第10話 急変


 まさか、ニンゲンがわざわざこの辺境の集落に現れるとは。

 ルルナは不安で胸をどきどきさせながら、その二人をまじまじと見た。


 先頭に、背が高くがっしりした体つきの、白い肌に白銀色の短髪を持つ男性。胡散臭い笑みを浮かべている。

 二人目は、ルルナより小柄で胸部が大きめの、黒褐色の肌に黒くてくるくるとした長い巻き毛を結わえた女性。厳めしい表情で、背筋がぴんと伸びている。


 どちらのニンゲンも、見慣れない帽子と、袖の長い苔色の服を身につけている。暑くないのかと思ったが、どちらも涼しげな布で作られているから、日除けには良さそうだ。


 村の人たちは、悲鳴を上げたり、おろおろしたり、逃げ出したり、戦闘体制に入ったり、様々な反応を示している。


「村長は僕ですが」


 ソウンがひらりと飛んできて、村人を庇うようにニンゲンの前に立った。


「ああ、初めまして。お目にかかれて光栄です。僕は通訳を務めさせていただきます、ロイク・デュレーと申します。後ろにおりますこちらの女性はネリー・アンクタン少尉と申す者。ユマインスの軍人でございます」


 二人は揃って、右の手のひらを真っ直ぐ伸ばしてこめかみの前に添えた。

 軍人、という言葉の持つ物騒な雰囲気に、ルルナの不安は募った。思いのほか親切な態度を取っているようだが、何を考えているのだろう。

 ソウンが戸惑いがちにお辞儀をした。


「僕はタシャト村の村長、ソウン・ティティツアンです。お二人は、どうしてこちらへ? ニンゲンの方々が正式にレピカ国王と謁見をしたという知らせは、聞いていませんが」

「ご質問は尤もです。それについてご説明するために、この森の外の世界の状況についてお伝えしたいのですが、よろしいでしょうか?」


 ロイクは笑顔で言った。ソウンは僅かに翼を強張らせた。


「……では、村役場までご案内しましょう。僕から離れずに、着いてきて頂いてよろしいですか」

 ロイクはネリーに確認を取ると、笑顔で大きく頷いた。

「お心遣い、感謝します。よろしくお願いします」

「では、こちらへ」


 ソウンはくるりと体を翻すついでに、右手の指を微かに曲げた。途端に、細い筆で綴ったような文字が、パッと空中に浮かび上がる。

 幻覚を作り出す、ソウンの一つ目の仙力せんりきだ。

 クオムとヒシアとトゥイの前には、「護衛をお願いします」。たまたま逃げずにその場に残っていたニュアやヴァンの前には、「ニンゲンが来たので家から出ないよう、手分けして村の皆に知らせてください」。


 ヒシアは小さく頷いた。

「ルルナ。先に戻っていて」

「……。分かった」

 ルルナは素直に聞き分けて、村の外へと走り出した。洞窟に戻り、暇つぶしに糸を作りながら、ヒシアの帰りを待つ。


 クオムに治してもらったとはいえ、くたくたになって帰ったばかりのヒシアより、ルルナの方が足手まといだ。それが分かっていたから、言われた通り先に帰って仕事に取り掛かったけれど、やっぱり悔しい。

 思わず、山芭蕉の繊維を捻る指先に、力がこもる。落ち着くために深呼吸をしつつ、作業を続けた。


 日が傾いた頃、ようやくヒシアとクオムは洞窟まで帰ってきた。二人ともやけに深刻な顔をしていた。用意した蟹と山菜の鍋を三人で食べながら、ルルナは話を聞いた。


 ソウンとヒシア、クオム、トゥイ、そしてちゃっかり戻ってきたニュアとヴァンの六名が、ロイクとネリーによる説明を受けたそうだ。


「まず、森の外の世界には、ニンゲンの国がたくさんあってね、中でも強い国が二つあるらしいの」

 ヒシアがすっかり消沈した様子で話し出す。

「そしてほとんどの国はその二国に負けて、植民地にされているんですって。そしてあの人たちユマインス連邦王国は、そうならないよう、自分たちも他国を侵略して、公国という地位に格下げした上で、連邦に加入させることを選んだ。そうやって、二国に対抗できるような軍事力と経済力を得たいんですって」

「へー? それとニャンロアイ王国に何の関係があるの?」

「ユマインスはニャンロアイを公国にして連邦王国に加えたいから、私たちに協力して欲しいらしいわ」

「んんんー?」


 ルルナは首を傾げた。つまり、ユマインスの王様の方が偉くなって、ニャンロアイの王様はそれに従う立場になるのか。


「公国の方が王国より弱いんだね?」

「まあ、そうね」

「ユマインスはニャンロアイを支配下に置くということ?」

「そうなるわね」

「うわあ」


 大変なことになった。ニャンロアイ王国成立以来の大事件ではないか。まさかいきなりこんなことになるなんて、無茶苦茶だ。

 ──しかし。


「それでどうして俺たちに協力してもらえると思ったのかな」


 ヒシアはクオムをちらりと見て、嘆息した。話の続きはクオムが引き継いだ。


「ニンゲンはな、もし角無しがユマインスと共に戦いに参加したならば、角無しを特権階級に逆転させて、自由な身分と、豊かな生活と、角性かくせいを引きずり落として復讐する機会を与える、と言っている。……ユマインスがニャンロアイを侵略するのは決定事項だが、角無しの出方次第では、待遇を変えるということだな。もちろんそれは、侵略が成功したらの話だが」

「うえぇ……?」


 ルルナは頭をひねった。

 今、賎民に突き付けられている運命は、恐らく四つに分岐する。


 一、ユマインスに協力して角性に勝てば、生活がとっても良くなる。

 二、ユマインスに協力して角性に負けたら、角性にいじめられる。

 三、ユマインスに協力せずにニャンロアイが勝てば、生活はこのまま。

 四、ユマインスに協力せずにニャンロアイが負けたら、ユマインスの言いなりになる。


「それは……脅しみたいだね。それに、ユマインスがどれくらい強いか分からないと、決められないと思う」

 ルルナは言った。

「おお、ルルナ、お前さん、なかなか飲み込みが早いじゃないか」

「そ、そうかな」

「私たちも、勝算について質問した」

「そしたら?」

「必ず勝てる、と」

「か、必ずって」


 それはまた大層な自信だなと、ルルナは思った。だがそれは、単なる驕りではないらしい。


「どうやらニンゲンの国では、太古の昔よりも、神器じんぎを作る技術がうんと進歩しているらしくてな」

「うげー……」


 ニンゲンは神や天使という存在を崇拝している。そして、神器という道具を使って、神や天使の力を引き出す技術──神通力じんずうりきに長けている。

 神器は生活にも使えるし、戦争にも使える。その威力が甚大であったからこそ、大昔のフウチャイは、森林の中に逃げ込む羽目になった。

 今は当時よりも神通力の強さがもっともっと向上しているのか。


 クオムは話を続けた。


「フウチャイの戦いは個々の能力に依存している。単純に、強い仙力を持つフウチャイを擁する陣営が勝つ。その方針は昔からほとんど変わっていない」

「そうだね」

「対してニンゲンの軍事力は、神器という道具の強さで決まる。強い神器を開発した方が勝つ。そして時が経てば経つほど、神器の開発は進んで、神通力は強まっていく。だからこそ奴らは、勝算はあると言った。むしろ、圧勝を確信しているような口ぶりであった」

「へえ」

「しかし奴らとて、フウチャイを侮ってはいない。より犠牲を抑えて楽に勝ちたい。だから、フウチャイ同士を分断する身分差に着目したのだろう。奴らは賎民に、ニャンロアイを内側から崩してもらいたがっている」


 三人は黙り込んで、食後の椰子の果実を口に運んだ。


「……ソウンは……皆は何て言ってるの?」

「皆は、角性が大の嫌いよ」

 ヒシアは暗い声で言った。

「角性が普通に暮らしている横で、自分たちは虐げられているのだもの。復讐できるなら是非ともしたいでしょうね。少なくとも、トゥイとニュアとヴァンは、ユマインスにつくことに乗り気だったわ。早くも殺気立っていたとすら言えるわね」

「そっか」


 戦争に、なるのか。四代続いたバオティホア朝ニャンロアイ王国が、壊れるのか。

 いや、そんなことはいい。それよりも、とルルナはそっとヒシアの横顔を見つめた。


「……ヒシアは、戦いたいの?」

「私……私は」


 ヒシアは俯いて、匙を握りしめた。


「師匠のお陰で、フウチャイ同士が性質を理由に嫌い合うのは良くないことだと、知ることができた。でも……今の支配階級の角性のことは、正直とっても嫌い。だって王族と貴族と平民は、賎民を強姦しても殺害しても、当然のように許されるのよ。こんな屑みたいな社会……変えられるなら変えたいと思ってる。いえ、変えなければいけないと。だから、やるなら全面的に協力するわ。でなければ……私は何も守れない」


 表情はよく見えなかったが、ヒシアは激しく怒っているように見えた。同時に途轍もなく悔しがっているようだった。

 ルルナは遠慮がちにクオムを見た。


「ふむ」

 クオムは腕を組んだ。

「この可愛い弟子に力を貸してやるのもやぶさかではないが……どうだかな。私の立場は微妙すぎる。状況によりけりだ」

「……。俺は……戦えないから、皆についていくしかないけど……。どうなるんだろう」


 うーんとクオムは唸った。


「今、タシャト村の皆が情報を共有しているところだ。ここでもしソウンに何か名案があれば、皆はそれに従うだろう。しかしソウンが他に優れた案は無いと判断すれば、村人の総意がそのまま結論になる。つまり、ユマインスとやらに味方することになりそうだな」

「そっか……」


 ルルナは呟いた。


 ニャンロアイ王国は戦禍に見舞われる上に、近々ニンゲンに支配されてしまう。

 森の中に逃げてやっと手に入れたフウチャイの楽園が奪われてしまう。


 そんなの、考えたこともなかった。そんな時に居合わせるなんて。

 ニャンロアイは数千年もの間、ニンゲンに見つからずに存続してきた。たとえ他のフウチャイから虐げられる身分であったとしても、ニャンロアイにいればニンゲンの脅威からは身を守れると、信じ込んでいた。


 しかし今、時代が変わろうとしている。

 フウチャイが、角無しが、この世界で生き残る未来を掴めるかどうかが、今この瞬間に決まろうとしている。


「ちょっと怖いな……」

 ルルナが小声で言うと、ヒシアが顔を上げて、ルルナの頭を撫でた。

「大丈夫」

 優しい声でヒシアは言う。

「皆がどんな選択をしたって、ルルナのことは私が助けてあげるから。何も心配いらないわ」

「……」


 時代が大きく変わるのも怖いが、ヒシアが傷つくのはもっと怖い。

 ヒシアは優しいから、皆のために、ルルナのために、戦う道を選んでしまう。優しいヒシアが、人を殺す道を。命の危険も顧みずに。

 そんなこと、ヒシアにして欲しくなんかないのに。

 でも、何と言えばヒシアを思いとどまらせることができるのか、ルルナには分からなかった。

 分からないまま、数日が経過した。


 結局タシャト村は、ユマインスに協力する道を選んだ。


 こうなったからには絶対に勝たねばならない。そして味方は多ければ多いほど良い。

 他の村をまとめて味方につけるため、ヒシアはソウンを連れて高速で国中の集落を回ることになった。


 南北に約五百バクに渡って連なるプケア山脈、その西側にのみ位置する集落を一つずつ回り、ソウンが協力を要請する。

 二人が戻ったのは半月後だった。なお、クオムは安全のため再び行方をくらました。


 タシャト村はユマインスや他の村と連携を取って、情報や物資のやり取りをした。


 ニンゲンが──ユマインス連邦王国が、ニャンロアイ王国に攻撃を開始するのは、もう半月後であるそうだ。

 彼らの使う神器の性質上、湿気の無い乾季の内に始めてしまいたいという。

 それに、早い方が有利だ。ニャンロアイ王国は既にニンゲンについて調査を進めているという。あまり猶予を与えるのは望ましくない。


 残された時間は僅かだ。

 

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