第十二章 事件の終わりに
ERUDENによる地下メンタルラボ襲撃事件は、発生から約四時間後、現地時間二十一時に終わりを迎えた。
礼愛の裏切りが決定的だった。事件は翌日から各国にて衝撃的な事件として取り上げられ、即座に注目の的となった。
首謀者であるリーパー、及びクラウンは、前者は死亡、後者は捕縛。他にも多くの構成員が、重軽傷で捕まる結末を迎えた。
最大の立役者であり、組織の裏切り者となったジョーカーこと月島礼愛は、ハッキングを生かし、テロリストの無力化に貢献した。
外部からのERUDENのハッカー集団が復帰を試みるが、そのときにはもう生き残っていた防衛隊や職員・各種防衛機構が阻害。テロリストの完全無力化に尽力した。
試作段階だったメイヴシリーズ、《ヒュプノスシリーズ》も全て無事だった。むしろ礼愛が用いた仮想世界への強制ダイブ攻撃を敢行、それにより残るテロリストも捕縛に成功し、多いに貢献した。
今回の事件において、被害は研究者、防衛隊、関係者を含めて死傷者は三十四名。
軽症者を合わせると、じつに二百人以上の被害にも及ぶ大事件となった。
不幸中の幸いにも、メイヴシリーズとヒュプノスシリーズ、そのデータの死守には成功――ERUDENの潜入部隊の試みは、失敗で幕を下ろした。
† †
――というのが、事件の真相の半分の出来事だ。
「それにしても、上手くいって本当に良かったですね」
第一地下メンタルラボ。深夜近くにて。沢山の端末やモニターが並ぶ実験室に、二人の研究員が詰めていた。
片方は大柄でやや太り気味。もう一人は痩せ型で眼鏡の優男だ。
深夜の担当の彼らは、先日のERUDEN襲撃によって生じた研究データをまとめるため、日夜ディスプレイや書類と格闘していた。
「もうあんな事態はこりごりですよ。ほんと、無事に終わって良かった」
痩せぎすの部下の方が軽く声をかける。今日も残った仕事で大忙しだ。目の下にクマがあるのもご愛嬌。
「ああ、これであの兄妹も、状態は良好になるだろう。本当に終わって良かったよ」
眠気覚ましのコーヒーを片手に、雑談に興じる上司。仕事は満載だった。度重なる未知の事態。それに対するデータ収集。
けれど、全てはこれからだ。ERUDENの脅威は終わらない。メンタルラボは以前として狙われ、いつ奇襲が起こるかはわからない。
数々の困難はある。だがそれにも屈せず、今後ますますVR世界の研究は発展していくだろう。
「まあ、ともかく終わってほっとしたよ。我々も気が気でなかった。数々の事態やアクシデントを想定していたとはいえ。何度も気を揉んだ」
「僕もです。……本当に大変でした。計画が果たして成功するのか。最後までモニターを見て生きた心地がしませんでしたよ」
「半年前の自分が何度聞いても耳を疑うだろうな……それほど、今回の計画は異常で、前代未聞の試みだった」
太り気味の上司と部下が乾いた笑みを発すると、上司がコーヒーを片手に心底疲れた様子をみせた。そしてことりとテーブルに置くと、やがて真実を口にする。
「――なぜなら、今回のERUDEN襲撃は柚葉さんの『被験創造物』によって創られた偽者だからな」
――事の発端は、以下の通りだ。
『柚葉さんに大規模な成功体験をさせる、だって!?』
半年前。地下VRメンタルラボの一室にて。海斗からもたらされた提案に、大牟田医師は驚愕に目を見開いた。
『はい。このまま柚葉と一緒にVRで生活していても埒が明きません。だから大規模な作戦を行いたいんです』
それは誰もが息を呑む計画だった。これまで海斗は、八回にも渡るVR世界へのダイブで柚葉と生活を試みた。
しかし海斗はともかく、柚葉は回復には程遠い。未だ現実では爪を噛むことやリストカットで自分を傷つけるなど自罰行動が絶えなかった。
そこで海斗は提案した。『柚葉の被験創造物を利用して、大々的に成功体験(サクセスストーリー)を経験させる』ことを。
医師は全員が大反対をした。――危険すぎる。前代未聞だ。成功する可能性はゼロに等しい、保証出来ないとして、二人に何かあったら責任も取れないと猛反発した。
しかしこれには海斗は整然と反論した。
『このまま普通にVR治療をしても柚葉の治療は進みません。八回のダイブで、俺は局所的に柚葉の被験創造物を退治しただけでした。――これを繰り返して完治しますか? 無理でしょう?』
『それは……そうだが……』
『だから考えたんです。――世界には、危険思想を持つ集団が多くいますよね? 例えば中東のISB、北欧のKDTE、全世界に影響あるGSA……それらテロリストを、柚葉の【被験創造物】で創り出すんです。――それを俺の『殺人自販機』で倒します。その過程で、柚葉の治療を試みます』
『あり得ない……危険すぎる発想だ。……第一、柚葉さんが回復できる確証はどこにもない』
『柚葉は俺に対する負い目から【被験創造物】を創っています。自罰的な行為です。けれどそれは、【兄と一緒に困難を乗り越えたい】――という願いの裏返しでもあるんです。だから俺たちに大きな窮地が襲いかかっても、それを二人で打破出来れば、回復に繋がると信じています』
危険極まる発想に、医師やスタッフの間で議論が交わされた。
確かに、海斗の言うこともわかる。彼らは極めて危険な状態でメンタルラボに運送された。
兄の海斗は殺人衝動を起こすくらいには危険域で、柚葉は自身を何度も傷つけている。二人は互いに自責の念を持っていて、特殊な治療が必要だと早くから指摘されてはいた。
しかし、柚葉の被験創造物でテロリスト集団を創ることは両刃の剣としか言いようがない。
成功すれば二人の精神は大きく改善されるだろう。――だが失敗すれば精神に取り返しが傷が残る。
提案は一度、却下されかけた。満場一致で反対の意見が飛び、そのことを海斗に伝えかけたたが――。
そこで第三者が待ったをかけたのだ。
正確には第三者という表現は正確ではない、それは人間ではなくVR世界を統括する人工知能だった。
――白い衣装に身を包み、双子の天使の姿をした、最新のAI。
名称を《アズライル》と《ジブリル》。
VR空間内において、必要に応じて現れ、患者の精神へ重大な負荷が掛かる直前に、サポートを行う双子型の最新AIだ。
この管理AIは、海斗や柚葉のメンタル治療のために幾度もシミュレートした。
大規模なVRメンタルラボ襲撃事件を起こした場合、柚葉の精神は現状より320パーセント以上回復する、要所で自分(AI)たちがVR内で補佐すれば、完遂は可能である。
合計で二十八億八七六五万九三七二回のシミュレートにおいて、たった18パターンだけだが、『治療可能』という結果が出たのだ。
そしてその前提条件として、驚くべきことを《アズライル》と《ジブリル》は伝えた。
それはERUDENの幹部の一人――ジョーカーこと月島礼愛を投入することで達成されること。
医師たちは全員が目を剥いた。
当時、一年前、月島礼愛は患者のフリを行い、バックドア役としてメンタルラボへ潜入。ハッキング事件を起こし、死神(リーパー)らの侵入未遂にまで至った。
しかし途中で失敗。拘束され逮捕されていた。
――彼女も多大な自責の念や罪悪感により、精神的にと診断。VR治療の対象となっていた。
その彼女を計画の一環として利用するというのだ。
反論や困惑が飛び交う中、《アズライル》と《ジブリル》は説明した。
『ハッキング技術をVRの中で発揮させ、海斗と柚葉のサクセスストーリーに組み込む』
『身体的には少年少女に過ぎない二人だけで、テロ集団を倒すことは不可能だ。だが三人がいれば達成は可能である』
『欠けた心を持つ者たちを三人で少しずつ補う。治すにはこれしかない』
大胆だが難しい計画だった。
すぐに大牟田は自分たちだけでは判断は不可能と察した。そこで政府やラボの最高責任者とも相談し、何度にも渡る審議を行った。
結果、『条件付きならば許可できる』という判断が下った。
大牟田医師や祇園指令など、一部の人間もVR世界にダイブして補佐。
要所において海斗たちを守ること。一部の記憶はプロテクトし、矛盾や精神の不安が起きないよう配慮すること。
その他、様々な制約がなされた。
大牟田や祇園指令のVRダイブはある意味で当然だ。これはテロリスト集団を相手に臨場感を出す上で必要。VRでは通常、多くは管理AIが端役の人間――NPCを創るが、彼らを投入することで、襲撃時のリアリティを上げるのだ。
足りない部分は管理AIが順次補佐していく。
それでも反対の意見は絶えなかった。人命や道徳に欠けると医師やスタッフから非難が上がったが、最終的に大牟田は賛同。海斗の熱意もあって承諾した。
『本当ですか!?』
海斗はその経緯を聞かされ、涙を出して嬉しがった。大牟田は念を押すように語った。
『けれど海斗くん。成功する可能性はかなり低い。二十八億回のシミュレーションにおいて、成功出来たパターンはたったの18種だけ。それもERUDENなど武装集団が創造されてしまった場合、些細なミスが失敗に繋がるだろう。――月島礼愛さんとの交流も上手くいくかもわからない。――『元ERUDEN構成員との出会い』、『三人の間での深い絆』、そして『テロ集団を三人の関与で撃破』――これらの中で一つでも果たせない場合、君たちには重大な精神負荷が掛かるだろう』
『わかっています。でも柚葉は今も苦しんでいます。これから治る見込みもない。……俺は、あいつがまた学校に行ける日を見たいんです。お願いです大牟田さん、あなただけが頼りなんです』
そう言われては主治医としては最大限の配慮を考えるしかない。
大牟田は悩みつつも最後にはその願いを受け入れた。
後は各スタッフや管理AI、VR世界に潜る海斗たちの戦いに移っていく。
海斗の精神モニターや順次抑制剤などを投与していたスタッフ――語り合う二人のうち上司が、神妙な顔で呟いた。
「今でも震えるよ。まさかよりによって、ERUDENが創造されるとはな……」
「そうですよね……。柚葉さんは、それだけ自罰心が強かったのでしょう。あれくらいでなければ障害足りえない」
事件――いや計画の詳細なデータを画面の中で整理しながら、上司と部下は続ける。
テロリストの情報は、管理AIが、さり気なく礼愛の問題集や、日頃のニュースの中に紛れ込ませた。その中で最も礼愛が適したと思う集団が被験創造物として具現化されたが――ERUDENだ。
想定される中で最も難易度の高い相手だった。
「『被験創造物』は、本人の心から望むものが汲み取られます。それだけ柚葉さんの自罰心は強く……同時に、海斗さんと一緒に超えたい障害として創造したのでしょう」
「そうだな。それは彼女が終盤、自ら礼愛を説得しに向かったことでも証明されている」
柚葉は守られる存在であることを重荷に感じていた。だから自分で兄のために行動することも願いになっていた。礼愛は、現実ではすでに逮捕されていたが、あのときの言動は、彼女たちの感情は、紛れもない本物だった。
「VR世界の構築も、これまでにない規模だったよな」
「なにせウチを丸ごと再現でしたからね。空間転換も誤差修正が大変でしたよ」
海斗たちは計画の中で、現実とVRを行き来したと錯覚していた。
夏祭りの終盤、アラートが鳴り海斗たちは現実世界へ引き戻され、ERUDENと戦ったわけだが、それは誤認だ。
実際は周囲が彼らの街からメンタルラボに映っただけ。あのメンタルラボ襲撃、それらも含め全てVR世界での出来事だった。
今回の事例、時系列を整理すれば以下のようになる。
一年前、礼愛がハッキング未遂。メンタルラボへ患者として潜入し失敗。逮捕される。
彼女は精神面の治療のためVR治療の被験者になる。現実のERUDENは襲撃を失敗。
同じく一年前。海斗、柚葉が入院。海斗は殺人自販機で改善が見られるも、柚葉は難航。海斗が焦りを覚える。
半年前。八回に渡るVRダイブに業を煮やした海斗が、『VR世界でのテロ襲撃』を提案。審議の結果、条件付きで許可が下される。
二ヶ月前。VR内で海斗、柚葉、礼愛が交流を開始。家庭教師などを通じて絆を深める。
一週間前。柚葉による被験創造物の発現。ERUDENが創造される。管理AI《アズライル》と《ジブリル》は、仮想メンタルラボ空間を構築。スタッフはその補佐に移る。
同時期。VRテロ襲撃に際し、大牟田医師と祇園指令など、一部のスタッフらがVR世界へダイブ。海斗たちの補佐に回る。彼らの記憶も一部プロテクト。海斗たちと共にVR事件の解決に挑む。
記憶プロテクトの内容は主に四つ。――『ERUDEN襲撃はVRである』、『礼愛は養父が囚われていた』『礼愛の養父は現実では特殊部隊が救出した』、『計画は海斗が考案した』――その他、大規模なサクセスストーリーを作るために、矛盾となる記憶は一時封印された。
本来、複数の人間が同じVR世界に潜るのは危険だが、短時間だけなら可能と、《アズライル》と《ジブリル》が演算結果を出した。
また、どうしてもリーパーらの攻撃が過剰すぎた場合、《アズライル》、《ジブリル》らが『白い羽』で阻害を行った。視界を一時遮るのが主だった。
それにより、被害はゼロに収まることに繋がった。
VR世界での死神(リーパー)と道化(クラウン)の言動、及びエクサスケルトンなど、各種装備については、礼愛がERUDENにいた頃、見聞きしたものから再現させた。
――以上が、『ERUDEN襲撃によるVR治療』の全容である。
「……ただ、懸念は現実のERUDENだよな」
やや太り気味の上司が静かにコーヒーを机に置きながら息をつく。
「ええ。死神(リーパー)も道化(クラウン)も、現実世界では未だ活動をしている。今回の彼らは、あくまで構成員だった礼愛さんの証言からの再現体……依然として本物は暗躍しています」
上司が小さく頷く。
「そうだな。ERUDENの支部は各所にあり、それを完全に消すことは難しい。そういった組織との戦いは続いていくだろう」
だがそれは、自分たちが今考えるべき問題ではない。祇園司令や、各国の諜報機関、秩序を司る専門家たちが対応すべき問題だ。各種対応も今後は進んでいくだろう。
「とはいえ、礼愛さんを味方に引き入れたのは大きい。彼女は世界でも有数なハッカーだ。今後は我々に協力してくれる」
「はい。ERUDENの拠点、それをいくつか潰す計画、さっき拝見しました」
いつか本当にERUDEが襲撃してくる可能性はある。だが今回の『VRテロ事件』は、そのための予行演習でもあった。現実で起こったとしても、対処の参考になるだろう。
――やがて、夜も更けてきた。片手で端末を操作し、いくつかのノルマをこなしていた上司と部下は、たまにデータ入力や実験の経過を見つめつつ、成果をまとめていった。
「いずれにしても、無事に終わってくれて良かった。皆、改善された。海斗くんも、柚葉さんも、礼愛さんも。それだけは確かだ」
「はい。全員が危険度Aだったのが、CあるいはDに。あと数回、いや海斗くんの場合はもしかすると、あと一回で安全域――危険度Eにまで戻れる可能性もありますね」
「そうだな。そうであってほしい。彼らには幸せになる権利がある」
「まったくです。誰にとっても、良い結果になってほしいものです」
二人は静かに笑いあった。彼らに祝福を。優しい日常を。そんな、真摯な願いと共に。
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