第4話 仕事

 

 ヒシアはルルナに、物置から樹皮と枯れ木を数本取ってくるよう頼むと、水を汲みにいった。湯が沸くまでの間に、さっきの稲藁でルルナの笠を編み上げる。


 それから黄色く熟すまで保管していた甘蕉かんしょうを四本持ってきた。

 これは栽培にも適した果実だが、山あいにも自生している上に、椰子と同じく通年で実がなるので手に入りやすい。


 沸いた湯に山菜を放り込み、さっと湯掻いてざるに上げ、壺に保存している魚醤を垂らした。


 朝食の品目はこの二つ。すぐに食べ終えてしまう。食休みを取りつつ、ヒシアは笠をルルナにかぶせて、顎紐を調整した。


「よしよし。じゃあルルナ、まずは食器を洗いに川へ降りるわ。私があなたを抱っこするから、私の分まで食器を持っていてくれる?」

「うん」


 ルルナは手際よく食器と調理器具を重ねて持った。川での皿洗いも手慣れた様子だ。着ていた服から察してはいたが、おそらくルルナはあまり豊かではない平民の家の出身で、家事も自ら行なって来たのだろう。

 食器を洞窟に戻したヒシアは、短刀を二本帯にぶら下げ、籠を腕にかけて、再びルルナに向き合った。


「出かけるわよ。今日からあなたには、ここで生きる術を学んでもらうから」

「どこへ行くの?」

「少し上流の方。山芭蕉やまばしょうを採りに行くわ」

「えーと……食べられるの?」


 ヒシアはにこにこした。


「確かに甘蕉と似た種類の草だけれど、食べ物じゃないの。繊維を取って蕉糸しょうしを撚って、それで蕉紗しょうさを織るのよ」

「えーと、布だよね? 偉い人が着るような」

「そう。それが私たちに課された人頭税なのよ」

「人頭税?」

「多くの平民はその年の収穫高に応じて何割かの税を取られるでしょう? 賎民はそうじゃなくて、豊作でも凶作でも、年に納める量が変わらないの。二十歳以上の住民が一人一人、決まった量の税を毎年納めるのよ」

「え、じゃあ、俺も?」

「そうなるわね」


 それもまた、タシャト村の人々がルルナを忌避した要因だろう。非力な子どもであっても、きっちり税は取られる。鱗性のルルナに一人前の働きは望めない。ルルナの分まで布を織る余裕のある者とてそうそういない。


「あの、一人あたりどれだけ納めるの?」

「長さ八ジンに幅二紝を一枚として、十枚」

「……それって、どれくらい?」

「普通にやれば、朝から晩まで年中無休で糸を紡いで績んで織っても間に合わないくらい?」

「えっ!?」

「じゃあ、行きましょう」


 ヒシアはルルナを抱えて川の上空を遡り、対岸のプケア山脈側に降りた。麓には、大小さまざまな山芭蕉が自生している。大きなものは、根本から中心部にかけて葉っぱが寄り集まって幹のようになっており、そこからは先には大きな葉が広がっている。さながら細っこい樹木である。


「これは、村の土では何故か育たないから、栽培できない。プケア山脈の西側の麓に自生しているだけ。でも毎年たくさん生えてくるし、三年くらいでうんと大きくなる」

 ヒシアは己の背丈の二倍ほどもある山芭蕉の硬い幹を叩いた。

「今日はこれを持って帰ります」

 ルルナは驚嘆の表情でそれを見上げた。

「これ丸ごと?」

「丸ごとよ」

「どうやって?」

「根元の方を二方向から短刀で切って倒すの。そしたら葉っぱを切って、幹のところだけ籠に詰めて回収するわ」

 ヒシアはルルナに短刀を手渡した。

「私が言った通りの角度で叩けば大丈夫! 一緒にやりましょう」


 いつもなら高速で終えてしまう仕事だが、今回はルルナに覚えてもらうのが目的だ。運ぶのはさておき、切り倒すところまでは一緒にやりたい。


 ルルナはまだ小さいためか、それとも鱗性りんせいの特徴ゆえか、あまり力が込められないようだった。全身を使って短刀を叩き込む動作は、初めてにしては綺麗にできているのだが、なかなか深くまで刃を打ち込めない。


「うぅ、俺……ヒシアに負担をかけちゃうのに……役に立てなくてごめん……」

「そんなことないわ、上手だったわよ。手伝ってくれてありがとう」


 悄然としてしまったルルナを励ましつつ、ヒシアはルルナの手を取って、梢の葉を切って落とすやり方を教えた。その後、幹を持ち上げて籠に入れてもらい、籠を抱えてもらった。

 再び抱っこでルルナを連れて帰ろうとしたところ、ルルナが後ろを指差した。


「ねえ、あれ何?」

「あれ?」

「空のやつ!」

「空……?」


 ヒシアはルルナの指さす方を見た。

 真っ青な空を長細い影が渡っていく。北東に向けてゆっくりと進んでいるようだ。それは中天に達しようとする太陽を遮り、辺りが一瞬、うっすらと暗くなった。

 謎の飛行物体は、何だか船底に似た形をしているが、船は空を飛ばない。というかあんな高くを飛ぶ物体があるなどという話は聞かない。

 誰か物凄い仙力せんりきの持ち主がいて、あれを浮かせているのか? だとしたら何を目的に? 全く意味が分からない。

 胸がざわざわする。


 ──鱗性が現れるのは、凶兆。


 ヒシアはその忌まわしい考えを振り払い、翼を広げた。


「何かしら、私も知らないわ」

「ふーん」

「それより帰って続きをやらなくちゃ。まだまだやることはたくさんあるわ」


 採集した幹は縦に切れ目を入れてほぐし、皮と化した葉をはがしていく。あれだけ強固に集まっていた葉が呆気なく解体され、曲がりやすい素材になる。それらを煮立った湯に入れて、繊維を取り出しやすくする。


 ルルナは感嘆してその作業を見ていた。

「凄くたくさんの繊維が……! こんな植物があるなんて知らなかった」

「効率が良いでしょう? もうびっくりするくらい取れるから、栽培できなくても何とかなってるのよ」


 ヒシアは木箱から一掴み白い粉を取って鍋に入れた。

「これは白焔豆はくえんまめの実を摺った粉。これと一緒に煮ると、繊維がしなやかになって、色も白くなる」

「へえ」

「半コクほど煮詰めるから、その間に別のことをしましょう」


 ヒシアは既に取り出し終えて乾かしてあった山芭蕉の繊維を持ってきて、更に細かく割き、時折水で湿らせながら、繊維どうしを捻って撚り合わせていく。

 ルルナはヒシアの手元をじっと見ている。


「麻糸を紡ぐのはやってたけど、蕉糸はもっとずっと長いんだね」

「そうね。ルルナもやってみて」

「うん」


 ヒシアは慎重に手先を動かすルルナにあれこれ教えつつ、自分は高速で糸をんでいった。村人に頼まれた分も作らねばならないのだ。そう言ったヒシアを、ルルナは不思議そうに見上げた。


「ヒシアはタシャト村を追い出されて洞窟に居るのに、どうして村の人の仕事をして、村の人の役に立とうとするの?」


 ヒシアは一旦手を止めて、ルルナの頭をそっと撫でた。


「それはもちろん、私もあの人たちにはお世話になっているからよ。持ちつ持たれつだもの。それに、そうね、たとえ仲間に入れてもらえなくても、こうしていれば私のことを少しは認めてもらえるでしょう?」

「認めて……?」


 ヒシアは頷き、また繊維を手に取った。


「さっき、人頭税は『普通にやったら間に合わない』と言ったでしょう。だから仙力ごとに役割分担をしているのよ。村には、私ほどじゃないけど速く糸を紡げる人や、念力で機織り機を動かせる人、力持ちで材料をいっぱい運べる人……色んな人がいるの」


 それでも間に合わなかった年は、不足分をお金で納めても良い。もちろんそちらの方が高くつくが。それすらできなかったら労役のために連れて行かれる。これがかなり過酷な労働で、死人が出るとの噂もある。


 そうならないため、タシャト村の人々は協力し合う。機織りに向かなくとも、水を操れる者は田畑の世話を担うし、治癒能力のある者は病人を看る。


「私は田畑を持たないから、よく食べ物を分けてもらう。その分、糸をたくさん作れるから、皆の分までやるの。それに、皆に嫌われていても、認めてもらえるだけで嬉しいわよね、やっぱり」

「そっか……」


 ルルナは俯いて何か考えている様子だったが、しばらくすると顔を上げ、一生懸命にこんなことを言った。


「でも俺、ヒシアが強くて優しい人だって分かるよ。まだ昨日会ったばかりで、ヒシアのこと全然……何にも知らないけど……。でも、ヒシアは生活費も人頭税も増えるって分かってて、俺のこと助けてくれて、面倒も見てくれてるんでしょ。だから俺はヒシアのこと、尊敬するし、凄いと思うし、いっぱいありがとうって言うよ」

「あら……」


 ヒシアは動きを止めて、真剣な顔でこちらを見つめるルルナを見た。

 ふっ、と頬が緩んだ。


「ルルナ。ありがとう」

「俺の方がお礼を言ってるのに」

「私もお礼を言いたくなったの。駄目?」

「だっ、駄目じゃないけど」

「ふふ。ありがとう、ルルナ。ここへ来てくれて」


 その夜は、風が強かった。月明かりが差し込む洞窟の中は、入り口から反対側の出口まで風が通って涼しい。

 ルルナは隣で横になりながら、掛け布団を頭までかぶってぎゅっと握りしめていた。

 ヒシアはちょっと声をかけてみた。


「どうしたの? 寒い?」

 布団がもそもそ動いた。

「さ、さむい」

「分かったわ、こうしましょう。ほら」


 ヒシアは起き上がって布団を寄せた。自分の掛け布団をルルナにあげると、布団の中で片翼を広げ、ルルナの肩を包み込んだ。


「これで、少しは温かい?」

「……うん……」


 ヒシアはルルナの額に優しく触れた。


「それなら、ゆっくりお休みなさい」

「……うん……」


 やがて翼の中で寝息が聞こえ始めた。ヒシアも目を瞑った。


 ──師匠が旅に出てからは、真っ暗な洞窟で一人で眠っていた。そのことを寂しいと思ったことはないけれど、色んな記憶が浮かんで、憂鬱な気分になる日もあった。例えば、二百五十三年前に、家を蹴り出された時のことや、タシャト村から追い出された時のこと。


「由緒あるトゥルガ家から翼性が出たなんて、とんでもない恥だわ! 穢らわしい賎民が、こっちへ来るんじゃありません!」

「ごめんねヒシア、私たちはあなたを追い出さないといけないの。これからはつらい生活になると思うけど、私たちのことは忘れて、何とか生きていきなさい。私もあなたのことは忘れるから。さようなら」


「こいつ火を使うぞ! しかも制御できてない! 火事にでもなったら、タシャト村は全滅だ……」

「うわあ、こっち来んな! 頼むから燃やさないでくれ!」


 でも、今は傍らにこの子がいる。自分の翼の中で安心して眠っている、いとけなく可愛らしい子が。それを思うとヒシアの心も温まる気がした。

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