第11話 戦端
「ネリー少尉。準備は万全か」
ニャンロアイ王国攻略戦の指揮を取る責任者であり、ネリーの上官でもあるオラス・ジャール中佐は、空に浮かぶ
ニャンロアイに降り注ぐ強い陽の光に目を細めながら、ネリーは背筋を伸ばした。
「
ふう、とオラスは肩の力を抜いた。軍服の襟から覗く茶褐色の首筋が、うっすらと汗をかいている。
「三十年前に天船が偶然見つけた森の中の謎の場所と、東海岸の住民が語り継いでいたフウチャイの伝承……。最初は半信半疑だったが、結果的に国王陛下のご判断は正しかったな」
「はい。後は作戦を成功させるだけです」
「フウチャイとの戦争は初めてだからな。角無しどもからできる限りの情報を得てはいるが、何が起こるか分からん。気を抜くなよ」
「もちろんです」
ネリーとて、フウチャイが今の世まで細々と存続しているなど信じていなかった。しかし実際にユマインスが真っ先に見つけたからには、他国に取られる前に迅速に手に入れるしかない。
ユマインス連邦王国がニャンロアイ全土を手中に収めれば、軍事力と経済力が飛躍的に伸びることが見込まれる。
そうなれば、世界を牛耳る二大帝国、アントロポス共和国とチェレヴェック帝国に侵略されるどころか、二国と肩を並べることも夢物語ではなくなる。
伝説上の存在だったフウチャイ。仙力とやらを操る異端の種族。
事前に諜報員を多数送り込んで、徹底的に調べさせてきた。それでもまだ謎だらけの、不思議な生き物。今も諜報員は頑張ってフウチャイたちから情報を引き出している。
最初に部下からフウチャイについての報告を聞いた時を思い出す。その時ネリーは素直に、いいな、と思った。
生まれつき男女の差がない。両性具有。
ニンゲンの女性は、生まれつきの身体的特徴を理由に、社会的に弱い方だと定められていて、どうしても不便を強いられる。ネリーとてここまで出世するのに血の滲むような努力をしてきた。生まれついて幸運だっただけの男性たちに、蔑まれて侮られて、それでもめげずに、我慢に我慢を重ねてきた。
そういう不平等が無いのは羨ましいな、と。
しかし情報が集まるにつれ、ネリーは考えを改めた。フウチャイにも、性別とは違う身体的特徴が後天的に現れる。
残念だ。本当に。
そしてそこが隙でもあった。
大国が他国を手に入れる際の常套手段は、相手国の内部抗争を煽って自滅させることだ。そうなってくれれば乗っ取るのも容易い。
今回は、賎民を焚き付けてお互いに戦わせられる。フウチャイ同士なら分かっていることも多いだろうし、打撃としては充分だ。少数派に特権を与えることにも利益が多い。公国となった後のこの国が、とても御しやすくなる。
だからユマインスとしては、ニャンロアイ王国に不平等が存在するのは好都合だった。
「失礼します。ネリー少尉、ご報告が」
ロイクが落ち着いた様子で声をかけた。
「どうぞ」
「フィアドゥ離宮に出入りしたことのあるフウチャイから、新しい情報が引き出せました」
フィアドゥ町は、南北に長いニャンロアイ王国の中で北の方に位置する都市だ。南から侵攻する予定のユマインスにとってはまだ警戒する段階ではないが、調べておくに越したことはない。
オラスと共に報告を聞いたネリーは、頭の中でこまごまと計画の修正を始める。一方のオラスは鷹揚に笑ってこんなことを言った。
「この短期間でニャンロアイ語を習得したお前の学習能力は、実に頼りになる。……しかし確か、お前の祖国も同じ手で仲間割れを引き起こされ、紛争をやっていなかったか?」
ロイクはにこやかに首を横に振る。
「いえ、あれのお陰で僕はむしろ、ユマインスでうまくやれていますから。ユマインスの優れた統治機構に組み込まれることは、僕の仲間や故郷にとって、むしろ良いことでしたよ」
「それはそうだな。つまりお前の立場は、角無しのフウチャイと似ているわけだ」
ロイクの笑みがちょっと胡散臭いものになった。
「あはは。よしてくださいよ、僕をあのような動物と一緒くたにするのは」
「おっと、これは失敬」
「いえいえ」
ネリーは少しだけ、二人から目線を逸らした。
所詮、ニンゲンもこんなものだ。
女性のことも、公国の出身者のことも、フウチャイのことも、当たり前のように見下して、自分の方が優位に立とうと躍起になっておきながら、そのことに何の疑問も持たない。
そう言うネリーとて例外ではない。
必死こいて男性社会の中で勝ち上がろうと足掻く中で、そうしない女性のことを見下してきた。
男性の言いなりになって、ただ弱いまま、何もかも押し付けられている女性。
人としての尊厳を捨てて男性に媚を売り、はしたない手を使う女性。
自分は彼女たちとは違う。自分は彼女たちより優秀で価値があるニンゲンだ。だって自分には、男性より強くなって道を切り拓き、この国に新しい価値観を示そうという、固い意志がある。
そうやって己も誰かを見下さないとやっていけないことに気づいた時、ネリーは愕然とし、激しい自己嫌悪に陥った。
しかしもうそれは昔の話だ。
人は清らかなままでは生きていけない。心のどこかに必ず濁りがある。そう思い知ってからは、何かが吹っ切れた。
今回、ニャンロアイ王国を攻略するに当たって、角性と角無しの社会的な分断を利用しようと最初に提案したのは、他ならぬネリーだった。
どんな手を使っても使命を遂行する。たとえ傲慢でも卑怯でも、前に進まないよりは余程ましだ。
フウチャイたちには悪いが、とことん利用させてもらう。ユマインス連邦王国の栄光のため、ひいてはネリーが自分らしく生きていくために、彼らには踏み台になってもらう。
「しかしタシャト村のフウチャイは予想以上に使えますね」
ネリーはそれとなく話題を逸らした。
「戦場では高さを確保して優位に立てますし、各地の情報が迅速に手に入るのも助かります。特にヒシアとかいう、朱色のフウチャイ。あれは凄まじい速度で動けますし、炎の威力も申し分ありません」
「我々の神器とも相性が良いな。それでその炎のフウチャイは、風を操るフウチャイとは上手く行っているのか」
「トゥイですか? あれは仲が良いのかどうか、私にもよく分かりません。しかし互いに旧知のようですから、連携が取れないということは無いでしょう」
「ほう。しかし……やはり奴らは未知の生き物ゆえ不安要素が大きい。よくよく注意して見ておかんとな」
「心得ました」
その時、天船の甲板に描かれた真円と五芒星の印が、微かに黄色く光った。
「おや……船の動力がやや不安定のようだな」
「そうですね。この程度ならさしたる問題は無いでしょうが……念には念を入れて、私が一旦、微調整して参ります」
「頼んだ、ネリー少尉」
「承りました、オラス中佐」
ネリーはつかつかと歩いて天船の動力室に向かった。見張りの兵と操縦士の兵に敬礼をし、大事に保管してある神器、
それはたった一枚の、透けるように薄い虹色の布である。これこそが、ユマインスの神職の者が織り上げた貴重な神器であり、この巨大な船を浮遊させ前進させる動力としての
ネリーは呼吸を整え、
「慈心の羽衣よ、風の天使リハーヌの名において、善良なる教徒を導け。
たちまち、天船を支え続け推進させる風の力が安定した。これなら、明日の攻撃にも支障はないだろう。
「では引き続き、操縦と見張りを頼む。抜かるなよ」
「はっ」
ネリーの念押しに、部下たちはビシリと敬礼を返した。
「只今戻りました」
「ご苦労。……今日は早めに休むと良い。明日からは、いよいよ修羅場だからな」
「はい」
ネリーは命じられた通りにしっかりと睡眠を取り、万全の体調で決戦の日を迎えた。
場所は、プラチュワン京の城の上空。
オラスが兵たちの前で士気を鼓舞する。
「最終確認だ。これより、ニャンロアイ王国首都プラチュワン京を、我々空軍が襲撃する。同時刻、南の森林地帯に陸軍が降り立ち侵攻を開始する。──覚悟は良いな」
「はっ!」
「よろしい。神の導きあれ」
「神の導きあれ!」
一同揃ってビシリと敬礼。
かくして、侵略戦争の戦端は開かれた。
ネリーはオラスと共に、天船の内部に大事に保管されている聖晶の元に向かった。
絹で織られた紫色の布を取り外し、まん丸い透明な球体に手をかざす。
「……。よし。行け」
「はい」
ネリーは、神から力をお借りするための、強力な祝詞を唱えた。
「崇高なる聖晶よ、最高神ウェーラスの名において、世の酷悪を祓い給え。神罰;
聖晶がカッと光を発した。みなぎる神の力が部屋中にあふれ、天船に備えられた大砲へと、激流の如くに吸い込まれていく。そして、砲口から強烈な光線が、プラチュワン城に向けて放たれた。それは一瞬にして、城とその一帯を直撃した。
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