秋桜  十一月は思い出を胸に進む

 紅葉で山々がすっかり赤くなった、霜降そうこうの季節。


 炊き立ての米の匂いがした。

 そういえば、都ではもう稲刈りも脱穀も済んでいるはずだ。

 新嘗祭にいなめさいも既に終わっているから、もう新米があちこちで出回っていることだろう。旅で古清水こしみずを巡っていると、炊き立ての米をゆっくり食べることも減ってくる。都に戻ってきたばかりで、早速腹が鳴った。

 歩き疲れたし、どこかで腹ごしらえでもしようと思った。


 音羽雀おとわすずめは辺りを見回した。

 東町は都の中でも訪れる頻度は多く、よく楽士としての仕事で訪れていた。が、仕事でしか来ない分、行きつけの店や知っている店はあまりない。

 そういえば町をゆっくり見て回ったことすら、ほとんどない気がした。

 この辺りの木造家屋はみな古びている。柱や障子戸の年季が入っていて、玄関先に設けられた鉢植えや狭い路地に、昔ながらの生活感が窺える。

 色彩も人も多い繁華な南町みなみまち生まれの音羽雀にとって、どこか懐かしくもあるが少し寂しい気持ちがした。


 しばらく歩くと、民家に紛れた小さな古い店の前に木札で「うどん・そば」「わらび餅」などと書いてある。こういうところにふらっと入るのもiDが、今は無性に米が食べたかった。

 少し広い道に出た。人通りはほとんどない。

 古民家が多いから、周辺の住人が出かけるときくらいしか人通りがないのだ。道端に秋桜がいくつも咲いていた。


 米の匂いが強くなった。

 こじんまりとした店がある。赤い暖簾の先から湯気が立っている。「いなり寿司」の見覚えのある文字が目に入り、音羽雀は吸い寄せられるように暖簾をくぐった。

 中もそう広くはないし、他に客もいないようだった。

 入ってきた音羽雀を見て、奥から店主らしき男が顔を出した。


「いらっしゃい。……って、あんた、前に神社で神前奉納していた楽士さんじゃないか」

 店主のいかめしそうな顔が少し和らぐ。

「何故、それを?」

「なに、前にあんたの歌を神社で聞いたんだ。あんたらは神様に音楽を奉納する、大事なお役目こなしてるんだろ? よく来てくださったなあ」

 店主はひとつの席を勧めてくれた。


 音羽雀は稲荷寿司を一皿頼んだ。

 店主は熱いほうじ茶を淹れて持ってきてくれた。

 店主は料理中もひっきりなしに音羽雀に話を振ってきた。

 今は神前奉納は娘に引き継いでいること、自分はあちこちの土地神に音楽奉納するために旅をしていること、ようやく今年最後の奉納を終わらせて都に帰ってきたこと、これから約一年ぶりに家へ帰るということ。

 話を振られているうちにすっかり自分のことを話してしまった。


 話して困ることはないのだが、久しぶりにたくさん人と話したので、すっかり口が乾いてしまった。

 音羽雀はほうじ茶を啜る。

 寒さが身に沁みる季節なので、お茶は腹の底から温かくなる。

 店主は稲荷寿司一皿、それから白いおむすびとさつまいもの入ったおむすびをもう一皿持ってきた。おまけに出し巻き卵とお吸い物までついていた。

 店主は音羽雀が何か言う前に「ほかに客もいないし、おまけだ」だと言った。


「聞けば久しぶりの白米だって言うじゃないか。天日干ししたばかりの新米だから、食べていくといい」

「これはかたじけない」

 娘のためにも早く帰らなければと思っていたのだが、ゆっくり食事ができるに越したことはない。

 音羽雀は手を合わせてから、熱々のおむすびを取ってかぶりついた。

 ふっくらとした白い米に微かな塩味が感じられる。そこに出汁巻きのまろやかな食感と出汁のきいた旨味がおむすびへの食欲を更に掻き立てる。


「うむ、これは美味い」

 稲荷寿司は甘辛な味がしっかり沁みた油揚げと酢飯の調和が単純ながらも堪らない。これはいくらでも食べられそうだ。

 米というだけで何故こんなにも美味く感じるのか。腹に溜まる米への多幸感をお吸い物で締める。すっかり平らげると、息を吐きながら手を拭った。久々の美味い食事に、少々がっつきすぎたかもしれない。


「いやあ、いい食べっぷりだったぜ」

「こちらこそかたじけない。馳走になった」

 お茶を啜り、息を吐く。心も身体も、満たされたようだ。

「そういやお客さん、前に親子三人で来てくれたことがあっただろう? 美人の奥さんと、奥さんによく似た娘さんと三人で」

 そんなことまで覚えていたのか。


 確かに以前、妻と娘を連れて一緒に食べに来たことがある。親子三人で過ごせる時間はそう多くなく、音羽雀たちにとっては、貴重で大切な家族の時間だった。

 もう親子三人で来ることは叶わないが、それは仕方のないこと。それを嘆く日があってもいい。だが嘆いたままではいられない。

 悲しい記憶はずっと心にあっても、立ち止まっても、音羽雀は娘のために歩み、帰らなければならない。


「娘への土産に椿餅つばいもちを包んでもらいたい」

「ああ、はいはい。お待ちを」

 椿の葉を上下で挟んだだけの餅なのだが、これを家族全員で食べるのが好きだった。

 椿餅の包みを手に、音羽雀は店を後にした。

 腹は米を食べたあとの満足感とあたたかさにふくれている。


 林檎とさつまいもが旬だから、買って帰ろうか。

 きっと娘の五十鈴いすずは喜ぶだろう。

 歩き慣れた石畳をのんびり歩きながら、音羽雀は道端の秋桜の脇を通り過ぎた。

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