第十章 海斗の奮闘
銃弾が頬をかすめていく。腕に、足に、確実に血の線が刻まれていく。
海斗の足にもうほとんど力はなかった。気力は底を尽きかけていて、それでもなんとか走っていられるのは、自分が捕まってはならないという使命感からだ。
「――人は、堕落する生き物だ」
リーパーが銃弾を放つ。確実に海斗の速力を削ぎながら語っていく。弾倉を交換しつつ、悠然と歩みを進める。
「いかなる人間も権力を得れば堕落する。理想は地に落ちる。人は監視者を添えねばならない。それが我々の使命だ」
「気に入らない人を精神的に壊して、何が使命だ! 欺瞞だ!」
走りながらも懸命に海斗は叫ぶ。体の節々が傷んだ。休みた。けれど己に叱咤する。まだもう少し、保ってくれ。お願いだ。
「崇高な理想というものは、凡俗には理解されないものだ。偉大な発明、偉大な発想。今お前が享受している日常も、先人たちの偉大な発明あってこそ」
「だからなんだ! それは単なる詭弁だろ!」
「お前に問おう。――その服は誰が発明した? 食べ物は? 家は? 使う機械は? ――人は常に発明によって発展を成してきた。しかし発明した物品の、制度を、社会を、その中で旨味のみを味わっている者たちがいる。感謝を忘れ、権力を振りかざし、権力を乱用する。それを我々は許せない」
「だからってテロに正当性なんてない! 屁理屈でまとめるな!」
海斗の反論にリーパーの言葉が刃のように届く。銃撃よりも、何よりも、それは言葉の剣となって海斗に斬りかかる。
「二〇年前。世界は大災害に見舞われた。人々は毎日が、厳しい状態を強いられた。人心は荒れ果て、大国は迷走した。精神が疲弊した人々は、安らぎを求めた。――それは自分への慰め。あるいは他者への暴力だ。結果として、多くの人間が血迷った。紛争が引き起こされ、世界の端まで困窮は拡大した。――誰もが疲れ果てた。判断を誤り、してはならない政策をした。首脳は腐った。企業の幹部も」
放たれる弾丸が地面を穿つ。破砕音が飛ぶ。リーパーが冷然と言う。
「ゆえに、切除しなければならない。間違えた人間は、消えるべきなのだ。世界を担う歯車の重要な者は、我らによって裁かれなければならない」
「人殺しの勝手な屁理屈を! 自分の行動を、勝手な理屈で高尚ぶるな!」
リーパーは残念そうに尋ねた。
「わからないか? お前の日常もその呪いを受けている。災厄のツケが。それが今のお前に降り注いでいると何故わからない?」
「誰だって間違えるだろ! 不安も覚える! だけとそれはお前たちのように、力づくで裁いていいものじゃない! お前たちも、結局間違えてる! 疲弊しているのはお前たちの方だ! 治療する技術を悪用して誰かを陥れる? そんなおぞましいこと、許せない!」
「かもしれない。だが既存の世界は限界だ。革新的な手段は、初めは称賛されないだろう。だが我々は信じている。我らの理想を。理念を。そのために、手段を選ぶ余裕はない。――仮想世界は救済の光だ。人を治すのではなく、壊すために使われるべきだ」
「人の日常を! 奪っておいて――勝手な! お前たちは、ただの大量殺人鬼だ!」
「……っ」
リーパーの目がバイザーの中で細まる。図星を指されて一瞬、体が強張った。だが引けない。もう進むしかない。彼に選択の余地はない。
「――いい加減、追いかけるのも飽いたな」
昏く、冷えた響きだった。これまでどこか抑えていた感情が、剥き出しになる。
「ならば終わりにしよう。楠木海斗、選べ。右脚と左脚。どちらかを。――選ばかなかった方を撃ち抜く。残したい脚を告げろ」
リーパーが銃口を向けた。もう遊びはない。捕獲に入る意思。これまでは彼なりの配慮をしていた。しかしそれも終わり。海斗は狙いをつけられ、リーパーは銃口を定めて勝利する。
ここに介入する邪魔ものは存在しない。銃弾は海斗を無力化し、彼を不自由なステージに上がらせるだろう。
本来は、そうなるはずだった。
――しかし、切り札(ジョーカー)とは、場を覆すためにあるものだ。
〈はいはーい! 全テロリスト共に告げまーす!〉
軽快なアナウンス。音の外れたポップ音が辺りに満ち溢れた。思わず海斗もリーパーも足を止め、辺りを見渡す。
〈可憐なハッカー、月島礼愛でーす! みんな、聞いていますかー?〉
かしましく、それでいてどこか楽しそうな声。聞くだけで明るさが浮き彫りになる可憐な少女の声が響き渡る。通路の備えられた、スピーカーからの声だ。
リーパーが疑念と不快を帯びた声音で吐き捨てた。
「……どういうつもりだ、ジョーカー」
〈はーい、時間もないので手短に! ――えっとですねぇ、今から十秒前。わたし、礼愛が! ハッキングに成功しちゃいました! 具体的には、テロリストちゃんの武器を無力化でーす!〉
「……な、に?」
狼狽のリーパーをよそに、可憐でどこかおどけた少女の声が響き渡る。
〈テロリストちゃんの武装、もう使えません。最新鋭に近いので、ネットワークに接続しっぱなし。不用心ですねー。もう強化外骨格(エクサスケルトン)、掌握されちゃってます。外部から管理できる構造、仇になりましたね!〉
リーパーがバイザー内で蒼白色に顔を染めた。一瞬で全身が硬直していく。
いかなるときで平静だった死神が、初めて怒りをあらわにしている。
「貴様。ジョーカーっ」
通信を広域で繋いだのか、他のテロリストの絶叫が、アナウンスに混じって聞こえてくる。
「――ああああ!」「リーパー、助けてくれ!」「肌が! 焼けて……っ」「ぐああっ」
苦悶の声はリーパーからも聞こえた。全身が激しい痛み。まるで焼けた棒でも当てられたかのようだ。とてもではないが戦闘どころではない。苦渋のERUDENの悲鳴にまじり、礼愛の声が届いてきた。
〈はーい。準最新鋭のエクサスケルトン。じつは欠陥があって、八時間しか使えないんです。で、その理由ですけど、排熱処理が未熟なんですね。八時間でめちゃめちゃ熱くなるんですよ。――それはもう並みのサウナの数十倍! さすがに熱中症で死にます。というわけで、八時間経っていませんけど、『八時間経った』と誤認させちゃいました☆〉
「――貴っ様ァァァッ! ジョーカァァァァァァ――ッ!」
その絶叫は少女には聞こえない。聞こえていても、彼女は気にしない。ろくでもないテロ集団には、天罰あるのみだ。
〈さて。苦情は各所に設置されたマイクから本部へどうぞ。あ、でも繋がれていないか。ELDEN本部への通信もロックしました〉
「裏切ったな、貴様ァ、ジョーカーァァァァァッ!」
〈でもでもー、テロリストちゃんにはまだ制裁があります。防衛のため応援部隊が、あと二時間で着くそうです。――さーて、熱中症に悩まされたテロリストちゃん、めっちゃ強い特殊部隊と戦闘、耐えられます? 勝てたら褒めてあげますよ? ではではー。無事に逃げられたら遊びましょう。月島礼愛でした。バイバーイ!〉
人を食ったような通信。それを最後にぷつりと途絶えた。
後には、各所で排熱処理に苦しむ武将集団の声だけがある。
「――うあああ!」「リーパー、助けてく――」「腕が、肌が……っ」「ううあああっ」
リーパーが、高熱切断刃(ヒートブレード)で無理やりヘルメットを切断した。
顔面があらわになる。火傷混じりのその顔で、海斗へと血走った目を向ける。西欧系の、右目に義眼をはめた壮年が、地獄の底からの亡者の如き声音を吐く。
「――楠木海斗。貴様だけは、絶対に連れてゆく」
リーパーの声音にはもはや遊びがない。冷徹な、狩人としての目と声だけがある。ブレードの熱が辺りに舞う。海斗の肌を熱気が舐める。
「一生をVR漬けの生活にしてやろう。喜べ、妹もジョーカーも一緒だ」
「……出来るかな? そんな有り様で」
リーパーは口端を歪めた。海斗はせせら笑った。やせ我慢でも何でもいい。リーパーを精神的に疲弊させればいい。
追いかけっこは海斗たちに有利だ。礼愛が味方についた以上、防火シャッターはさらに降りる速度が増していく。
「お前たちテロリストは負ける、降参しろ!」
「黙れ楠木海斗。お前の悲鳴を聞かせてもらおう」
リーパーは拳銃を取り出す。スライドを動かす。照準を海斗へと向けてくる。
各所から、復帰する防衛システムの稼働音が聞こえてくる。リーパーが、雄叫びを上げながら海斗を狙い撃った。
海斗は、痛む体に喝を入れて走る。襲撃事件は間もなく、終わりを迎えようとしていた。
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