第8話 賎民


「いいんですか、ヒシアさん」

 村役場にて、ソウンは書類を前に、俯きながらヒシアを見た。

「いいも何も、こうするしかないでしょう。まさかルルナには行かせられないし」

 ヒシアは何ら気負わずに真顔で答える。

「……すみません。僕がうまく采配するべきだったのに」

「こればかりはあなたがどうこうできる問題じゃないわ。皺寄せがこちらに来ることくらい、とうの昔から分かっていたことだし。あなたは村長なのだから、村の皆を大事にすることね」

「……はい……」

「それじゃ、帰るわ。役人には私が洞窟にいるって伝えておいて」

「分かり、ました……」


 しょげ返っているソウンに背を向け、ヒシアは洞窟に戻った。奥の部屋から、蕉紗の入った大きな麻袋と、硬貨の入った麻袋を、二つずつ取ってきた。入り口近くの部屋でルルナと共に座って、籠を編んだりしながら静かに待つ。


 やがて上の方からぼやきが聞こえてきた。


「ったく、何だってこんな不便なところに住んでんだよ」

「めちゃくちゃめんどくさいっすね」


 今年からまた新しい徴税役人が来ているようだ。

 綱を伝って降りてきた角性かくせいの役人が二人、挨拶もなしにずかずかと洞窟内に踏み込む。


「おら、徴税だ。出しな」

「お勤めご苦労様です。ルルナ、あなたから渡して」

「うん」


 ルルナの分の蕉紗しょうさ九枚と、硬貨十ケイが、念入りに確認される。


「よし、次」

「はい、蕉紗が九枚と、お金が六銈です。四銈の不足となります」

「えっ!?」

 ルルナが驚愕の表情でヒシアを見た。ヒシアはルルナの方を見ず、涼しい顔で正座を続けた。


「あ?」

 役人の目が剣呑な光を帯びる。

「見せろ! おいお前、蕉紗を測っとけ」

「はいっ」

「ヒシア、どういうこと!? 足りるって言ってたのに!!」

「ルルナ、静かにね」

「でもっ」

「静かにね」


 ヒシアが淡々と繰り返すと、ルルナは不服そうにもじもじしながら座り直した。

 お金を数えていた役人が青筋を立ててヒシアを睨んだ。


「測り終えました。硬貨の方はどうっすか?」

「確かにきっかり四銈足りねえな」

「はい。私、ヒシア・トゥルガは、今年の税を納めきれません」

 ヒシアは深々とお辞儀をする。

「うちには差押えできるほどの財産はありません。よって労役を希望します。私を連行してください」

「違っ……俺です!」

 ルルナが大慌てで立ち上がって主張する。

「足りないのは俺のせいです! 連れて行くなら俺にしてください!」


 ヒシアの腕に手を伸ばしかけていた役人が、ぎろりとルルナに目をやる。


「何だァ? こいつは……」

「あれ? そういやこいつ、翼がないっすよ。確かタシャト集落には鱗性りんせいがいるとか。多分こいつのことですね」

「へェ、鱗性……珍しいじゃねえか」


 役人はにやにやと笑ってヒシアから手を離し、ルルナを品定めするように上から下までじろじろと見た。


「面白ェ。ツラも悪くはねえし、力も弱いんだったか? ……おいお前、その翼性よくせいをしっかり捕まえとけよ」

「了解っす、上官殿」


 役人がルルナに近付く。ヒシアはさあっと血の気が引くのを感じた。


「ちょっと、それだけはやめて! ルルナは義務を果たしているでしょう! 私が労役に行けば済むのだから、余計なことをしないで!」

「うるせえ。そこで黙って見てろ」

「何を……ひっ」


 ルルナは突き飛ばされて床にごろんと転がった。その細い腕を、役人は片手で易々と押さえ込む。もう片方の手がルルナの帯に伸ばされる。


「やだ、俺、俺は……っ」

「おっと、逃げるなよ」

「やめてっ」


 ルルナは悲鳴に近い大声で叫んだ。役人は驚いたのか、一瞬だけ動きを止めた。


「うぐぐぐ……!」


 その隙にルルナはもがいて役人の手から逃れた。立ち上がってヒシアの方に駆け寄ろうとする。

 役人は苛々した顔つきになった。


「ちっ……非力ってのは流言か。一丁前に抵抗しやがって」

「おいおい、鱗性の低脳よ」


 ヒシアの手を掴んでいる方の役人がルルナに声をかけた。


「暴れたらこいつがどうなるか分かってんだろうな?」

「えっ」

「大人しく言うこと聞いとけ。でなきゃうっかり、こいつの腕を折っちまうかもなァ」


 ルルナは体を震わせた。


「わ、分かった、から、大人しく、するから……ヒシアに乱暴だけは、しないで……」

「ルルナ、駄目!」

「ははっ。そら、後ろを向いてそこの壁に手をつきな。もう逃げようとか考えるんじゃねえぞ」

「うん……」


 ヒシアの頭の中が真っ赤になった。怒りに任せて、自分を捕まえている役人の腕に火をつける。役人は反射で手を離した。


「熱ッ!? 何だ!?」

「私を連れて行くだけなら大人しくしておいてあげるけど」


 ヒシアは両手のひらの上に炎を出し、低い声で決然と言い放つ。


「ルルナに何かしたら二人とも火傷じゃ済まさないわよ。さあ、今すぐ選んで。私の猛火の餌食になるか、私だけ連れてここを去るか」


 言うや否や、ヒシアは二人の役人の顔すれすれのところに真っ直ぐ火炎を発射した。片方の役人が怯えて尻餅をつく。もう片方は怯えた声でヒシアを糾弾する。


「お、お前、賎民による役人への攻撃は重罪だぞ。分かってんのか?」


 そう、賎民による攻撃は重罪。貴族や平民による賎民への加害は無罪だ。そんなことは骨身に染みて分かっている。


「私になら罰でも何でも好きに与えたら良いわ。でもルルナを傷つけることだけは許さない。二人とも、一生消えない大火傷を負って寝たきりで苦しみ続けるようなことになりたくないのなら、何もせずさっさと私だけを連れて行くことね」


 二人の役人は忌々しげな顔つきになった。しかし二人も国から派遣されている以上、根っからの莫迦ではないのだろう。渋々といった様子で、役人はルルナを解放し、ヒシアを縄で拘束した。


「やだ、ヒシア!」

「ルルナ、私はしばらく留守にするけれど、あなたならもう大丈夫。ちゃんと仕事をして、ちゃんと食べるのよ。困ったら村の人に頼りなさい。ソウンにはあなたのことを頼んであるから」

「ヒシア!」


 己を呼ぶ悲痛な声に背を向けて、ヒシアは役人に連れ去られて行った。


 それから何日か、ヒシアはどこぞの牢屋のような場所で、他の村の滞納者や罪人と共に閉じ込められていた。

 そこでは一日に一つだけ、米を炊いて丸めただけの何の味もない食糧を与えられた。厠はなく、皆は牢屋の隅の穴で用を足した。


 その後は役人に率いられて、プケア山脈の向こう、タシャト村から南南東の方角に位置する鉱山まで来た。ここでは鉄鉱石の採掘が行われている。


 ヒシアは角性の見張り役から、岩を掘るための鶴嘴つるはしと、通常より頑丈に編まれた笠を受け取った。

「おら、行ってこい」

 雑に追い払われる。自分ばかり安全な所に居て、とヒシアは少しムッとした。


「君、ここは始めてか?」

 ここでの労働に慣れているらしき翼性のフウチャイが、鉄鉱石の掘り方を教えてくれた。

 坑道にはあちこちに、椰子油を使った灯火がぶら下がっている。鉱員たちはその光を頼りに鶴嘴を振るう。赤茶色の鉱物が出たら掘り出して、近くの台車に放り込む。ある程度溜まったら、担当の鉱員が台車を運び出す。


 坑道には木材で簡易的な支えが作られていて、天井を支えていた。ここはあの洞窟と違って、天井をしっかり固めることもせずにやたらめったら掘るものだから、崩れる可能性があるのだろう。


 そんなことを考えながら慣れない手つきで鶴嘴を振るっていると、案の定、聴覚に優れた仙力せんりきを持つフウチャイが危険を知らせた。


「ああ、ここはもうすぐ落盤するよ。音がする。退避して、退避」

「落盤するぞ──ッ!! 退避──ッ!!」


 ヒシアは安全と思しき場所まで高速ですっ飛んで逃げた。残念ながら、天井の崩落は予想より大規模で、何人かが生き埋めになってしまった。


「助けないの?」

「やめとけ。もうあそこは脆くて危険だ。行ったら君も埋まるぞ」

「そう……」


 こうして、一体何人の賎民が見殺しにされているのだろう。


 また別の日には、ヒシアが新しく掘った壁からいきなり、謎の気体がシューッと漏れ始めた。それに灯火の炎が燃え移り、今にも爆発しそうになった。その寸前の瞬間を、ヒシアは高速移動に伴う突出した動体視力をもって捉えた。


 ヒシアは目の前に手のひらを向け、爆発を抑え込んだ。すぐに、もう片方の手を横に振り、付近にあった灯火を全て消し去る。


「うっ……!」


 空気に引火した炎は予想以上に強い。空気も熱に晒されてぐんぐん膨張しようとする。

 ヒシアは両手を使って、必死に炎を食い止めた。


「消えて……消えて……えーいっ!」


 あわや爆発するかという瀬戸際まで来て、ようやくヒシアは炎を消すことに成功した。

 周囲は真っ暗闇になった。

 後から、やや膨らんだ空気が、生暖かい突風となって鉱員たちに吹きつけた。ヒシアはそれをもろに食らい、狭い坑道のあちこちに体をぶつけて倒れた。変な匂いがする空気も吸い込んでしまって、気分が悪い。


 ともあれ、爆発事故は未然に防がれた。一人の鉱員がヒシアの肩を叩いた。


「ありがとな。おかげで命拾いした」

「どういたしまして」

「しかしお前すげえな。あれが出たら、普段なら最低でも二十人は死ぬ大惨事になるんだぜ」


 何とまあ、恐ろしい環境であることか。


「近くに居たのが強い奴で助かったよ。しかも火を操れるとは珍しい」

「……確かに私の仙力は、強い方かも知れないわね」

「いや本当に強いよ。こんな強い奴、初めて会ったかも」

「そう?」

「そうだよ。なあなあ、本気出したらどれくらい強いんだ?」

「……内緒」


 そう、内緒にせねばならない。

 一人で町を一つ焼き尽くすくらいは容易だろうということなんて。高速移動を併用すれば、もう二つ三つは余裕で灰燼に帰すかも、だなんて。

 言ったら怖がられるに決まっている。タシャト村の人々がそうだったように。


 働いて働いて働きまくって、お腹を空かして、事故に遭って、ぼろぼろになってもまだ働いて、約四ヶ月が過ぎた。ヒシアに課された労役の期間が終了した。

 雨季は終わりを迎え、季節は乾季になろうとしていた。


 早く帰って、ルルナを温めてやらないと。きっと一人で寒い思いをしているに違いない。


 ヒシアはよろよろと力無く飛んで山脈を越え、洞窟の入り口に倒れ込んだ。もう一歩も動けない。目を閉じる。


「ヒシア!?」

 ルルナが駆け寄ってくる音がした。丁寧に抱き上げられるのを感じる。

「ヒシア! ヒシア、俺のせいで、俺が役立たずのせいで、こんな……! ごめん、ごめんね……」

「そんなこと思わないで」


 ヒシアは掠れた声で答える。


「それよりルルナ……私がいない間、大変だったでしょう。風邪を引いてない……?」

「俺の心配なんかどうでもいいよ! 今はとにかく休まなくちゃ。俺、何か食べやすいものを作るから、その間……」


 ドンッ、という谷底からの地響きが、ルルナの涙声を遮った。

 誰かが洞窟まで一跳びで来て、ヒシアの横に立っている。

 力を振り絞って瞼をこじ開けると、一人のフウチャイが、血のような赤色の瞳で、ヒシアを覗き込んでいた。その頭には、小ぶりな灰色の角が二本生えている。


「おー。へまをするとは珍しいじゃないか、ヒシア」

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