第14話 混乱

 何だあれは。


 ネリーは、ユマインス・角無し連合軍のど真ん中から、丘の上に陣取っている敵軍を見て、あまりのことに口が塞がらないでいた。


 敵陣の中央と左右に一頭ずつ、象がいる。

 象が。三頭。敵軍に。

 背中に椅子が乗っていて、それぞれ三名ずつフウチャイが座っている。


 本当に何なんだ。


 いや、ニャンロアイ王国が戦象を飼育しているという情報は、事前に聞いてはいたし、プラチュワン京で飼われていた象も見てきたが、実際に戦場で対峙してみると、これが尋常でなく恐ろしい。

 ネリーの乗っている馬も怯んでいるし、ネリーも怯んでいる。隣のオラスも唖然としている。


 何という巨体。何という気迫。何という威圧感。

 あんなのに丘の上から突進されたら、ニンゲンなどあっという間にペタンコに踏み潰されてしまう。そんな恐怖を肌で感じる。

 大きいものは怖いという、単純ゆえに圧倒的な、動物的本能による怯え。

 正直めちゃくちゃ逃げたい。そんな無様を晒したら、これだから女は、などと言われるのは目に見えているので、絶対に逃げはしないが。


 まさか、この短期間でこれほどの軍勢を準備されるとは。


 中央の象に乗って軍を指揮しているのは、羊のようにくるりと円を描いた角を持つ、黒髪のフウチャイだ。金属の鎧を身につけている。そいつがこちらに手を差し出し、勇ましく何か叫んだ。


 途端に、戦象と馬と歩兵が一気に丘を下って向かってきた。

 凄まじい迫力である。


「あ、圧巻だな、これは」

「……ッ、オラス中佐、ボサッとしていないでご指示を!」


 ネリーは檄を飛ばし、手に持った神器を握り直した。オラスは思い出したように厳めしい表情で叫んだ。


「作戦通り迎え撃つ! 神器、構え!」


 オラスは手に持った赤銅色の錫杖をビシリと敵軍に向けた。先端につけられたいくつもの輪飾りがしゃらりと鳴る。


「勝利の錫杖よ、火の天使ミルートの名において、世の苛虐を焼き尽くせ! 天誅;灼熱ノ業火!」


 途端に錫杖の先から火炎放射が自在に姿を変えつつ敵軍に迫り、草原を焼いた。

 ネリーは豪奢な金色の装飾が施された宝珠をまっすぐ目の前に掲げた。


「救済の宝珠よ、風の天使リハーヌの名において、世の非道を吹き飛ばせ。天誅;無窮ノ暴風」


 神器が巻き起こした追い風が炎の勢いを強め、敵の元まで延焼していく。


 無闇矢鱈と突進してくる角性かくせいが炎をまともに食らい、呑まれていく。


 やはりフウチャイの軍は、兵士の個々の能力が違いすぎて、統率が取れているとは言い難い。能力差がありすぎると、理論的な戦術が立てづらいのだろう。今回のような寄せ集めの烏合の衆ならなおのこと。


「大将首は狙えるか」

「一度やってみましょう」


 オラスの放つ竜の如き炎に、ネリーが風を送り込んで援護する。荒ぶる火が、中央の戦象と付近の角性を直撃する。

 しかし不思議なことに、まるで象の周りに、見えない球体の防壁でもあるかのように、炎は象を見事に避けて通っていく。すぐに、水を操るらしきフウチャイの仙力せんりきにより、火は消された。


「くそが……フウチャイのやることは読めなさすぎる」

「オラス中佐、次のご指示を」

「分かってる。総員、神器構え! 突撃!」


 ユマインスの騎兵たちは力の天使カナークの御名が刻まれた力槍りきそうを、歩兵たちは同じくカナークの御名が刻まれたを力剣りきけんを掲げ、前進した。


 しかし、中には象に怯えて言うことを聞かない馬がいる。歩兵も及び腰の者が少なくない。


「臆するな! 天使様の御力を信じよ!」

 オラスが声を張り上げ、それに応えて雄叫びが上がる。

 ネリーは片手で馬をなだめた。

「大丈夫だから。さあ、行って!」


 ……いや、遅い。戦象がもう目前に──。

 ネリーとオラスは協力して象に炎を放ったが、やはり見えない盾に弾かれた。


「ギャーッ」


 自陣営から悲鳴が巻き起こる。

 黒髪のフウチャイの指示通りに、象がユマインス兵を体当たりで突き飛ばし、鼻で投げ飛ばし、牙で貫き、足で踏み潰していた。


 ──あのフウチャイの盾の仕組みは何だ? こちらの攻撃は通さないのに、あちらからの攻撃は通す。攻撃の際は盾を解除しているのか? そう思ってネリーは槍を構え、後ろから狙ってみたが、またしても届かない。


 だめだ、兵士たちが恐慌状態に陥っている。このままでは総崩れだ。こんなこと、あってはならないのに。ニンゲンがフウチャイに大敗したなんて知られたら、ユマインスの世界的権威は地に落ちる。

 戦象だけなら対処できたはずだ。だが仙力とかいう力の不確定要素が大きすぎるせいでうまくいかない。


「象は後だ! まずは援護してくる角性どもを減らす!」

「はい!」


 オラスとネリーは緻密に神通力じんずうりきを操作して、仲間の間を縫うようにして角性たちを襲った。これは少なからず有効だった。その隙に、力槍と力剣の兵たちが前進し、戦線は入り乱れる。その間にも象の犠牲者は増えていく。


「くっ……早く何とかしたいのに……」


 その時、よく分からない叫び声が空から降ってきた。


「〜〜! 〜〜〜!」


 陣営の左右に配置していたはずの、角無しのフウチャイたちだ。先陣を切っているのは、紅紫色の髪が鮮やかな、タシャト村の住人。ニュア・インサウォンとか言ったか。


「〜〜〜!」


 ニュアが角性と戦象を守る盾に触れる。すると謎の光が、盾の周りをすっかり包み込んでしまった。


 なるほど、とネリーは納得する。

 球体の中身をどうこうできないなら、外側に細工をして、中の人物の視界を邪魔すれば良い。


 どういうわけか戦象は未だに正確に兵士を狙って突進してくるが、それでも格段に動きが鈍った。

 ニュアの仙力はあまり長続きしないらしく、光は細切れに現れたり消えたりするが、それでも敵を少しでも邪魔できているのは助かる。


 しかも翼性のフウチャイは機動力が抜群に優れている。常に上空からの攻撃が可能だ。歩兵だけでは、丘の上から迫ってくる敵に不利だったが、翼性たちはそれを帳消しにして、むしろ有利に戦ってくれる。

 ニンゲン同士ではありえないことだ。


 フウチャイたちの奇想天外な戦い方については、深く考えない方が得策だろう。

 ニンゲンにはニンゲンの戦い方がある。


 神の力は充填に三年はかかるからもう使えない。オラスの言う通り、今は天使の力を信じよう。火を。風を。力を。

 力の天使カナークのお陰で兵士たちは通常より強烈な斬撃と刺突を繰り出せる。敵のまとう鎧はほぼ役に立っていない。

 あとはオラスとネリーの神通力にかかっている。

 天使を信じよ。信仰と敬愛の心は、神器をより強くする。


 しかしそれでも、ネリーたちは段々と押され始めていた。ネリーは歯噛みした。あれほど、血を吐くほどに、体力をつけ、祈りを捧げ、鍛錬を詰んだのに、まだネリーは、天使の力を充分に引き出せていないというのか。

 このまま根性で耐えたところで何も解決しない。ネリーは口を開いた。


「オラス中佐。ここまでの混戦になっては、火の威力を上げるのは逆に危険です。風の力を単独で使って良いですか」

「……分かった。お前の思う通りやってみろ」

「ありがとうございます」


 ネリーは風力を絞って尖らせ、敵に直接当てて吹き飛ばすことにした。これで、何人もの角性を、後方に大きく下がらせることができる。

 そもそも、巨大な船をも浮かせる天使の力は凄まじい。神器によって性能は様々だが、リハーヌの力はこんなものではない。船を飛ばせて象を飛ばせぬわけがないのだ。


「はあああ──っ!!」


 ネリーは渾身の神通力を神器に伝えた。徐々に、戦象をじりじりと後退させることにも成功し始める。


 ようやく、力が拮抗し始めた時、伝令の速馬が戦況を伝えに来た。

「東の戦線は圧倒的有利です。一方、西は押されています。それを空から確認したフウチャイの一部が、勝手に配置を無視して東に向かっています」

「あいつら……」


 オラスは苦々しい顔つきになった。


「柔軟で良いではありませんか。大事なのは過程でなく結果ですよ」

「くそ……。分かった。何人かの翼性を西に向かわせることを許可する」


 もう向かっていると報告を受けているのに、わざわざ遅れて許可を出す。下等生物の勝手な行動によって勝利するのは、矜持が許さないのだろう。


「東は」

 ネリーは短く問う。

「人が抜けても平気?」

「一人のフウチャイが大群を軒並み燃やしています。他のフウチャイはむしろ手持ち無沙汰です」

「燃やす……。ヒシア・トゥルガか」


 オラスは頭を抱えた。


 こちとら、ユマインスが技術力を結集して作り上げた神器で、ようやく広範囲への攻撃が可能になったのに、あのフウチャイは自分一人の力でそれ以上の炎を容易に操る。


「強い個体がこちらにいて幸運でしたね。私たちはここを突破されないよう集中しましょう」

「……そうだな」

「伝令ご苦労。行って」

「はっ」


 さて、この後の戦局はどう動くか。ネリーは宝珠を高く掲げ、全身に力を漲らせて、神通力を強めた。

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