第5話 新年


 ヒシアは糸の作り方の他にも、布の織り方、森林での食べ物の採り方、川での魚の獲り方など、色んなことをルルナに教えてくれた。


 また、ルルナが一人でも洞窟から村や川や森林に出られるよう、椰子の実の繊維で長い綱を編んで、洞窟や樹木に固定してくれた。至れり尽くせりである。

 ヒシアならこの程度のこと、簡単に高速で終えられるとはいえ、いくら何でもお世話になりすぎてどうしたら良いのか分からないルルナだった。

 とりあえず、もっと大きくなって力をつけて役に立てるようになって、恩返しをしようと心に決めている。


 季節は過ぎ、暑季を迎えた。


 今日は近くのティチャン町という所に出て、明日に控えた正月に向けて買い物をするそうだ。ヒシアは籠を二つ用意して、ルルナと共に川に降りた。


 プケア川は水質が良くて、魚の臭みが少ない。プケア川蛯かわえびやプケアなまずは町の人にも人気であり、売りに出ると大抵売り切れる。


 ルルナとヒシアは協力して、川蛯を四十尾、鯰を二匹捕まえた。本当はヒシア一人でやった方がうんと早いのだが、わざわざルルナに魚獲りの練習をさせてくれるのだ。

 ヒシアは短刀で手早く鯰を捌き、川蛯は殻のままにして、それぞれ籠に入れる。二つの籠を天秤棒にぶら下げ、ルルナに渡した。


「さあ、新鮮なうちに行きましょう!」


 ヒシアはルルナを抱き上げ、プケア山脈の稜線めがけて飛んだ。これも、ヒシア一人なら高速移動できるのに、ルルナの体に負荷がかからないようわざと通常の速さで飛んでくれている。

 前は寒かった山越えも、この時期ならば涼しくて心地よい。


 降下していくと、やがて眼下に田畑が現れ、藁葺わらぶきの家の屋根が見え始めた。更に村の中心部へ向かうと、家が増えて、広い通りを人々が行き交うのが窺えた。

 雨季の集中豪雨に備えて、道は真ん中が盛り上がっており、端っこは低くなっている。その両脇に建つ家々も、冠水に備えた高床式だ。


 向こうにはに板葺いたぶきの長い屋根があるのが見える。あれが市場で、商人たちがいっぱいお店を開いている。必要なものはあちらで購入するため、まずは籠の中のものを売って空にしたい。


 ヒシアは市場から少し離れた路地裏に降り立つと、笠をかぶり、ルルナから天秤棒を預かって肩に担いだ。

「さあ、売り歩くわよ」

 ヒシアは息を吸い込んだ。

「プケア川蛯ー、プケア鯰ー、新鮮ですよー」

 ルルナも真似をして声を張り上げた。

「プケア川蛯ー、プケア鯰ー、美味しいですよー」


 ルルナも昔は家族で町まで出て、米を売ったり魚を買ったりしたものだ。魚や野菜や果物が手頃な価格で手に入るのでありがたかった。彼らから安く買うことができれば、市場に向かい、余ったお金で飴や餅菓子なんかをちょっぴり買ってもらっていた。

 

「おい!」

 鋭い声に呼び止められる。ヒシアは笑顔で振り返る。

「はーい、お呼びでしょうか?」

 その人は、穴の空いた笠からねじれた二本の角が突き出ているフウチャイだった。


「鯰! いくらだ!」

「一切れ二タクでございます」

「高ぇな。三つで三鈬にしろや」


 半額とは、随分と大胆な値切りである。しかしヒシアは笑みを絶やさない。


「そうですね、では大負けして、三切れで五鈬。いかがでしょう?」

「いかがもくそもあるか。せめて四鈬!」

「ではでは、三切れで四鈬五十セイ。どうです?」

「……チッ。仕方ねえな」


 チャリチャリ、とルルナの持つ麻袋に硬貨が入れられる。半額から四分の三まで吊り上げたのだから大したものだ。


「ありがとうございましたー」

「ありがとうございました!」


 ヒシアとルルナは揃ってお辞儀をした。

 その後、プケア川産の蛯や鯰を食べたがる人が次々寄ってきた。あんなにあったのに、日が昇る前に二つの籠は空っぽになり、ルルナの持つ財布は重くなっていた。


「よし! 市場へ行きましょう! 本格的に暑くなる前で助かったわ」

 ヒシアは今度は歩いて移動した。何でも、角性かくせいの人々の町でやたらと飛び回るのは嫌がられるそうだ。


 普段、市場では岩塩や魚醤、それに裁縫道具などの日用品くらいしか買わない。今回はご馳走を作るために、他の食材も買う予定だ。ヒシアは今日の稼ぎの他にも、これまでの貯金を持ってきていた。

 せっかく貯めていた一人分のお金なのに、ルルナのせいで余分に使うことになってしまって、申し訳ない。


 市場に着いた。年末ともあって、多くの人が買い出しに来ている。天秤棒を縦にして持っていたルルナは、三回ほど人にぶつけて怒鳴られてしまった。また、翼性よくせいは得てして角性のフウチャイより小柄であるため、ヒシアも歩くのにやや難儀している。


 八百屋さんで、ヒシアは緑豆を百グワぶんと、瓜を一つ求めた。店主は雑に量った緑豆と雑に選んだ瓜を差し出した。

「おらよ。緑豆が十鈬、瓜が八鈬だ。きっちりよこしな」

「はい」

 ヒシアは値切ることもなく言われた通りの額を渡す。確かに、賎民が平民相手に値切りを吹っかける場面は、ルルナも見たことがない。というか店の方が賎民に吹っかけることが多かったと思う。


 その後、肉屋さんでは鶏胸肉を三百瓦。これは二十一鈬。

 岩塩と魚醤と椰子油と酒も買い足し、財布はだいぶ軽くなった。

 売り物を入れていた籠には購入した食材が入っていた。


 町の外れまで出てから、ルルナはヒシアから二つとも籠を預かり、腕に一つずつぶら下げて、天秤棒を握り直した。


「さて、いっぱい料理をしなくちゃ」

「うん!」


 洞窟に帰り、ルルナはうきうきとヒシアを手伝った。


 ちまき。村人からもらった米を炊いて潰す。緑豆は椰子の果肉と共に煮込んで潰して餡にする。甘蕉かんしょうの葉の上に米を平らに敷いて、緑豆の餡を包み込んで結ぶ。これをいくつも作り、鍋を使って蒸す。


 蒸し鶏。蒸し終わって粗熱を取ったら、手で割いて食べやすい大きさに。暑い時期だから、なるべく涼しい場所に置いておく。また、これにかけるタレとして、魚醤と岩塩と、森で採った香草をすり潰したものを混ぜ合わせる。


 鶏の炒め物。鶏肉と瓜を薄く切る。これは明日の朝、鍋に油を敷いて、酒を注いでさっと炒める予定。


 調理が終わり、大晦日の夕飯としてささやかな汁物と、採れたての果物を食す。この時期は様々な果物が旬を迎えており、味に変化があって飽きない。

 今日は茘枝れいし芒果ぼうかである。

 茘枝は小さくて甘酸っぱい果物で、赤い果皮に短刀でちょっぴり切れ込みを入れてこれをむしり、白くてまん丸な果実を食す。

 芒果は大きくて甘味がとても強い。内部には平べったい板みたいな種が入っているから、この種に沿って真っ二つに切り、現れた鮮やかな黄色い果実をすくって食べる。

 ヒシアは二百年以上かけて森林を飛び回ってきたから、これらの果物の自生地をみんな把握しているのだ。ルルナが平民だった頃に市場で買ってもらっていたような果物は、品種改良された栽培種だったが、こうして野生の果物を食べるのもわくわくして楽しいし、素朴な味わいも好ましかった。


 お腹をそこそこ満たし、日が完全に落ちる前に布団を敷いて眠る。年間で最も暑い時期のため、夜になっても空気は冷えない。しかしヒシアは相変わらず、ルルナのすぐそばに布団を敷いて眠る。翼で包まれるとお互い暑いのでそこまではしないが、隣にヒシアがいるだけでルルナはどことなく安心できる。


 そうして新年を迎えた。洞窟に朝日が差し、起床したヒシアとルルナは、新年のご挨拶として頭を下げて挨拶をした。

「明けましておめでとうございます」

 この日からルルナは二十四歳に、ヒシアは二百七十五歳になる。


「さあ! ご馳走を食べましょう!」

「うん!」


 二人は料理の仕上げをして、向かい合って料理を食べた。

 粽、蒸し鶏、鶏と瓜の炒め物、椰子果汁、それからちょっとだけお酒。


「美味しい!」

「そうね」


 因みに生家では他にも、胡椒を振った豚の焼肉とか、野菜の米皮巻きとか、冷やし麺とか、卵と砂糖で作る錦糸飴なんかも食べていた。

 しかしルルナは、賎民になったからにはご馳走にありつくことは二度となかろうとすら思っていたから、こんなに食べ物があることがむしろ嬉しかった。

 それもこれもヒシアが強くて優しいお陰だ。

 ヒシアはルルナが蒸した粽の葉をむきながらにこにこして言った。


「長らく一人でここにいたから、正月を一緒に過ごせる人がいて嬉しいわ」

「えっ、でもっ」

 ルルナはちょっと慌てた。こんなに良くしてもらっているのに、優しい言葉までかけてもらって……ルルナはヒシアから色んなものをもらいすぎている。

「俺の方こそ、ヒシアと一緒で嬉しい!」


 ヒシアは少し切なげな顔をして、ルルナの頭を撫でた。


「ありがとう。……来年は私、もっと稼いで、もっとご馳走を用意するから。楽しみにしていてね」

「うん。俺も役に立てるように頑張る!」

「頼もしいわね。でも、無理することはないのよ」

「無理じゃないよ! だって俺、まだヒシアに迷惑かけてばっかりだから……ヒシアには色んなものをもらってばっかりなのに、俺は役に立ててないし、動くの遅いし、愚図だし……だから、いつか大きくなって、自分のことを自分でできるようになって、ヒシアの手伝いもできるようになるんだ」

「そう……」


 ヒシアは目を細めた。


「大きく立派になるというのは素敵な目標ね。でも、知ってる? あなたはもう、私にたくさんのものをくれているのよ」

「……そうなの? 何を?」

「あなたは可愛いし、頑張り屋さんだし、素直で良い子だわ。あなたがそばにいると、私は安心する。だからね、焦ることはないの。あなたを迷惑だなんて思ったことはないし、あなたが居てくれるだけで私は嬉しい。それを忘れないでね」


 居てくれるだけで。

 ──実の親には、居るだけで迷惑だと言われたし、ルルナもその通りだと思っているのに。


 ルルナは何も返事をできなくて、代わりに粽をかじった。

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