第15話 大切な気がしたから/エピローグ


 明香あすかちゃんを追いかけて自動ドアをくぐると広めの通路がひらけており、すぐ先にあるフロントカウンターが目に入った。


 カウンターには黒いTシャツを着た女性スタッフが一人。

 もしかしたら止められるかもと思ったものの、どうやら出入りは自由らしく。通り過ぎる際、互いに軽く会釈を交わす。


悠流はるくん。見て、あそこ」


 明香あすかちゃんが指さす先へ視線を移すと、全面ガラス張りのフィットネスルームがあった。広さ自体はそれほどでもないが、どうやら単体での利用も出来るらしく、シャワールームや更衣室が併設されている。


 そしてフィットネスルームそこの反対側、通路を左に逸れた先がお目当てのコートだ。


「残念。ちょうど終わったところみたい」


「だな」

 

 俺たちと入れ替わるように、クラブチームのユニフォームに袖を通す小学校低学年とおぼしき少年少女たちがコーチや保護者と共にキャッキャわらわらとコートを後にするところだった。


 そんな子ども達の背を眺めながら「可愛いなぁ」と明香あすかちゃんは笑みを零しつつ、わたしたちにもあんな頃があったんだよね、と俺に向け同意を求めてくる。


「ねぇ。悠流はるくんは何歳の時にサッカーを始めたの?」


「ボールを蹴り始めたのは二歳らしいけど。クラブチームに入ったのはたしか五歳の時、だったかな」


「そっか。じゃあわたしが引っ越した後すぐなんだ」


「まあ、そうなるよな」


 で、しくも明香あすかちゃんが日本に戻ってくる直前、辞めることになるわけだが。


 離れていたこの八年間、俺がそうだったように彼女にだって色んなことがあったはずで。もちろん病気を克服しただけじゃなく、努力家で、総代だってしっかりとやり遂げてほんとすごいって思う。


 なのに俺ときたら。なんか、逃げてばっかだ。

 

「実は俺、怪我したんだ。試合中に膝やっちゃって」


 急に吐露し始めた俺に一瞬だけ驚いた表情かおを見せたものの、彼女はすぐ俺に向き直すと真剣に耳を傾けようとしてくれる。


 どうして話そうと思ったのか自分でも分からなかった。

 ただ、もしかしたら誰かに聞いてもらうことで一歩進み出せそうな、そんな気がしたのかもしれない。


「全治八ケ月の俗に言う大怪我ってやつで。手術して、その後リハビリも頑張って完治はしたんだけど、やっとのことで復帰だって試合でまた同じとこを痛めちゃって。っつっても二回目は結果的に大したことはなかったんだ。でも、なんていうか……そこで気持ちが切れたっつうか」


 つらつらと纏まらない話だ。なのに明香あすかちゃんはただ黙って話を聞いてくれる。


「さっき、サッカーが嫌いになったのかって聞かれた時。実を言うと自分でもよく分かんなかったんだ。けど……多分、嫌いにはなってないと思う」


 言い終えると明香あすかちゃんは「そっか」と、優し気に微笑んだ。


「ねえ、上にもコートがあるんでしょう? 上がってみようよ」


「え? あぁ、うん……。そうだな」


 彼女に続き奥にある階段を昇ると、フィットネスルームこそないものの二階も一階とほぼ同じ構造だった。


 ただ天井は少し低めでコートも緑色のネットでぐるりと一周覆われていて。そしてコートの外にはまるでスペースを埋めるかのように多くのパイプベンチや自販機が設置されている。


 肝心のコートに目を移すと、社会人とおぼしきひと達がプレーしているところだった。どうやら正規の5対5には人数が足りないらしく、キーパー抜きで4対4をしているらしい。


 経験者に未経験者が混ざりつつ、といった感じだろうか。

 フットサルと言えば足裏というイメージがあるが、彼らの動きはそういう意味でサッカーっぽく映った。


 ただ、俺が知っているサッカーそれとは違くて。

 誰かが誰かに激を飛ばしたりすることも無ければ、責め立てたり意見をぶつけ合うこともない。ただ和気あいあいと楽し気にボールを追いかけるその姿はなんというか、サッカーを始めた当初ころの自分に重なって見えた。


 そんな折、ベンチに座っている一人の男性と目が合う。


 俺と明香あすかちゃんが軽くお辞儀をすると、短めに顎髭を狩り揃えた渋めの男性が「次の人?」と妙に距離感の近い柔らかな口調で問いかけてきた。


 座っているためよく分からないが、ガッチリとした体格で多分180センチ以上あるだろう。年齢は二十代後半か三十代前半だろうか、少なくとも親父よりは若そうに見えるが、正直そのくらいになってくると何歳なのかがよく分からない。


「あの、次の人っていうのは……どういう?」


「え? あぁ。単に次の時間に予約してる人ですかって意味で聞いたんだけど」


「そういうことですか。違います、俺たちはブラっとっていうか、ただ見てただけで。邪魔でしたよね、すぐ帰りますから」


 そりゃそうだ。見られていい気のしない人だっている。

 俺は男性に向け頭を下げると明香あすかちゃんに目配せをし行こうぜと足早に踵を返した。のだが、「あー! ちょっと待ってっ」と背後から声を掛けられ脚を止める。


「違うんだ。もし時間があるなら座んないか? 見ての通り人数が足りてなくて。一人暇してたんだ」


 まさかお誘いを受けるなどと思ってもおらず、俺と明香あすかちゃんは目を合わせる。

 どうする? 無言で目配せするとまず明香あすかちゃんがこくりと頷き、俺ももう少し見ていたかったこともあり、結局「じゃあ」とお言葉に甘えることにした。


「どうぞどうぞ。隣、座りなよ」


「はい、お邪魔します」


 お邪魔しますというのも変だとは思いつつ、とりあえず座らせてもらうことにする。男性の隣に俺が、そして俺の隣に明香あすかちゃんがちょこんと並び座る。


「君、経験者だろ?」


「えっ。どうして分かるんですか」


「歩き方と、あとプレーを見てる時の目線かな。っつってもなんとなくだけど」


 正解を引いたことが嬉しかったのだろうか、男性はまんざらでもないといった表情を見せる。一方の俺は見られていたことに対し少し恥ずかしさを覚えつつ、でも歩き方で経験者かどうか分かるというのは少しだけ共感できる面があった。


 つまりこの人も経験者なのだろう。


「ちなみに、隣にいるそのめちゃくちゃ可愛いは彼女さん?」


「は?」


「って悪い! 今のは駄目だよなっ。かぁーっ! こういうこと聞くからオッサンって言われるんだ。ごめん今のはナシでっ」


 さっさと話を自己完結させると、男性はパンと両手を弾き掌をすりすり擦り合わせてくる。


 なんかこの前の真田さなだを見てるみたいだな。

 加えて大の大人がこんな素直に謝るところを見たことがなかったこともあり、なんだか妙に可笑しかった。


 そんな中、今度はちらっと窺うような視線を向けてくる。


「ちなみに後学のために聞くんだけど。『可愛い』ってのもセクハラになったりするのかい?」

 

 問われるも俺がその質問に答えるのは難しい。隣の明香あすかちゃんに振ると俺をけるようにクスっと笑いながら男性に自身の姿を晒す。


「大丈夫です。そんな風に感じませんでしたから」


「そっか、なら良かった。でもこれからは気を付けることにするよ」


 男性は頭に手をやりホッとした表情かおを見せた。どうやら一連のやり取りから悪い人ではなさそうか。


「ちなみに君たちは高校生だと思うけど。サッカー部に入ってるのか?」


「いえ、彼女はそもそも未経験ですし、俺も中学の時に怪我をしてそれっきりです」


「そうなのか……。もしかしてまえ?」


「えっ」


 前、つまり前十字靭帯のことを言ってるんだろう。


「いや、サッカーを辞めるくらいの怪我って言ったらさ。実は俺もやってるんだ」


 そう言うと男性はジャージを軽く捲り、ほれと右膝を見せてくれる。年齢のせいだろうか、かなり薄くはなっているものの、俺と同じ場所に手術痕があった。


「完治はしてないのか?」


「いえ……してます、多分。普通に走れてますし」


 俺がそう答えると、男性は少し考え込むような素振りでワシワシと顎髭を触りつつ少しの間ちゅうを見上げ、もう一度俺に視線を合わせてくる。


「あのさ。もし良かったらだけど、来週またここに来ないか」


「来週、ですか?」


「ああ。今日はもう終わっちゃうからあれだけど、来週も同じ時間にやってるからさ」


 敢えて言葉にはしないものの、つまり一緒にやろうと誘ってくれてるんだろう。


「もちろん無理にとは言わない。まあ見ての通りオッサンがただゆるーく遊んでるだけだしつまんないかもだけど。でももしまたやりたいと思ってるんならリハビリ程度には丁度いいと思うんだ」


 その優しい声音から「くれぐれも無理はしなくていいからな」と、そんな配慮を感じ取ることが出来、


 同時にこの人とプレーしたらきっと楽しいんだろうなと。


 そんなことを思った。





△▼ (エピローグ)

 


 その後、施設を後にした俺たちはわざと遠回りをし、桜並木のある通りを歩いている。


 今が隆盛の時とばかりに咲き誇る満開の桜からはらはらと花びらが舞い落ちる中、


「ありがとな」


 気付いたらそんな言葉が口をついて出ていた。


 脚を止めた俺に気付いた彼女も数歩先で脚を止めると、ふわりとロングスカートを揺らしながら俺に向けくるりと反転する。


 そして、


「実は、少しだけ恐かったの」


 そう吐露した。


「恐かった?」


「うん。悠流はるくんがサッカーを嫌いかもしれないのに勝手に入っちゃったでしょ? だからもしかしたら無神経だなって、悠流はるくんに嫌われちゃうんじゃないかって」


 心情を現すかのように彼女の表情は珍しく強張って見えるも、その蒼い瞳にはしっかりとした意志が宿っている。


「でも、すごく大切なことのような気がしたから。なんとなくこのままにしちゃ駄目だって思ったの」


 恐かったのに俺なんかのために……。彼女の言葉を聞いた俺の胸になにか熱いものが込み上げてくる。


「そうだったのか……。気付かなくてごめん」


「そんなの。こっちこそごめんね」


 お互いに謝りあい、次いでどちらからともなくクスっと笑う。


「なぁ、明香あすかちゃん。俺、来週行ってみようかなって思うんだ」


 俺がそう言うと、明香あすかちゃんは嬉しそうに「うん」と頷いてくれて。なぜか「ありがとう」と付け加えてくる。


 対する俺は礼を言われる理由が分からずただ首をかしげた。


「なんで明香あすかちゃんがありがとうなんだよ。逆だろ」


「ううん。悠流はるくんが悠流はるくんでいてくれたことが嬉しいの。だから……わたしのほうこそありがとう」


 次いでにこっと笑顔を向けられ、その瞬間、心臓がドキっと跳ねる。


「ねえ。来週も一緒に行っていい?」


 と、あくまでお願いのていではあったものの、さっき施設に入った時と同じではなから俺の答えなど聞く気はなかったらしい。


 明香あすかちゃんは俺の答えを待つことなくくるりと前を向き、さっさと歩き始めてしまった。


 そんな彼女の背中を眺めながら思う。


 つまりこういう時は俺の答えを聞くのが恐いってことでいいんだろうか? とはいえ、断ったって来るんだろうけど、と。


 どっちが正解なんだろう。っつうかどっちも正解なのか。


 そんなことを考えながら空を見上げる。


 すると、


 ひらひらと桜の花びらが舞い落ちる中、


 想像以上に蒼い空が広がっていた。




(3章了。1部了。)


――――――――

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

第2部も続く予定ですので、もしよかったら作品フォローをしてお待ちいただけると嬉しいです。

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【第1部完結】嘘告トラウマを持つ俺の家に告白されまくりの後輩美少女が同居することになった 若菜未来 @wakanamirai

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