終章  未来に向かって

 現実世界。地下メンタルラボ。第37階層。

 試作型仮想世界装置、《メイヴTP5》の治療室で、四人の人影が新たな試みに挑戦しようとしていた。

「では、準備はいいね、海斗くん」

 大牟田が、端末を操作して尋ねていく。

 あれから一週間。様々な検査を経て、海斗や柚葉、礼愛に異常がないか確かめていった。

 後遺症やそれに類するものもなかった。管理AI、《アズライル》と《ジブリル》の予測によると、治療は継続すれば良好との見立てが成された。まだ引き続き検査は続くが、概ね、問題は無しとされた。

 その治療の対象の一人――海斗は柔らかな笑顔で応じた。

「はい、問題ありません。もう十回目ですし。今回は楽な内容なんですよね?」

「そうだね。今回は比較的簡単なVR治療だ。『海水浴で良い思い出を作る』――まあ、前回がハードだったから、休養のつもりで潜っておいで」

「兄さん、たくさん泳ごうね。VRでも、わたし泳ぐの楽しみ」

 柚葉が笑顔で言った。もう以前より明るい声音を出すことが出来る。兄との語り合いをし、苦難を経て成長した。彼女が一番改善された患者だろう。

「ああ。たくさん泳ごうな。――それにしても礼愛、良かったな。今度は無双出来るぞ。お前、夏祭りではポンコツだったけど、泳ぎは出来るだろ?」

「ちょ、何言ってるんですか海斗さん、ハッカーが泳げるとでも? 泳げないに決まってるじゃないですかー」

 礼愛は大げさな動作で無理を表現した。

「自慢じゃないですけどわたし、カナヅチですよ! 三メートルどころか一メートルも泳げません! もし溺れたら人工呼吸でファーストキスお願いしますね☆」

「いや……お前が溺れてもサメに食われたと思って、焼きトウモロコシとか食ってるよ。俺は」

「わたしも。頑張って、礼愛さん」

「対応の差!」

 三人の中で笑い声が上がった。 以前とは浮かべる笑みの質が違う。

 ――経験した。本当に沢山のことを。体験し、そして語り合った。

 家族として、そして新しい友人として。家族になることを約束した、彼らたちの絆は本物だ。

「それより海斗さん、美少女二人の水着姿ですよ。今から楽しみじゃないですか? 柚葉さんはもちろん、わたしだって理想的なプロポーションですからね」

「はいはい。……言っておくが礼愛、サンオイル塗って~♡とか馬鹿なことは言い出すなよ。絶対にやらないからな」

「ああっ、言おうと思っていたのに! 楽しいイベントなので言おうとしてたのにーっ」

「……でも、今の記憶、プロテクトしたら普通に言いそうだよな……。すいません大牟田さん。サンオイルの発言、出来ないようにお願いします」

「いや、そこまで細かい調整はちょっと……」

 大牟田が苦笑いして端末を操作している。礼愛が「だったらスイカ割りしましょうスイカ割り! 海斗さんを回してゲロゲロです!」などとぬかしていた。海斗はやれやれと思いつつも、どこか楽しそうにしていた。

 各スタッフが声を大牟田にかける。メイヴTP5の最終調整を行い、大牟田が三人に声をかけていく。

「さて。みんな、準備は整ったよ。――VR世界への準備はいいかい?」

 それぞれが返事をする。

『もちろん!』

 大牟田以下、スタッフたちは頷いた。これなら心配ない。彼らは患者の中でも特に気を使うべき少年たちだった。それぞれが深い傷を負い、この施設に来た。

 でももう大丈夫だ。そう遠くない未来、彼らは地上で普通の暮らしを行える。

 ――やがて、大牟田がメイヴTP5の作動に移る。各スタッフ達が別室でモニターし、三人のバイタル確認を並行していく。

「三人の精神状態を確認。――オールクリア。メイヴTP5、起動開始。フェイズ1、フェイズ2、完了。――LCDを放出。海斗くん、柚葉さん、それに礼愛さん。また現実で。今度は一緒に食事でもしようか」

「あ、いいですね。了解です」「わたし、料理してみたいです」

「あ! じゃあわたしも! 柚葉さんには負けませんよーっ」

 三人の声に、スタッフたちが優しく微笑む。

 やがて人工水が満たされる。彼らの意識が、徐々に潜っていく。視界が、半透明の液体で染まりつつある中――海斗は妹と、新しく友人となった少女へと声をかける。

「柚葉。礼愛。一緒に行こう、どこまでも。俺たち三人で。――今度こそ幸せに!」

「うん!」「もちろんですっ!」

 メイヴTP5が本格的に起動する。三人の意識が徐々に潜っていく。深い、深い――仮想の世界へ。どこまでも精巧に創られた、もうひとつの美しい、可能性の世界へ。

 真っ青な、海が見えた。

 続いて白い雲。広い砂浜。照りつける太陽の日差し。どこまでも広がる、水平線。

 海鳥が鳴いている。遠く押し寄せる波の音。どれもが輝かしい風景。

 ――美しいな。

 三人は眩しさに目を眇め、やがてお互いに口端を緩める。砂の匂い、潮の香り、全てが自分たちを祝福しているように思えた。

「行こう、兄さん」

「こっちですよ、海斗さん!」

 ――海斗たちは、前に歩み出していく。

 過去を克服し、明日を掴むために。互いに声をかけ、将来を語り合いながら、未来の道のりへと進んでいく。

 いつか、笑顔でみんなが現実で過ごせると信じて――彼らは、輝く海へと飛び込んだ。


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サツジン自販機 サナギ雄也 @sanagi_yuuya

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