山茶花 十二月は髪に花をかざす
ついにこの時期がやってきてしまった。
収穫時の秋からその兆しはあったものの、こうして近づいてみると秋の忙しさとは別格だ。畑の作物の収穫、保存食作り、大掃除、畑の手入れ。それに年末年始の行事やご馳走の準備。もちろん毎日の家事だってある。
秋から年始にかけては、本当に目が回るように忙しくなるのだ。こういうときは、家臣も主人も文字通り一丸となって働く。
現在、春の守護武神の屋敷は、主人の
家臣は
男性は
樒は最年少で新参の側仕えだ。まだ屋敷で働いて十年ほどだった。
同僚たちは年上で頼りがいがあり、主人は厳しく優しい人。三姉妹たちとは歳が近く、付き添いで出かけることもあれば遊び相手になることも多い。むしろ三姉妹の身の回りの世話をし、相手をするためにも年若い樒が新しく屋敷に入れられたのだろうと思う。
春の神に仕える霊獣たちは、東の山の中で固まって集落を作っている。
白兎族の樒はその中のひとりだった。
樒は集落の子供の中でも控えめで口数も少なかった。自発的や外向的、陽気といった言葉とは正反対の性格だった。表情も暗く、よく何を考えているかわからないと言われる。誰かと受け答えをしようものなら、もっとはっきり話せと言われる。
家の仕事など言いつけられたことを黙々とこなしはするが、どれだけ懸命にやってもよく遅いだの愚図だのと言われる。自分はそんなに使えないのかと、他の人の仕事ぶりを観察してみたこともあるが、仕事をこなす速さも出来高も人とそう変わることはないように思えた。むしろ仕事を丁寧にやる者は少なく、樒ほどの働きを黙々としている者はあまりいない。客観性を欠いているかと何度も観察した。けれどその観察結果が変わることはなかった。
他の子はそこそこ手を抜きつつ、友人や家族と笑い合いながらのんびり家の仕事をしている。むしろ愚直なまでに仕事をする樒ほど働いている者は他にいない。
樒が愚図だと言われるのは、要するに表情に乏しく口数も少なく、他者から嫌われたり馬鹿にされやすい自分の印象が関係していたのだ。
他者と打ち解けられる者が他者から評価される。
それが樒の住んでいる世界で正しい理だった。
だが樒は、そんな自分を改めることをしなかった。
悪いところや至らないところがあるなら反省し、改めればよい。努力する余地があるならすればよい。そうする方が正しい在り方だと自分でも思う。
印象の悪くとも懸命に働く自分の方が正しいと思っていたわけではない。むしろ人から好かれるためにできる努力があるなら、集落でうまくやっていくために努力すべきなのであろう。だが樒はそれをしなかった。
笑顔を作る方法も、明るく人に話しかける方法も、大きな声でしっかり話す方法も、樒は知らなかったのだ。
表情の変え方も、大きな声で話す方法も、他人を観察してもよくわからない。
「馬鹿」「のろま」「愚図」「樒のくせに」
他の人が当たり前のようにできることができないのだから、やはり樒は愚直に働くことしかできない愚図なのだろう。自覚するまでに時間はかからなかった。
諦めの中で人を避け、ひたすら毎日家仕事をした。例えば他の娘たちが夢中になっている着物や簪や気になる男性の話などには一切構わなかった。
愚図は愚図なりに与えられる仕事をこなせばいい。他人がどう思おうが、もうそういう生き方でいいと思っていた。
襤褸の着物に適当に結った髪、あかぎれのある手。仕事に支障はない。だから放置していた。
そんな樒が山で水を汲んでいたところに現れたのが、常盤だった。
物静かで毎日厳しく過酷な家事をこなせる側仕えが欲しいという話だった。
「ここ数日お前を観察してみたがお前なら適任だ」
樒は地面に膝をつき、常盤に頭を下げた。
「お言葉ですが、私はぼろぼろなうえ愚図な娘。与えられた仕事を日々こなすしか能のない役立たずでございます。神さまの側仕えなど、とても務まりませぬ」
頭を上げろと言われ、樒はそっと常盤の表情を窺った。
この地を守っている美しい春の神様はこともなげに言った。
「見目は磨けばいいし、知らない技能は身につければいい。役立たずなら有能になればいい。すべては僕が責任もって磨き上げる」
召し上げるから仕えろと言われ、樒は再び頭を下げた。
こんな樒を馬鹿にすることなく、能がないなら有能になれと言ってくれたのは常盤だけだった。
誰かに見られているという喜びを、樒は初めて知った。
屋敷に召し上げられ、主人と四人の同僚に日々色々なことを教わりながらあっという間に十年が経った。霊獣の十年はあっという間である。
求められる仕事をほとんどこなせるようにはなったが、技量は同僚たちに及ばない。どれだけ仕えようとも埋められない差を必死に追いかけて埋めようとし、先に進んだかと思えば同僚たちはその分先に進んでいる。そんな十年だった。
だが不満も不安もなかった。
神の側仕えに選ばれるというのは、霊獣の中でも最大の誉れなのである。その栄誉が誇りとなって樒の胸を満たしていた。
それに、黙々と愚直に働くことには慣れている。
どんな大変な仕事だろうが、樒はそうやって働くことしかできない。
十二月に入ると、まずは大掃除で屋敷中が慌ただしくなる。
正月のお節料理作りは年末のうちに終わらせた。
三日分のお節料理と正月のお菓子、おかずを作りきったときはくたくたになってしまった。一家の分ではなく、屋敷にお祝いに来る客人の分も必要になってくるので、毎年用意する料理はとんでもない数になる。
特に主人である常盤の元へは他の守護武神三人が一家総出で訪れる。
彼らが持ち寄る料理もあるとはいえ、一日中はお祝いの宴に費やされる。料理はあるに越したことはない。お菓子も何種類も用意したし、足りなくなることはないと思いたい。
年末の大掃除も終わらせ、年始に着る晴れ着の用意もしてある。
綺麗になった屋敷内に十二月の冷たい空気が通ると、もう今年が終わってしまうという実感と、もう新年が訪れるという清浄な精神で身が引き締まる。
大歳から元日は全員が年始の儀式を行うので、お節料理を作り終えると、山場が終わった感じがする。
既に家臣全員が疲労困憊しているが。
広い厨房で側仕え五人が集まっていた。
「さて、今日の昼餉は何にするか」
四葩は大きく息を吐く。主人たちはたとえ食事が月見そばだけでも怒ることはしないものの、それだけを出すわけにはいかない。
「新年の準備の山場も終わったし、力のつくものが食べたいな」
榊が遠い目をする。掃除と料理と行事運営の準備をひたすら行ってきたせいで、五人ともすっかり疲れた顔をしていた。
「榊、旦那様を差し置いてお前が食べたいものを言ってどうするんだ」
「まあ、旦那様は榊が食べたいものにしたところで怒らないけどね」
呆れる四葩に、すらりと背が高い華やかな楓が突っ込む。
「簡単に鍋にするか? ぶり大根とかでもいいな」
「この前夏の守護武神様が贈ってくださった鰻を蒲焼きにしよう。冬の鰻は脂が乗っていて美味いから」
家臣で揃って悩みすぎるわけにもいかない。時間は過ぎていってしまう。
榊が譲らないので、四葩は仕方ないと許可を出した。四葩はこの親友にかなり甘いと思う。
作るものが決まればあとは早い。
榊が鰻を焼き、四葩はぶり大根を作ることになった。
樒の担当は蓮根のはさみ揚げだ。
豚肉をよく叩いてひき肉状にして、調味料で下味をつける。薄く切った蓮根二つの間にひき肉を挟み、それを小麦粉にまぶして揚げるのだ。
料理の手際はだいぶよくなってきた。
先に終わったので楓を手伝うことにした。
楓は南瓜料理を作っている。薄く切った南瓜を揚げる役を樒が請け負う。楓は火を通した南瓜とご飯を一緒に炒めて南瓜ご飯を作った。
白菜と人参の炒め物を最後に作ってから、何皿もの料理を座敷に運んでいく。
昼、食事の用意ができた座敷に屋敷の者全員が集まった。
五人の家臣と常盤とその妻と娘たちが揃うので、食事時はいつもより賑やかだ。
常盤をはじめ他の者もあまり私語を発しないが、仕事の状況や進捗について話しながらの食事となることが多い。常盤の鋭い声がけと食器の音がする食事はこの屋敷で一番活気があると思う。
炭火で焼いた鰻の蒲焼きは絶品だった。さすが榊だ。
自分で作ったものも、自分ではちゃんと美味しいと思う。
仕えたての頃は自分の料理に自信がなくて、常盤に料理を出すだけでお腹が痛くなるくらい緊張しっぱなしだった。少しずつ自信がついた理由は。
「この蓮根、美味しいね」
常盤が蓮根のはさみ揚げを食べながら呟く。
「あら、本当だわ」
妻の
「それ、今日は樒が作ったんですよ」
榊が水を向けてくれる。
「本当、これ美味しいわ。樒ったらどんどん料理の腕が上がってきたわね」
楓が「うかうかしてられないわね」と笑う。
みんなが樒にこうして少しずつ自信をつけさせてくれたのだ。
今では主人夫婦に美味しく食べてもらいたくて、同僚たちと一緒に作る形で料理の腕を上げている。常盤に美味しいと言われるのはこのうえない喜びだった。
昼食が終わると家臣一丸で後片づけ、そして数日後に控える新年の準備を進める。
大体の準備が終わっても掃除は日々行うし、新年の祝いの儀式の段取りは大体決まっているもののその後の宴で客人を迎える準備もしなくてはならない。
食事の他に酒の手配、泊りがけになるから着替えや布団の用意とやることは途切れない。
寒い中で働き終えると、達成感で冬でも身体があたたかくなる。
様子を見に来た常盤が樒たちの元へやってくる。
「全員ご苦労。冬至は過ぎたが、まだ柚子があるから柚子湯にしようか。樒、準備を手伝って。あとの者は夕餉の支度を頼む」
「はい、旦那様」
樒は常盤に呼ばれるまま、既に歩き出した常盤の後ろにつく。
庭の木から常盤がもいだ柚子を手渡される。菜の花色の果実を両手で抱える。
それを風呂場へ二人で持って行く。果実や花を風呂に浮かべるときは大抵常盤が風呂の準備をする。こういうときも家臣に任せてくれればいいのにと榊はよく愚痴を言うのだが、樒もたまにそう思う。
「この前も柚子湯だったし、また柚子じゃ飽きるかな」
「いえ、冬らしくてみんなも喜びます。爽やかで甘い香りがすっとして、私も好きですよ」
「そうかな。お前は何でもはっきり言ってくれるから物事が決めやすいよ」
今日は何度も褒められる。夢みたいに嬉しくて頬に熱が上る。
常盤は風呂場の戸を開けた。二人で浴槽に水を満たし、釜に薪を入れて火をつける。
「樒、後で山茶花の花を応接間と、僕と妻の部屋に活けておいて」
「かしこまりました」
樒は頭を下げた。すぐに頭を戻すと、常盤がこちらを見下ろしていた。
「飾りたかったら自分の部屋にも飾っていいよ。お前は山茶花が好きだろう」
「ありがとうございます、旦那様」
常盤が最初に樒を見つけて屋敷に連れてきてくれたとき、着物を貸し、山茶花の花の髪留めをくれた。それをずっと大切につけているのだが、常盤には樒が山茶花を好いているように見えているらしい。
どちらにせよ、常盤が樒の髪にかざしてくれた山茶花の花を、樒はずっと抱いて仕える。髪を結う山茶花の造花の髪飾りを見下ろし、樒は常盤の後ろをついていく。
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