第3章 開始
第12話 国王
プラチュワン城を包み込むほどの巨大な光線が、木の柱も石の壁も金の装飾も、何もかもを貫いて、それを浴びた城の内外の人間が残らず枯れ木のように干からびて死に至る。
──そんな未来をスリユが
その瞬間にスリユがちょうど、夫たるレピカ国王が朝議を行う部屋の近くを歩いていたのは、不幸中の幸いであった。スリユはすぐさま走り出し、十を数えるよりも早く部屋の扉を開けて叫んだ。
「敵襲です! お逃げください、レピカ陛下!」
それだけ叫んで踵を返した。この時間、我が子のリュメは、離れにある一室で教師に勉強を見てもらっているはずだ。
ここからでは確実に間に合わない。
スリユは観念して、二つ目の仙力で不可視の球体を作り出し、それを防壁として自分の身を守った。それしかできなかった。この仙力では、スリユが触れている者しか守れない。
夫が何とかしてリュメを助けてくれるかもしれない。そんな一縷の望みに縋って、スリユは襲い来る正体不明の光の攻撃に耐えた。──辛うじて、耐え切った。
恐る恐る目を開けたスリユは、凄惨な光景に息を呑み、床に両膝をついた。事前に知っていたとはいえ、現実のこととは思えなかった。
つい先ほどまで向かいの廊下を歩いていた役人たちや、何やら用向きがあって来ていたらしい貴族とその付き人たちが、体中の水分がどこかに消えてしまったかのように、しわしわに縮んで萎れて、骨と皮ばかりにひしゃげて、倒れていた。まるで、藁で編んだ小さな人形が、大きすぎる衣装を着せられたまま、捨て置かれたかのようだ。
「リュメ!」
スリユは走り出し、我が子の居るはずの部屋に飛び込んだ。リュメは、まだ墨のついた筆を持ちながら、全身がからからに乾き切った状態で、大きな机に力無く伏していた。
「何……で……」
スリユは大粒の涙をこぼしながらリュメの背中に触れ、手を伸ばして、もう動かない我が子を抱きしめた。
何で、こんな悲劇が、こんなに急に。どうして。ひどい。ひどすぎる。
せめて手厚く葬ってやりたいところだが、そんな猶予は無さそうだ。すぐにも敵が──翼性のフウチャイが、空にあるニンゲンの船から降りて来て、うじゃうじゃと城に侵入してくる未来が見える。
ここでリュメと心中したい気持ちは山々だが、スリユにはニャンロアイ国王第四王妃という立場がある。王妃たるもの、国民と国王を優先せねばならない。この命は私情で捨てて良いものではない。少なくとも、今は。
──行かなくては。
最後にぎゅうとリュメを抱きしめ直したスリユは、決意を固め、急ぎ城から脱出することにした。
ニャンロアイ国王レピカ・バオティホアの持つ仙力は、遠く離れた地を見渡せる千里眼と、遠く離れた地まで物体を瞬時に移せる瞬間移動である。
このことは機密事項だから、敵が知っているはずもない。しばらくは敵も、レピカの捜索に躍起になるはず。その間にスリユは、心当たりのある移動先を片っ端から訪ねる。
礼服として着用していた上衣の
途中、馬車を拾えた。代金として髪飾りを渡し、北へ向かわせる。方角が合っているかどうかは賭けだ。ただ、ニャンロアイ国王の所持する離宮は、避暑も兼ねて北方に多く点在している。確率的には北上した方が良かろう。
一番近くの離宮に、レピカは居なかった。しかしここまで来れば、物資も馬も使い放題だし、役人や軍人の仙力にも頼れる。
そうして、一番北にあるフィアドゥ離宮まで、スリユはたったの数日で辿り着いた。
レピカとの面会の場が、慌ただしく整えられる。スリユはじれったい思いで、椅子に座って待っていたが、レピカは瞬間移動ですぐに部屋に来てくれた。そして、よくぞ無事でここまで来た、とスリユを優しく抱き止めてくれた。
さらさらとした長い蜂蜜色の髪の毛。優雅な曲線を描く真っ白い角。ほっそりとした体躯。威厳ある物言いに反して、どこか幼子のように愛らしい声色。
この方だけでも生きていて下さって良かったと、スリユは少しの間、目を閉じた。
「そなたには心から礼を言う。そなたの一言がなければ、城にいた全ての者が死に絶えていた。同時に、余はそなたに詫びねばならぬ。そなたにはすまないことをした」
「何を……仰いますか」
「そなたの言葉を聞いた余は、自身および手近にいた王子の避難を最優先事項とした。連れてこられた王子は、シェナ、タマハ、ミュンの三名のみ。リュメ含む残り十五名は、余の仙力の及ばぬ場所に居たため救えなかった」
「……」
レピカは偉大な先祖を持つ現国王だが、その仙力は決して強くはない。凡庸とまでは言えないが、突出して優れているわけでもない。仙力は血筋では決まらないのだ。
レピカがリュメを救わなかったことを、スリユは責められなかった。この人は十五名の王子たちの死を、心の底から悲しんでいる。そのことが痛いほど伝わってきたからだ。
レピカはスリユの漆黒の短髪を撫でた。
「そなたは疲れすぎている。しばらくここで座って休みなさい。……そうだな、いずれにせよ、状況を整理するのは必要なことだ。しばし余の話を聞いてくれるか」
「では、お言葉に甘えて、拝聴します」
スリユは軽く頭を下げた。レピカは机を挟んでスリユの向かいに座り、開け放たれた玻璃の窓の外に広がる晴天を眺めつつ、こんな話を始めた。
「周知の通り、フウチャイは個々の能力に依存しすぎる種族だ。乱世においては仙力の強い者が権力を得て各地を治め、より多く領地を得るために争い合っていた。強い者が生まれては下剋上を繰り返し、領内でも争いが絶えることがなかった」
「……はい」
そう、仙力は個人差があまりにも大きい。最強を名乗る者が居たとしても、数十年後にはその者に匹敵するほど強い別人が複数現れて、また国が荒れる。その繰り返しだった。
たった一人で国中をひっくり返すほどの、凄まじい仙力の持ち主が現れるまでは。
「我が曽祖父セレイ・バオティホアは、仙力が頭抜けて強いことに加え、頭脳明晰であったゆえ、ニャンロアイ全土統一を実現することができた」
セレイは乱世を終わらせるため、力尽くでニャンロアイを一つの王国とし、以後その統治者は血筋で決めるとお触れを出した。そして勉学に優れた者を集め、様々な法を整備した。
各地の混乱が鎮まった頃、セレイは生前譲位し、玉座を第一子に託した。これに対し反乱を企てた者は、法の元に裁かれ排除された。
「セレイの功績はもう一つある。身分制度を整えたことだ」
レピカは淡々と語った。
「最初はニャンロアイ統一時に良い働きをした者を貴族と定め、優遇する政策を取っていた。しかしそれで国が落ち着くことはなかった。血筋だけでこの国を制御することは困難だと悟ったセレイは、賎民という身分を新設し、敢えて苦しい境遇に置くことで、国民を分断することを図った」
スリユはレピカの横顔をそっと見つめた。
そのような話は伝わっていない。いや、セレイが新しい身分制度を作ったことはよく知られているが、賎民に関するこのような解釈は聞いたことがない。
「国を落ち着かせるには、己が最底辺に落ちることはないと、大多数の者が安心できる環境を作る必要があったのだ。そんな国を作るために、セレイは角無しを犠牲にすることを決めた。彼らは数が少ないため、不満を持っても反乱を起こせない。更に、人頭税を厳しく取り立てることで、反乱を起こす余裕すら奪った。ここの計算は非常に緻密に行われている。人頭税はわざと毎年一定の滞納者が出る量を課していたし、労役で行かせる鉱山労働の環境はわざと劣悪なままにしていた」
「え……」
少なからず衝撃を受けているスリユに、レピカは滔々と語る。
──毎年平均、賎民の内およそ二割が人頭税の滞納により労役につき、うち三割が一年以内に事故死している。加えて、労役についていても人頭税の納税義務は発生するため、一度労役に出た者が集落での生活に戻れる例はほとんどない。一度でも労役を課された者は、遠からず事故死することがほぼ確定している。
「つまり」
レピカは翳りのある表情でこちらを見た。
「バオティホア朝の君主は、角無しを意図的に迫害し、一定の人数を間接的に殺してきた。そうすることで何とか、
「そう、でしたか……」
「そうだ。さて、本題に移ろう」
レピカは肩にかかった髪の毛を払った。
「タシャト村は百年以上、税の滞納者を出さなかった。住人に優秀な者が複数いるのだろう。このままでは迫害の効果が無い。ゆえに目を光らせていたつもりだったが……こんな時にニンゲンに見つかるとは不運だった。奴らには見事にニャンロアイの弱点を突かれてしまった」
レピカの声音は口惜しげだった。
「余も対策はしていた。タシャト村が反乱した時の対策も、勝手に国内でこそこそしていたニンゲンへの対策もな。だが今や担当の役人たちのほとんどがやられてしまった。残された策はあまり多くない」
スリユは、薄い金色に輝くレピカの目を見つめた。
あまり多くない。つまり、いくつかはある。
「此度の反乱の首謀者はニンゲンだ。良くも悪くもな」
「良く……?」
「確かにニンゲンは、神とやらと通じて莫大な軍事力を行使する。狡賢く、欲深く、冷酷な連中だ。しかし致命的な弱点を持っている──寿命があまりにも短い」
そういえばそうだった。では今のニンゲンの国の王も、放っておくだけですぐ死ぬのか。
「歴史が示す通り、王が代替わりした時は、多かれ少なかれ国の在り方が変化する。そしてニンゲンは恐ろしい勢いで代替わりする。余の寿命が尽きる前に、ニンゲンの国が隙を見せる可能性は、極めて高い。その時を待ちつつ、今できる最大限のことをする。これが余の方針だ」
「なるほど」
「そして今のニンゲンの軍事力について。あれほどの攻撃を一瞬でできるならば、プラチュワン京だけでなく他の主要都市でも同じことができたはずだ。しかしこの数日間で、そのような報告は一件も上がってこない。恐らくあの
「な、なるほど」
「余はあれからずっと、仙力で各地の様子を監視し続けている。また各地の
スリユも少し混乱してきた。レピカの頭の回転速度についていくのは大変だ。
「打てる手は打った。明日にも余は王子たちを連れてここを去り、ヴァルマン家の館に匿ってもらう。そなたにもついて来て欲しい」
北方に住まう有力貴族、ヴァルマン家。確かにそこなら敵の目を欺けるし、護衛の数も申し分ないだろう。しかも彼らは、万一に備えて、森の中のどこかに物資をこっそり蓄えていると聞く。
……であれば、安心か。
スリユが次にやるべきことが、はっきりしてきた。
「陛下。わたくしは敵と戦って参ります」
「……何?」
「この国はバオティホア家の血筋さえあれば負けません。ですから王妃たるわたくしが、スリユ・ハインマイが、あなた様の代わりに、兵を率いて敵に立ち向かいましょう」
レピカの驚いたような表情が、哀しげな色に変化していく。
「……余はそなた以外の全ての王妃と、十五名の子を喪ったのだぞ。それなのにスリユ、そなたまで行くというのか」
「行きます。皆の仇を取ります。陛下、弱音を仰いますな。心配は御無用です。わたくしは敵の神通力から、己の身を守ることができました」
全ての遮蔽物を貫通する凄まじい光。
しかしスリユの予知能力は、その奇襲を見通し、スリユの透明な盾は、その渾身の一撃をも通さなかった。
仙力は神通力に対抗できるのだ。
「わたくしはきっと軍の力になれます。いえ、ならなければなりません。それが王妃たるわたくしの務めです」
「しかし」
「わたくしは必ず、生きてあなた様の元に戻ります。約束いたします」
レピカはまだ動揺した様子だったが、やがて決然とスリユに顔を向けた。
「……分かった。そなたの勇気に敬意を表し、そなたの出陣を許そう。さっそく作戦を共有したい。改めて資料にまとめさせるが、余からも伝えておこう。まず、そなたには特に、角無しの持つ仙力に関する情報を把握していて欲しい。何故ならば──」
「フウチャイは個々の能力に依存しすぎる種族だから、でございますね」
「その通りだ」
レピカは頷いた。もはやその表情に迷いはなかった。
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