第16話 決着

 手伝いでソウンの執務室に居たルルナは、その報告を一緒に聞く形となった。


「ユマインス・角無し連合軍は、スンクロル町とその周辺を掌握しました」


 共に作業をしていたロイクがすぐに通訳してくれる。


角性かくせいの軍を率いるスリユは、更に北へと逃げた模様。我々がニャンロアイ全土を支配下に置くまで、もうあと少しでしょう」

「……そうですか」

「敵はフィアドゥ町を起点に最後の抵抗をするというのが、オラス中佐の読みです。あそこを制圧すれば敵を追い詰められます。レピカ・バオティホアと王子三人の首を取れる可能性も高い」

「こちらの被害はいかほどでしょうか」

「まとめた書類がこちらに。ニャンロアイ語のものを用意させました」


 ソウンは筆を置き、紙を受け取った。ルルナもそれを覗き込んだ。──ヒシアの名は無い。犠牲になっていない。良かった。

 ソウンは何か考え込むようにじっと書類を見ていたが、やがてその伝令のニンゲンをまっすぐ見つめた。


「次の戦で勝てば征服完了ですか」

「そう思われます」

「では、二つほどお願いが。天船てんせんを動かしてもらえますか」


 唐突な要求に、伝令とロイクは顔を見合わせた。


「それは、上に聞いてみないことには何とも。しかし、あれを動かせるニンゲンは多くありません。加えて、もう最高神ウェーラスの神器はしばらく使えません。……何のために?」

「威嚇に使えます。僕たちは神通力じんずうりきや神器についてほとんど何も知りませんから。あれを見たら皆、ニンゲンが首都を襲った大量虐殺兵器を再び使われると思うはずです」

「……なるほど」

「それともう一つ。僕も是非フィアドゥに行ってみたいですね。天船に乗って」

「はい?」

「あちらでやることがあるのです。午後の会議の時に改めて僕から提案しますね」


 厳重に警護もとい監視されている己を戦場に連れて行けと無茶な要求を述べながらも、ソウンは伝令ににこにこと微笑みを向けた。ロイクが何か伝えると、伝令の人は右手をこめかみの前にかざすユマインス式の礼をして、部屋を辞した。


 会議で、ソウンは随分と粘ったらしい。ソウンは無事、フィアドゥまで天船で連れて行ってもらえることになった。助手として十名ほどフウチャイをつける約束まで取り付けたらしく、ルルナも同行することになった。


「良いの? 俺が行っても何もできないよ」

「そんなことはありません。ルルナさんはいつも僕を手伝ってくれるじゃありませんか。それに僕は、タシャト村の人が近くにいる確率を上げたいのですよ」

「なるほど……?」


 ルルナは何となく、ソウンの狙いが分かってきた気がした。


 数日後、天船の準備が整い、ルルナたちは出発することになった。

 プラチュワン城の前庭に停泊した天船に乗り込む。凄まじい勢いの風が巻き起こって船が垂直に空へと出航し、一路、北を目指して進み出す。


 辿り着いたのはフィアドゥ近郊の平かな草原。川を挟んで両軍が向き合っている。真ん中で戦象に乗っているのは、レピカの第四王妃であるスリユ。

 スリユの仙力せんりきについては、片方だけ報告に上がっている。目に見えないが強靭な盾を展開するそうだ。


 ルルナがお茶を持ってソウンにあてがわれた船室に向かうと、ソウンは窓から両軍が陣を組んで睨み合っている様子を眺めていた。

 角性の軍にはちゃんと象が増えていて、合計四頭になっている。スンクラルの戦いでは二頭倒したと聞くから、三頭補充したことになる。


「ソウン、あったかいお茶だよ」

「ありがとうございます」


 ソウンは一口だけお茶を飲むと、湯呑みをそっと机に置いた。


「ルルナさん」

「はい」

「僕は一旦、こっそり船を降ります。ここにはしばらく僕の幻影を置いておきますから、適当に誤魔化して時間を稼いでくれますか」


 ルルナは体を強張らせた。


「行くんだね?」

「はい。……僕はのうのうと玉座に座って待っていられるタチじゃないんですよ。救える命があるなら、救いに行きます」


 ソウンの姿がだんだんと薄く透明になって、消えてしまった。机には本物そっくりのソウンがにこにこと腰掛けていた。

「危ないから、気をつけて」

 ルルナは呟き、見えなくなったソウンが扉を開けて出ていくのを見送った。


 うまくいくかな、とルルナはひやひやしながら戦場を見下ろす。失敗したら、最悪ソウンは殺されてしまう。


 ──ソウンは、仙力の一つを制御しきれていない。もしくは、片方だけ意図的に制御していない。


 さっき、ソウンの姿が消えてしまったのは、幻覚を見せる仙力の応用。己の姿を一時期的に周囲から見えないようにした。こちらの仙力は完璧に制御されている。


 もう一つの仙力は、本人が「仲良し」と呼んでいる稀有なもの。ソウンに近づいた者はソウンへの敵意を喪失し、ソウンに僅かな好感すら抱くようになる。

 この仙力を抑えていないのが、わざとなのかどうかは、本人にしか分からない。


 ただ、これによりソウンは、誰とでも穏便に、むしろ優位に話を進められる。

 相手を強制的に説得せることはできないまでも、だいたいの揉め事は丸く収めることができる。

 いや、もしかしたらソウンは、相手に何かを強要するのを避けているだけで、本気を出して仙力を使えば、もっと強い効果が得られるのかもしれない。


 そして、この仙力から逃れるのは不可能に近い。何の予備動作も無しに、気づいたら敵意を削がれているのだ。防ぎようがない。近づかれた時点で負けだ。

 ソウンはこれから姿を隠してスリユに接近するのだから、ますます防げない。


 敵将スリユの鉄壁の盾でも、この仙力を通してしまう可能性は高い。スリユの丸い透明の盾は、外界からの全てのものを遮断する類のものではない。暴風は防げても、空気は通す。でないと中の人が窒息する。

 だから、敵意のない仙力を通してしまうことは、ありうる。賭けではあるが。


 やがてぼんやりと、薄紫色の翼のフウチャイが、スリユの前に姿を現し始めた。ソウンは狙い通りスリユに近づくことができたらしい。あとは、仲良しが通用すれば──両軍とも犠牲者を出さずに戦が決着する可能性が出てくる。


 ルルナが固唾を飲んで見守っていると、スリユは槍の切先を力無く下ろし、ソウンの話を聞く体勢に入った。じきに、ドドン、と戦闘中止の合図の太鼓が鳴る。


「頑張れ……!」


 結果、ソウンの目論見通りになった。

 後から聞いたところによると、ソウンはスリユにこんなことを言ったらしい。


「角性の皆さん。ここは大人しく投降してくれませんか。殺し合いでなく、話し合いで決着をつけましょう。でなければ僕たちは、またあの天船からの攻撃で、あなたの軍を全滅させることになります。僕はそんな非道な手段を取りたくないのです」


 これは完全なる脅しだが、ソウンは続けてこう言った。


「無意味な殺し合いはもうやめましょう。話し合いましょうよ。 ね? 皆さんが降伏してくださったら、僕たちも手荒な真似はしないと約束しますから。……僕からのお願いは、三つだけです」


 その一、スリユたち角性が降伏すること。

 その二、レピカの勅令により、後継者をバオティホアの血縁者に限定する法律を一時的に無効にすること。

 その三、レピカが正式にソウンに譲位すること。


 これらの要求を、ソウンは言葉巧みに交渉しつつ仙力を最大限に活用して、飲んでもらうことに成功した。

 空を飛んで戻ってきたソウンは、いくらか顔色が悪くなっていた。やはり仙力を無理に強くして行使していたのだろう。


「ソウン、ひどい顔色してる。休んで」

「すみません……」

「俺、お茶を淹れ直してくるよ」


 しかしこれで、たった一人のフウチャイが、最終決戦を無血で終わらせたことになった。


 これにはニンゲンたちも唖然としていた。


 譲位の手続きは速やかに行われた。その日じゅうにソウンは、正規の手段で、公式にニャンロアイの大公になった。


 なお、レピカをはじめとするバオティホア一派は、何故か目を離した隙に忽然と姿を消していた。


 ユマインス・角無し連合軍を率いていたオラスとネリーは、不服そうであった。


「勝手な真似をしてくださいましたね。今後のために、せめて国王とその一族は処刑して、後顧の憂いを無くすべきでしたのに」


 プラチュワン京に戻る天船の上で、ネリーは不機嫌な表情を隠すこともせず、そんなことを言った。ロイクの通訳を聞いて、ソウンはふるふると首を横に振った。


「仮にも国の頂点に立つ者が、仁道に悖るようなことはできませんよ。レピカ様は皆に慕われていましたし、王子のミュン様に至ってはまだ乳飲み子です」

「そのような甘い考えはお捨てになった方がよろしいかと」

「では、言い方を変えましょう。バオティホア家の方々を殺すことが、本当にこの国の安泰に繋がりますか?」

「……どういう意味ですか。我々のやり方がお気に召さないと?」


 ネリーとオラスは、険悪な目でソウンを見た。ソウンは物怖じせず、あくまで穏やかに話を続ける。


「この国はもう随分と昔から、法を大切にしてきました。ですから僕は、法に則った形を取るのが最も安全だと判断しました。少々力技ではありましたが、その方が国民の皆さんに納得してもらいやすいですし、反感も買いにくいでしょう。戦で負けた方を処刑だなんて……そんな野蛮な手段で皆さんの感情を逆撫ですることに、一体何の得があるのですか?」


 二人のユマインス軍人はしばし黙ったが、やはりフウチャイにしてやられたことが気に食わないのだろう。オラスは別の方向から文句をつけた。


「ソウン大公。ニャンロアイ公国はユマインス連邦王国の傘下に入っています。ニャンロアイはユマインスの法に従うのが道理です。加えてあなたは、我らがユマインス連邦王国の国王、アルノ・エヴラール様に忠誠を誓い、アルノ様の下についていらっしゃるはず。陛下の思し召しに背くことは許されません。野蛮などというお言葉はもってのほか。場合によっては不敬罪に当たりますよ」


 ルルナはソウンの後ろでそっとやりとりを聞きながらおろおろしていたが、ソウンは全く動じなかった。


「ああ……。では、直接アルノ様と謁見する許可をもらっても? きっと実りある会談になるでしょうから。アルノ様がどのようなお考えをお持ちなのか、僕も気になります」

「……」


 そういうわけでソウンは、プラチュワン城で充分な休息を取った後、ユマインス王国の中枢に行くことになった。ルルナはついていかなかったが、チェト・ロントランという名の、元賎民で今はこの国の新しい貴族となった翼性のフウチャイがお供した。

 砂漠という変わった地形を持つユマインスでは、まさしく実りある話ができたようで、一月後にはソウンは何のお咎めも無しに涼しい顔で玉座に戻ってきた。


 こうしてニャンロアイは、ユマインス連邦王国に属する公国として、新たな道を歩み始めた。


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