第15話 挟撃


 ヒシアが人を焼き殺すか、ルルナが危険な目に遭うか。


 今となってはもうその二者択一だったし、答えは最初から決まっていた。

 それでもヒシアが決意を固めるには相当な苦痛が伴った。


 これまで誰一人として殺しては来なかったが、殺そうと思えば簡単に大量殺戮ができてしまうだろう。

 それを一度やったら、自分の中で何かが壊れる。そんな確信めいた予感がある。


 しかし、やるしかない。このまま食い物にされてたまるか。


 少しでも迷いが生じたら、ヒシアは、頭の中が真っ赤になったあの時を思い出すことにしていた。


 ──あの時だけは、本気で人を殺しても良いと思った。

 ルルナが理不尽の犠牲になって傷つくくらいなら、役人の一人や二人、躊躇なく焼き殺す覚悟だった。


 だったら、今だってやれるはずだ。


 そんなわけでヒシアは、陣営の東側でふわふわ宙に浮かびながら、目を細めて角性かくせいの陣営を見た。

 

「トゥイ、もうちょっと遠くまで延焼させられないの?」

「……うるせえ」


 トゥイは隣で、その焦茶色の翼で風を起こし、ヒシアの炎を煽っていたが、あからさまにうんざりした顔つきだった。


「んなもん、てめえでやれや。そもそもこれ、俺いらねえだろ」

「まあ、それもそうね」


 トゥイの風は、ヒシアの炎ほど遠くまで及ばない。手前側の火力を上げるのがせいぜいだが、そんなことは誰かの手を借りずともヒシアが一人で請け負える。加えて、高速移動を使えば延焼も容易い。

 このままでは、トゥイの仙力せんりきの無駄遣いだ。


「俺は他所に行く。念力で戦った方がいくらかましだ」

「でも、作戦が」

「下らねえ。んなもんニンゲンの小細工だろ? フウチャイの力を知りもしねえ莫迦が立てた策なんざ当てになるか」


 トゥイは更に高くまで飛翔し、戦場全体を見渡して戻ってきた。


「見た限り、中央が拮抗してて、西の方が押されてる。どうせニンゲンどもが戦象にビビってやがんだろ。崩される前に俺が行く」

「そうね。敵は中央に戦力を集めているようだし、ここは東西から攻めて囲んでしまうのが得策かも。……いえ、それともこれは罠で、こっちの陣を東西に延ばして突破するのが狙いかしら……」

「……詳しいな」

「大昔、戦術の教育も受けたのよ」

「……ふん。戦術だの作戦だの、フウチャイには似合わねえ。お前が東を全部焼いて、俺が西を全部ぶん回せば済む話だろ。じゃあな」

「よろしく。気をつけて」


 ヒシアは、茶髪を優雅に編んだトゥイの後頭部を眺めて言った。トゥイとこんなに話したのは久々な気がする。


 ふう、と一息ついて、ヒシアは眼下の敵陣に目をやった。


 ロイクとかいうニンゲンは丁寧に話しているように聞こえたが、ニンゲンたちが未だフウチャイを見下す傾向にあるのは明らかだった。こちらが意見してもほぼ棄却される。どうせ戦象のことも侮っていたのだろう。


 この先、ユマインス・角無し連合軍が勝って、ニャンロアイ全土を手中に収めても、角無しはあくまで角性より優遇されるというだけで、ユマインスのニンゲンと対等な立場に立てるわけではなさそうだ。

 気に入らない。


「はあ……」


 いい加減、本気を出さなくては。あの子が何の憂いも無く安心して眠れる日々を手にするために。


 ヒシアは両手のひらを地面に向け、爆発的な火を何ヶ所にも起こし、一気に角性たちを丸焦げにした。

 すぐに移動して敵陣の後方に回り、後ろからも炎の壁を空高くそびえさせ、退路を塞ぐ。これで東の角性たちは焼け死ぬ運命から逃れられなくなった。

 後はこの火力を持続させるだけで良い。これだけ炎が強ければ、敵に水の使い手が何十人かいたとしても、大したことはできまい。


 強すぎる仙力ゆえ疎まれてきたが、それが役立つ時が来るとは、皮肉なものだ。

 それに、もしヒシアが角を生やしていたなら、圧倒されるのはユマインス・角無し連合軍の方だった。貴族は軍人を多く輩出するから。

 人生とは誠に、何が起きるか分からない。


「おっと」


 ふと飛んできた矢を、ヒシアは頭を傾けて避けた。敵にもなかなか骨のある者がいるようだ。ヒシアほどではないが。

 その後、何度か矢が飛んできたが、避けるのは造作もないことだった。


 無傷のまま、だいたいの敵を焼き払ったヒシアは、一度地上へ降りた。

 人の焼けた匂いが鼻を刺す。

 自分の手でこれだけの人命を奪ってしまったことへの、胸を抉るような罪悪感は、心の奥に仕舞ってきっちりと蓋をした。

 これくらい、どうってことはない。強く、もっと強くならなくては。


 さて、と戦線の中央部を見渡す。戦象に乗っているフウチャイのうち一人が厄介な仙力を使っているようだ。

 というかその象の周りだけやたら光ったり光らなかったりしているが、あれは……、ニュアの仕業か。悪くない戦い方だ。

 ともかく、ネリーの神通力は象をも止めるほど強いらしく、戦いは膠着している。

 その周りでは騎兵と歩兵が入り乱れて大混戦となっていた。

 オラスは器用に味方を避けてあやまたず敵兵だけを焼いており、角性による多彩な攻撃を臨機応変に防ぐのに貢献している。


 大口を叩いていた割に、ニンゲンが強かったのは初手のプラチュワン襲撃だけだと思っていたが、認識を改めるべきかもしれない。象を相手にここまで粘っているネリーと、炎を巧みに制御しているオラスは、評価に値する。


 ヒシアは持ち場を離れ、西の方へ向かった。さっそくトゥイがやたらめったら念力を使って、敵をぶん投げ、叩きつけ、ぐるんぐるんに引っ掻き回している。


 だがトゥイの念力をもってしても、敵陣の後方までは攻撃できずにいる。手を貸すべきか、ヒシアが悩み始めた時、まさしく敵陣の後方で、何かが爆発したかのように角性たちが四方八方に吹き飛ばされた。


 いや──投げ飛ばされているのだ。クオムの怪力によって。


「何やってるの、師匠は、もう……」


 己が角性であることを利用し、混乱に乗じて敵陣に潜り込み、裏切る機会を虎視眈々と狙っていたようだ。治癒の仙力のおかげでちょっとやそっとじゃ死なない体ではあるとはいえ、随分と無茶をしてくれる。


 クオムは周囲の敵を全て投げ飛ばして一掃すると、向かってくる敵の鎧をものともせずに、素手で武器を破壊し、頭を潰し、腹に穴を空け、背骨を折っている。


 ヒシアはてっきり、クオムは戦争に参加しないものと思っていた。

 話し合った時も乗り気には見えなかったから、このままどこぞへ旅に出て、高みの見物を決め込むのではと予想していた。

 それに以前、長く生きすぎたためにフウチャイ同士の確執にはすっかり興味がなくなった──などと言っていたことまである。


 だから、少し意外だ。

 でも助かった。


 敵は、前へ進めばトゥイの念力の餌食になり、後ろに逃げればクオムの怪力の餌食になる。

 これで西の方の敵もかなり崩れてきた。


 まもなく、敵の大将は、撤退の判断を下した。こちらの追撃によりまだまだ脱落者はたくさん出たが、大将の誘導でかなりの数が無事に森の中に逃げ切った。

 こうなるとこちらが不利だ。森は鬱蒼としていて、飛ぶのに向かない。ニンゲンも森の中での戦いには全くの不慣れであろう。深追いはしないと、オラスも判断したようだ。


 とはいえ、ひとまず勝った。スンクロル町より南はまもなくこちらの手に落ちる。後もう少し北上すれば、ニャンロアイ全土がこちらの支配下に入る。


 ヒシアはトゥイに一言お礼を言うと、クオムの元に向かった。


「師匠」

「おー、ヒシア。派手にやったなあ」


 クオムは全身返り血だらけだったが、何ら気にした様子もなく、両手を腰に当てた。


「師匠こそ。来てくれるとは思いませんでした」

「まあ私は大抵のことにはこだわらんからな。お前さんの力になるのも一興と思ったまでだ。だが、お前さんは違うだろう。あまり無理をするなよ」

「……違いませんよ。無理じゃないです」


 ヒシアは己の手のひらを見下ろした。


「あの子の力になれるなら、この程度、大したことないです」


 クオムはやれやれといった様子で手についた血を拭い、ヒシアの頭に手を置いた。


「……お前さんに大事なものができたのは良いことだ。頑張ったな」

「あ……りがとう、ございます」

「しかし、頑張りすぎは良くない。程々に肩の力を抜くことだ」

「はい」

「今日はゆっくり眠りなさい。どうせ近いうちに決戦となるのだから、休める時に休め」

「はい」


 ヒシアは、張り詰めていた気を、そっと緩めた。途端にどっと疲れが襲ってきて、ヒシアは膝に手をついた。


「ほらもう、言わんこっちゃない。だいぶ無理をしていたな? どれ、私が担いで行ってやろう」

「いえ、結構です……」

「遠慮するな。心の疲れというのは侮ってはならん。今は何も考えずお休み」

「……」


 クオムが片手で軽々とヒシアを担ぎ上げる。脱力したまま運ばれていくうちに、ヒシアは眠ってしまった。

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