エピローグ「生きていたいと思えたから——Undercooling emotion——」

カナエはベッドに寝かされていた。

ラフな姿をしたゆきの顔が、横から覗いている。


「――カナエ、目が覚めましたか?」


お腹辺りに重みを感じて顔をあげると、メイド服姿のレヴィがぐでんと突っ伏していた。

手に持つ包帯やシートを見る限り、カナエを看病していたようだった。


「ここはどこなんだ?」

「県内?の、せーふはうす?という場所です」

「あの時、かさねと逃げ込んだ隠れ家のようなやつね……。

……えっと、俺、何週間寝てたんだ?」

「二週間です」


自らの昏睡期間の流さに愕然とするカナエに、ゆきはメモ書きを手渡した。


「これは、かさねとタツミからの伝言です」


【あたしたちは、もうあなたたちと関わることは出来ないわ。

組織に、独断専行がバレたの。

あたしは償いのために、まだこの組織を抜けるわけにはいかない。

だからここで、さようなら。

応援だけはしておくわ。

あとベッドの下に少しだけまとまったお金を用意したからね。

もう勝手に見舞金が振り込まれないのよ?

これからは自分でやりくりしてく、分かった?】


「お前は俺のオカンか!」


【一応、寝覚めがいいようにニイチャンの尻拭いはしてやったぜ。

後は頑張れ】


「適当だなおい!」


カナエはひとしきり笑ったあと、はあ、とため息をついた。


「どうしたんですか?まだ苦しい所がありますか」

「……ノゾミ先生のことが、やっぱり忘れきれないんだ。

母親が死んで、これまでずっと、あの人しか味方になってくれる人がいなかったんだ。

なのにノゾミ先生に裏切られたら、もう俺の隣にいてくれる人間なんて、誰も……」



——ぺちん。



ゆきの手がカナエの頬をはたいた。

全然、力が篭っていない。


「カナエが、言ってくれました。私もレヴィも、人間だと。


——カナエの隣には、私たちがいます」


「ごめん!俺はなんてことを——」


俯いて悔やむカナエの頭を、ゆきは胸元に引き寄せる。

そして優しくさすった。


「撫でるなよ。くすぐったいだろ」

「カナエが髪を撫でてくれると、私は落ち着きました。


……だから今度は、カナエの番です」


カナエは自分の目から零れた涙を、

ゆきにバレないように拭って誤魔化した。


「そういえばレヴィは——ノゾミのことを知ってどうだったんだ?」

「……ずっと、ずっと泣いていました。

でも一週間が経って、レヴィは笑顔を見せてくれました。

“カナエさまが悲しむ時は、わたしが笑っていなくちゃねっ”と、言っていました」

「レヴィは強いな……。

しかし、俺も、ゆきも、レヴィも……これからどうするかな」

「私は、東京に行きます。

『東京アブソルートゼロ』から、私の罪から、もう逃げません。


一五〇〇万の幽霊に、謝ります。



罪の償い方を、探します。




……そして、生きたいと、宣言します」




ゆきは一切の迷いなく言い切った。


「こっから東京か……。

まあ、時間止めたらなんとかなるだろ」

「――『絶対空間テレスティアル・グローブ』は、もう起動出来ません。


星空を満たすものエーテル』が、枯渇したのです。

加えて、あの『マスターキー』も、もう私の中には見当たりません。


……かさねたちには、このことは言っていません。

ただ、力が薄れたとしか……」


確かに、かさねはゆきがどうなるかは分からないと言っていた。

しかし、『時間停止』は使えなくなったのはあまりにも痛手だった。

カナエたちが神戸で黒ずくめから生きて逃げ切ることが出来たのは、ほとんどが『絶対空間テレスティアル・グローブ』のおかげなのだから。

そして『マスターキー』という手がかりを失った。

結局、灰谷義淵が……カナエの父が、何を考えていたのか分からずじまいだ。


「いい話もあります。

私の力が薄れたおかげで、世界の損傷バグが小さくなりました。

かさねは、“気休めぐらいにはなるかもね”と、言っていました」

「つまりゆきは、以前よりもずっと弱くなった。

……それでも、東京に行くつもりなんだな?」

「はい。そのために、うぃんたーこーでなる服も、カナエに買ってもらいました」

「一九七階層での謎の冬服チョイスは、それが理由だったのか」

「旅について、レヴィからは許可を貰いました。笑顔で、受け入れてくれました」


神戸で発揮したレヴィの全知に等しい観測能力は、ゆきのバックアップによってなせた技だ。

ゆきもレヴィも、あるべき力を大幅に失った状態で、それでも旅を続けると言う。


「東京に行く前に、寄り道も必要だな。

道中で、他の『七大災害』の被災地を訪れよう。

そして、『秘密基地ハイド・ラボ』を探しだそうか。

世界の損傷バグなんてのを、解決する手がかりになるかもしれないしな。

俺にとっても、全く記憶にないけどさ


——あのクソ親父の尻拭いをしないといけないし」


「……あの、まだ私は、何も聞いていません。


……私の旅を、カナエは許してくれるのですか?」


「今更何を言うんだよ。俺はゆきのマスターだ。

ゆきのしたいことは、俺が必ず叶えるよ」

「ではカナエも、お願いします。



……これからも私の隣に、いてください」



「俺はゆきに、どこまでも付き合うよ。



それにこの旅は、俺のためでもあるんだから――」



在りし日の高校の旧実験室で、レヴィと共にノゾミと語らった日々を思い出した。

あの時のノゾミの好意は演技だったと言う。

けれども、全てがそうだとは思えなかった。

そう思えるだけでも、カナエは嬉しかった。


……懐かしむが、もう日常に戻るつもりはない。

ただその時の温かなやり取りを、思い出したかった。



――『ストレンジコード』が聴こえるカナエ君は、いったいどんな夢を持っているのかい?


――『現象妖精』の立場を、改善したいんです。

彼女たちが他の誰かに虐げられることなく、

システムの一部として生かされるでもなく、

ただ笑って過ごせる世界を、



俺は作りたいんです。




『了』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

妖精の物理学―PHysics PHenomenon PHantom― 電磁幽体 @dg404

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ