第十一章 科学の果てに
「楠木海斗。お前は! お前だけは!」
リーパーの冷徹な声が銃火と共に鳴り響く。白く広大な通路に穴を、亀裂を穿っていく。
おびただしい数の銃弾が海斗の背中に放たれる。火薬と発砲音が散る。
笑い声と悪夢のような光景。天井のLEDが破砕される。破片が散る。床や壁が銃弾で穿たれる破壊の痕跡が広がっていく。
残った拳銃の弾にさらされながら、海斗はかがみ込む。壊れたガラスなどを盾にして必至に凌いだ。けれどそれも長くは無理だ。向こうはテロリスト、こちらは一般人。体力も技術も歴然の差。逃げ切れる保証はない。
防衛の頼みの綱だった防火シャッターが時折落ちてくるが、ヒートブレードで容易く刻まれる。なんて執念だ。リーパーは完全に被害を度外視して追ってくる。
あれでは逃げる体力もなくなるだろう。
しかし現状の海斗には有効だった。これでは逃げられない。もう息が切れそうだ。肺が酸素を欲してくる。休みたい。でも出来ない。だから自分の体に喝を入れ、捕まらないように、全身全霊で駆け抜ける。
ふと、白い羽が落ちてきた。
長い廊下の片隅に、大きな箱型の影が立っているのを海斗は見つける。
高さ二メートル超。腕で抱えるなら大人数名は必要なほどの重量。やけに清潔な縦長の四角い、シルエットが特徴的だった。
なんだあれは?
そう海斗が思う間もなく、視界にその全貌を収め、そして彼は驚愕した。
――『殺人自販機』が、通路の真ん中に立っている。
「そんな!? まさか……っ、なぜあれが現実(ここ)に……!?」
殺人自販機は、VRの被験創造物ではなかったのか? どうしてここに? 何かの幻か? 焦燥によって見えた、都合の良い幻影?
そう思う余裕すらほぼ無かった。リーパーから容赦のない銃弾が浴びせられる。銃弾が辺りの床を破砕する。
「逃げられると思っているのか? 愚かな」
海斗は臍を噛んだ。もはやリーパーは理性を失っている。
海斗の脚だけではなく、腕も狙ってきていた。一歩間違えば心臓にも当たる。もはや無事に逃げ続けるのは困難だ。
このままでは、足か胴を撃たれ、行動不能にされるのはそう遠くないだろう。
海斗は思考する間もなく急いで自販機の影に隠れた。間断なく注がれる銃撃の雨、急いでポケットの中をまさぐる。どこだ、どこだ、あってくれ。
焦燥に苛まれながらまさぐっていると。
――見つけた。
一〇〇円玉。どうしてか自分のポケットにあった。治療用の身ではあるはずのない物が。
不意に、海斗の脳裏に白い衣装を来た『天使の少女たち』の幻影が浮かんだ。
あのとき、夏祭りで会った不思議な彼女ら。――災厄が訪れるなど、おかしなことを言っていた娘たち。
深く思考する余裕もなく、海斗は銃撃の合間、一瞬だけ顔を出した。そして自販機の商品欄に――急いで目を走らせると。
『キース・フェルグド』
――おそらくリーパーの本名である名前が、商品名に載っていた。
それがこの状況を打破する情報なのは分かっていた。迷う時間すらない。海斗は即座に顔を引っ込める。ポケットの中にあった一〇〇円玉を握り締めた。
そして「大丈夫だ、大丈夫だ」と早口で何度も呟き、腕だけを伸ばす。決死の想いで硬貨の投入口へ――希望の一〇〇円玉を差し出していく。
「ぐっ……」
銃弾がかすり、右腕に擦過傷が走った。鋭い痛みに呻くが構わない。
すぐに一〇〇円玉を投入口に入れる。――チャリン。軽快な音が鳴る。海斗は激しい銃弾の嵐がはびこる中、伸ばした手を先程見た商品欄のところへ伸ばした。
そして。
ボタンを押す。
そして、そして、そして――。
「――な、んっ!?」
リーパーが、唐突に吐血して倒れた。急激に糸でも切られた人形のような唐突さだった。
フル装備の体はぴくぴくと痙攣するが、起き上がる様子はない。握っていた手から、銃が落ちた。ブレードも通路に転がる。
はあ、はあ、と喘息のような激しい息をつきながら、海斗はそれを呆然と見つめていた。
驚きのままに、忘我のままに、自動的にその黒い装備の男の元まで向かう。
――沈黙していた。
あれほどの猛威を振るったリーパーが、もはやぴくりともせず、倒れていた。
――死んだ、のか?
まず疑念が湧いた。海斗は念の為数十秒の間、隠れた。やられたフリ? それか不調? あらゆる可能性を疑う。
しかしもう何も起きない。彼はうつ伏せになったまま大量の赤い液体を吐き出していた。
それで海斗は確信する。仮想世界で。人に裁きを下して、その果てに――鋭敏化した感覚が、これが事実だと告げていた。
「――終わった、のか……?」
忘我のままに、海斗はそれを口にした。まだ自分でも信じられない。
次の瞬間、リーパーがいきなり飛び上がり、銃を突きつけてくる――そんな幻影も見えた。
しかし現実は冷酷だ。殺人自販機に干渉された者は、確実に命を摘み取られる。
それは何人でも例外にはならない。
海斗は、思わず背後にあるはずの自販機を振り返った。
――先ほどまであったはずのそれは、何故か忽然と消えていた。
「……はは」
海斗の心には、喝采も戸惑いもなかった。助かった事実と、壊れそうな体の節々の痛みだけが意識の大半を締めている。アドレナリンが限界まで放出されている興奮がある。どんな理屈で助かったのかまるで分からない。だが自分は助かった。それだけは確かだ。
「兄さん!」
やがて通路の奥から、今にも泣き出しそうな表情で、柚葉が駆け出してきた。
瞳を潤ませながら胸元へ飛び込んでくる。「良かった……本当に良かった……」泣きじゃくり、精一杯の力で抱き締めていく。
遅れて、全身を包帯で巻いた大牟田医師や、静かな足取りで礼愛がやってきた。
周りには防衛隊と思しき、重装備の人たち。生き残りの防衛隊が声をかけてくれる。
大牟田は「よく頑張ったね……」と褒めてくれ、礼愛は、「……ごめんなさい」と、後悔の念が見える表情でぽつりと呟いた。
それで海斗は実感する。――ああ、終わったんだ。泣きじゃくる妹の背中を撫でながら、自然とそんな感想が内心でこぼれていく。
そうだ、終わったのだ。リーパーたちERUDENの企みは潰えた。これで地下VRメンタルラボの掌握は不可能になり、世界の安寧は守られた。
もはや一片たりとも海斗には体力が残っていない。
終わりが実感できたとき、彼は安堵して、柚葉が抱き締める中、気を緩めて眠ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます