん?」
割と大きな虫だったと思う。それにさっきまでは風の中を自力で普通に飛んでいた。
ルルナは自分の手の甲を見つめた。
ひょっとして、この力で変えられるのは──。
ルルナは灯火の取手を持って部屋から出た。足早に別の部屋へと向かい、閉まっていた引き戸を勢いよく開け放った。
「ヴァン、起きてる!?」
「へあっ!?」
ヴァンは布団から飛び上がらんばかりに身を起こした。
「あっ、ごめん、寝てた?」
「いいいいい今ちょうど寝ようとしてたんだよ!」
「ごめんって。ちょっと良いかな?」
「良くない!」
「仙力の修行に付き合って欲しいんだ」
「今からか!? 嫌だっつってんだろ!」
「明日なら良いってこと? ありがとう! おやすみ!」
「そんなこと言ってねえよ!」
そんなわけで翌朝早く、ルルナは改めてヴァンの部屋に訪れた。ヴァンは滅茶苦茶に機嫌が悪そうな顔つきだった。申し訳ないが、仕方がない。
「何で俺がお前なんかに協力しなきゃなんねえんだよ」
「だってちっちゃいから。ソウンは忙しいし」
「お前に比べりゃ大抵の
「でもヴァンは特にちっちゃいし、一応は話を聞いてくれるし」
「お前が勝手に喋ってるだけだ!」
「もう。我儘言わないでよ。俺は急いでるんだよ」
「我儘なのは明らかにそっちだろ! お前何か昨日から変だぞ、人が変わったみたいに……うわ!?」
ヴァンの体が徐々に浮き上がり始めた。
ルルナは確信した。
この仙力では現状、自分を含む動物の重さを変えることができる。
これなら戦場でも充分使い物になるだろう。
「オイ、どうすんだこれ……わ!?」
そう、こんな風に、一旦上に飛ばしてから重さを戻せば、人を落とすことができる。
「俺を実験台にすんじゃねえ! ……よ、よそ、で……」
このように重くしてやるだけで、体を動かしにくくすることだって。
「できたあ!」
「うるせえ!」
ヴァンは怒って、空気中の水を集め、まとめてルルナに飛ばした。ルルナの顔面と肩周りがずぶ濡れになった。
「うわー! せっかく着替えてきたのに」
「黙れ。好き勝手しやがって。だいたいこの程度で調子に乗るなよ。もっと力の使い方を把握しねえと話にならねえ」
「そうなの? じゃ、後で色々教えてよ! 俺、そろそろ行かなくちゃ」
「誰が教えるか」
「またね!」
「話を聞け!」
その後ヴァンは文句ばかり垂れてなかなか教えてくれなかったので、ルルナは他のフウチャイに話を聞くなどして、仙力の何たるかを学び直した。
重さの上限と下限はいかほどか。
仙力の及ぶ範囲はどこまでか。
同時にどれほどの生き物を操れるか。
遮蔽物があっても効くかどうか。
仙力をいつまで持続させられるか。
などなど。
これらを少しずつ試しつつ、ルルナはある日の隙間時間にソウンに話しかけた。
「……っていう感じなんだけど、俺、上手くなったら軍に入れるかな」
「そうですねえ」
ソウンは悩ましげに目を瞑った。
「僕としては引き続きルルナさんに書記を頼みたい気持ちがあります。君はとても優秀な書記です。加えて、君が非力なのは事実なので、軍人になるのはおすすめできません」
「……そっか……」
「ただし、僕が言うのも何ですが、僕は当人の希望になるべく添いたいと思っています。ですから、どうしてもということでしたら、僕やニンゲンたちを説得できるくらい強くなってください。二つ目の仙力も含めてです」
「そっ……そっか。そうだよね」
ルルナは両手をぎゅっと組み合わせた。
「俺、頑張るよ。毎日練習する。体力も付ける」
「応援しています。とはいえ程々に。お仕事があるので」
「分かった」
ルルナは頷いた。
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