第9話 何者


 ルルナは愕然として、飛び込んできた乱入者を見上げた。

 谷底からここまで跳んだ? 三十ジンの高さを? 


 肩まで伸びた純白の髪。悪戯っぽい微笑み。真っ赤な瞳。そして頭の角。

 

 角性かくせいのフウチャイがこの時期に何の用だ。今ヒシアは疲れ切っている。今度こそルルナがヒシアを守らねば。


「久々に戻ってみたら大変なことになっとるなー。どれ、見せてみなさい」


 その人が伸ばしかけた手を、ルルナはぺちりと叩いた。

「だっ、誰だ!」

 精一杯の強気な声で威嚇する。

「うん? お前さん……」

「ヒシアに触るな!」


 その人は動きを止めて、まじまじとルルナを見た。ルルナは負けないように、その人を睨み返す。

 やがてその人は、破顔した。どっかとその場に胡座をかいて、手にぶら下げていた荷物を脚に乗せる。


「なるほど、鱗性りんせいの新入りか! ヒシアが世話をしているのか? なるほどなるほど」

「う……」


 ヒシアがルルナの膝の上で少し頭を動かした。


「あ、ヒシア!」

「師匠……」

「そうだ、私だ。分かるか?」

「分かりますよ……。それより、ルルナを怖がらせないで下さい」

「おお、それはそうだな」


 今度はルルナが動きを止めた。

 ヒシアが、師匠と呼んだ。つまり、この人は……。


「あなたは、クオム?」

「うん? ヒシアから聞いていたか。そうだよ。私がクオム・ランヤオだ」


 その昔タシャト村で、翼性の両親を持つ子の頭に、角が生えた。角性を憎悪している村人から忌み嫌われたその子は谷底に突き落とされたが、何とか生き延び、この崖に大穴を空けて住処にしたという。

 後にそのフウチャイは、同じく村から追い出されたヒシアを育てたとか。ヒシアでさえ師匠と仰ぐ程の強さを誇るクオムの持つ仙力せんりきは、怪力および治癒。


「というわけでヒシアを治したいのだが、いいかな?」

「あ、うん、お願いします」


 クオムはヒシアの手を両手で包み込んだ。ヒシアが負っていた怪我はみるみるうちに消え去り、顔色も良くなった。ヒシアはむくりと起き上がった。


「ありがとうございます、師匠」

「礼には及ばんよ。しかし、私は少し長く留守にしすぎたようだ。前に帰ったのはいつだったかな?」

「五十二年前ですよ」

「おー、そんなにか」


 ヒシアは洞窟の壁に背中を預けた。


「今回の旅では何か見つけましたか?」

「見つけたが、その話は後だ。先に、何故お前さんがあそこまでくたびれ果てていたのか、教えてもらえるか」

「納税が足りなかったので、四ヶ月ほど鉱山労働をして来ました」

「ほう」

「あのっ、俺のせいなんです」


 ルルナは割って入った。


「本当なら、布もお金も充分あったのに。俺が、本当は俺が行くべきだったのに、ヒシアが代わりに連れてかれちゃって」

 改めて思い返しても不甲斐なく情けない。ルルナの分まで頑張って稼いでくれたヒシアが罰を受けたなんて。

「俺さえいなければっ、ヒシアが大変な目に遭うことなんてなかったのにっ」

「これ、そんなことを言うものではないぞ」


 クオムはこつんとヒシアの頭に拳を当てた。全然、痛くはなかったが。


「鉱山労働は死者の絶えん過酷なものだ。それでもヒシアが行ったのは、ヒシアがお前さんに生きていて欲しかったからだ。その気持ちを無碍にしないでやってくれ」

「……」


 ルルナは瞬きをして、穏やかな表情で語るクオムを見ていた。

 クオムは全然、怒ってもいないし、嘆いてもいない。ヒシアのことも、ルルナのことも。


「分かった……」

 ルルナは頷いた。

「ヒシア、俺を守ってくれてありがとう。俺、もっと強くなるように、頑張るよ」

「いいのよ、私がやりたくてやったんだから。それにルルナ、あなたはもうとっくに強い子よ。自信を持って」

「……」


 ルルナが返事に窮していると、クオムがいそいそと麻袋に入っていたものを取り出した。


「ほれ、土産に西瓜すいかを買ってきたから、三人で食べようではないか。たくさん食べて元気モリモリ! と教えただろう?」

「ふふ、そうですね」

「あ、そしたら、俺が短刀を」

「ああ、いらん、いらん。うりゃうりゃー」


 クオムは素手で西瓜をあっという間に四つに割ると、二つをヒシアに渡し、ルルナにも一つ差し出した。


「いただきます」


 ルルナは赤い実にかぶりついた。シャクッとした歯応えと、すっきりした甘さが絶妙である。クオムも美味しそうに西瓜を頬張り、満足げだった。


「昔は芒果ぼうかを好んで食っていたが、西瓜も悪くないな。さっぱりしていて爽やかな気分だ」

「師匠は本当に果物が好きですね」

「菓子などには縁が無かったからなぁ。今ではちょいと菓子屋に寄ったりもするが、やはり私の命を繋いでくれたのは、椰子や甘蕉かんしょうや西瓜といった、年中自生している果物だった」


 ルルナは西瓜を種ごとむしゃむしゃ食べながら、二人の思い出話を静かに聞いていた。しかし、ふと気になることができてしまった。


「あの、クオム」

「うん? 何かな?」

「クオムは今、角性の村とかに住んでるの?」

「いや、あちこち旅をしているだけだよ」

「でも、そしたら、人頭税は?」

「ああ」


 クオムは西瓜にかぶりつきながら教えてくれた。


「谷底に突き落とされた後は死亡扱いになっていてな。戸籍は破棄された。しかしそうなると、ここに留まって役人に目を付けられたらいけない。だから各地をフラフラしたり、ここに戻ったりを繰り返しているんだ」

「へえ、凄い。……落とされた時は怪我しなかった?」


 何となく口にした質問だったが、ルルナは自分で自分に何か引っかかるものを感じた。何かがおかしいような……昔、何か……?

 しかし、ルルナの思考は、クオムの返答に掻き消された。


「怪我なら盛大にしたが、すぐに治ったぞ。私の治癒は、自分に対して一番よく効くんだ。何と老化にまで効くらしくてな、親戚一同が断絶してもこの通り私だけがぴんぴんしている」


 それはまた、凄まじい力量だ。


「仙力を抑えたりはしないの?」

「いやー、それが、私の力では抑えきれなくてな。幸い、まだ人生に退屈はしていないし、出しっぱなしにしている」

「え、凄すぎる」

「仙力が制御しきれずにダダ漏れになってる人はたまにいるわよ。師匠の他にも、ソウンとか」

「本当!? そんなことあるんだ……俺は鱗性だからよく分かんないや」


 クオムが首を傾けてルルナを見た。


「お前さん、仙力を持たないのか?」

「うん、だって、鱗性ってそうなんでしょ?」

「いや、それは迷信だな。鱗性の者も仙力を獲得できる」

「えっ」


 ルルナとヒシアの声が重なった。


「私が前に会った鱗性の者は、一つ獲得していた。発現が遅いだけで、あの後二つ目を獲得したかもしれん」

「えっ、えっ、そしたら俺も、もしかしたら」

「仙力を使えると思うぞ。というか気づいていないだけで、既に獲得していてもおかしくない」

「嘘っ」

「ま、自分でじっくり観察して、考えてみることだ」

「うん……」


 クオムはよっこいしょと座り直した。


「そういえば土産話を忘れていたな。ちょっと前にプラチュワン京に寄った時、面白いものを見た。……どうも近頃、ニャンロアイにニンゲンが出入りしている」


 ルルナはぎょっとしたが、ヒシアは身を乗り出した。


「それ、私も見ました。フォカム町に行った時に、肌が白いニンゲンを」

「おお、お前さんも見ていたか。私が見たのは肌が黒褐色の者だった。しかしそうなると、意外と多く紛れ込んでいるやもしれん。近々、何か起こるぞ」

「国はまだ何も?」

「その限りではない。プラチュワンの城下町でこそこそしている役人どもを見かけた。単なる偶然か、それとも国王が秘密裏に何か対処しているのか、それは分からんがな」

「へえ」

「どれ、このことを村長殿の耳にも入れてやろうか。お前さんが無事に帰ったことも知らせねばならんし、ものはついでだ。今もソウンが村長をやっているのかな?」

「はい」

「では行こうか。ヒシアは……」

「大丈夫です、飛べます」

「そうか」


 ルルナとヒシアとクオムは、崖の上に登りタシャト村に入った。手前の畑ではいつものように、ヴァンが草むしりをしていた。

「おお、新顔がここにも」

「いえ。ヴァン・ブンリャンは五十二年前、まだ小さかっただけですよ」

「ブンリャン……? ほう、あれか! お前さん、あの時の赤子か!」

「ひゃっ!?」


 ヴァンがひっくり返って驚いた。


「かかかかかかか、角性!? ヒシア、今度は何を……」

「何、恐れずとも何もせんよ」

「嘘つけ! 角性の野郎が村に何の用だ! 俺たちをいじめに来たのか!」

「おーおー、威勢が良いな」


 何だ何だと、村人たちが顔を出す。何だか既視感のある光景だ。


「この忙しいのに何事だ」

「あ、ヒシアが生還してる!」

「あれ? クオムじゃないか?」

「ここは穏便に話を! 誰か村長を呼ぶんだ!」

「呼びました?」


 ソウンがふらりと飛んできた。


「ああ、ヒシアさん! 無事でしたか! 良かった! 本当に!」

「ええ、ありがとう」

「そしてルルナさん、こんにちは」

「こんにちは!」

「クオムさん、お久しぶりです」

「久しいな、ソウン。時に、そこの若造が私に怯えているようだ。落ち着かせてやってくれ」

「承りました」


 ソウンがヴァンと話している間、見物人はさっさと仕事をしに戻って行った。その中の一人、トゥイは蕉紗しょうさを一枚持って戻ってきた。今日は二つのおさげを三つ編みにしている。


「おらよ。前払いだ。ヒシア、戻ったんならさっさと糸作れ」

「あ……ええ、分かったわ。ありがとう」

「おおトゥイ、元気か。相変わらずつっけんどんな奴だなあ」

「あ?」


 トゥイはじっとりした目でクオムを見上げた。クオムはうっすらと笑いながらトゥイを見下ろしている。


「……文句でもあんのか」

「いや? ないぞ」


 トゥイは舌打ちをした。


「こっちは大ありだ。役人がヒシアを連れてったから、糸が足りねえ。おかげさまで農作業の時間が減って食いもんも足りねえ。皆、腹減らして糸紡いでる」


 クオムはしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。


「それも仕方あるまい。労役の方が大変なことくらい、お前たちも分かっているだろう。だからこそ外れ者のヒシアを行かせた」

「……」

「まあ、気が向いたらこいつをいたわってやってくれ。タシャト村は、持ちつ持たれつ、なのだろう?」

「……ふん」


 トゥイが踵を返して帰ろうとした時、ヒシアが「ねえ、待って」と言った。


「誰か来ているわ」

「あ?」


 確かに、誰かが竹垣をくぐってこちらに向かってきている。人数は二人。

 角は無い。翼も無い。鱗も無い。


「こんにちは、タシャト村のフウチャイの皆さん」

 肌が白い人が言った。

「突然お邪魔してすみません。僕たちはユマインス連邦王国という所から来ました、ニンゲンです。村長さんはおいでですか?」

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