露草  九月は外貌を装う

 大気が段々冷え始める、白露はくろの季節。

 秋の空に雁の黒い影が連なっている。菊が咲き始める頃の空は、空気が澄んでいるせいかとても清々しい気持ちになる。

 秋はやらなければならないことが増える季節だ。九月の長陽ちょうようの節句が終わったのも束の間で、今度は冬支度に入る。秋のうちに畑で作ったものを収穫し、森で採取し、それらをみんな順番に保存食にしてしまわなければならない。


 守護武神のひとり常盤ときわの娘である早緑さみどりは家臣たちとともに朝から畑に入っていた。まずは手分けして菊と柿を採る。

 軽装に髪をまとめ上げて畑仕事に混ざると、家臣たちは恐縮して「姫様はいいですよ」と言ってくれるのだが、この忙しいときに何もしないでいるわけにはいかない。

 どの装いをしていようと、どんな髪型をしていようと、仕事のためにちょうどいいものを選べばいいと早緑は思っている。だから「御手が汚れます」と言われても「御召し物や顔に土がついてしまいます」と言われても、畑仕事をすればそれくらい普通ではないかとすら思ってしまう。


 周囲からはよく母親の雫姫しずくひめに似ていると言われる。

 そのたびに母に似た容貌を相手に向け、口元を笑ませて少しだけ頷くと、より似ていると持て囃された。

 子供の頃は、己の容貌を讃える言葉があまり好きではなかった。見目を褒める者は早緑を通して母を見ているのだ。だから早緑自身を褒めているわけではない。

 それがわかっていたから容貌を褒められるのは好きではない。いちいち苛立つのも嫌がるのも馬鹿馬鹿しいから聞き流し、笑顔で応えてきた。

 子供の頃は、それがとても寂しかったものだ。


 自分は守護武神の座をいずれ継ぐ者。常盤の長女早緑。

 それが己の立場である。いたずらに他者の言葉に怒ったり泣いたりはしない。惑わされ、取り乱しはしない。

 自分のことを理解しているのは両親と妹たちだけだが、母に似ていると思いたい者たちにはそう思わせておけばよい。この容貌を通して母の美しさを思いたいならば思えばよい。早緑には関わりのないことである。


 何者にも惑わされない自我が要る。

 他者からの言葉は、幾重にもくるんだ早緑の自我を守る膜に阻まれ、感情を刺激するところまでは届かない。届いたところで、そこから生じる悲しみも怒りも喜びさえも、顔や声に表出することはない。父がそうであるようにいつでも冷静でいたいし、表出することで自分の弱みが外に漏れるのが嫌なのだ。


 作物の収穫が大体済んでしまうと、収穫した柿と菊をみんな厨房へ運んだ。

 忙しいときは妹たちも一緒に厨房に立つ。季節の仕事がひと通りできるようにならなければ一人前になれない。家臣たちの仕事を手伝ってやり方を教わるのだ。

 できることが増えるのは好ましいことである。その分だけ自分の行動範囲が広がり、物の見方に奥行きを感じるようにもなる。

 人は働いて食べて眠るという平坦な生き方をしていても生きられる。手間暇をかけて食材を美味しく調理し、美しい衣を縫い、書物を読むことは、やらなくても生きてはいけるのだ。そうした無駄こそが人生の奥行きであり、豊かさであろう。


「それじゃあ始めましょうか」

 妹の花葉はなば若菜わかなに早緑は声をかける。

 二人は母に似た純粋な心根を持っていて、早緑とは違って愛らしい娘たちである。

 妹を見るたびに思う。

 自分はあまり母には似ていないと。

 若菜の着物の襷掛けをして髪をまとめてやると若菜ははしゃいで早くやろうと早緑を急かしてくるので、まずは菊仕事から始める。


 採った菊の花を水で洗い、水気が切れるまで乾かす。

 この中の三分の一は薬の材料に使うので別に取っておく。目の疲れを取り、利尿作用、解熱、解毒、老化防止にも効く。菊は健康にも薬用にも優れる。

 菊花を瓶に敷き詰め、清酒を注いで菊花の色が出たら菊酒の完成になる。飲めるのは大体一ヶ月ほど先になるだろう。菊花を乾燥させておけば菊茶としていつでも楽しめる。緑茶の茶葉と混ぜても菊の風味が出て美味しい。


 菊水は多めに作る。そのまま飲んでもいいし、美容液として肌につけてもいい。

 酢を入れて菊花を軽く茹で、醤油などで味つけすれば簡単なおひたしもできる。胡麻味噌や、ほうれん草、水菜などと和えても美味しくできるし簡単だからこの季節のおなじみの料理になっている。

 もうひとつ、露草を使って同じようなおひたしを作っておく。


 若菜たちと一緒に作りながら、作り方を反芻する。一年ごとに繰り返すことで作り方を忘れないようにするのだ。

 他の家臣たちは栗の皮を剥いたり、山で採ってきた松茸と貰い物の秋刀魚を外で焼いたりしている。

 続いて早緑たちは採ってきた柿の皮を剥き、へたに長い紐を括りつけていって、干し柿を作る準備をする。一本の長い紐にたくさんの柿を等間隔で吊り下げる格好になる。これらを建物の軒先に吊り下げておけば干し柿になる。


 それが終われば今度は栗だ。皮剥きは家臣たちが先に済ませておいてくれたので、あとは調理だけだ。

 花葉も若菜も栗が好きだから、栗料理を作るときはいつも気合が入る。

 栗はほとんど蒸す。米と一緒に炊けば栗ご飯になるし、甘く煮つけて甘露煮を作ったりもする。


 あとは栗きんとんを作る。蒸した後、潰した栗に砂糖を加えてしっかり混ぜる。

 しっとりしてきたら茶巾絞りにしていけば出来上がりだ。やることはそこまで多くないものの、栗を剥いて蒸して潰して混ぜてと、工程が大変なのだ。お菓子を嬉しそうに食べる妹たちのことを思うと苦にならないが。


 菊と柿と栗の仕事を終わらせてしまえば、秋の大きな仕事がほぼ終わったように感じられる。それくらい毎年大変な部類の手仕事だった。

「これで大体終わったわね。休憩がてらお茶でも淹れるわ」

 花葉はひと息吐くと、すぐにお湯を沸かしてお茶の用意にかかった。いつもきびきびしていて気がつく子なのだ。

「そうね、せっかくだから少し休みましょうか」

 早緑は作ったばかりの栗きんとんを三つ、小皿に取り分けた。


「せっかくだからひとついただいちゃいましょう」

「本当? やった」

 若菜が手伝ってよかったと無邪気に笑い、厨房と土間の段差に腰かける。

 早緑もその隣に座る。鍛えているので疲れているほどではないが、それでもずっと立ちっぱなしで料理していた身体がほぐれる。

 花葉がお茶の用意を終えて三つの湯呑を早緑たちの傍に置いた。

 作ったばかりでまだあたたかい栗きんとんを、三人で一斉に食べる。


 大きさ自体は小さいからすぐに全部なくなってしまうが、しっとりとした滑らかな舌触りと甘さを堪能しながらゆっくり食べた。

 お茶を飲むと、ほっとしたあたたかさに甘さが引き立つ。

 若菜も嬉しそうに食べている。

「姉様たち、すっごく美味しいね」

「本当、秋しか食べられないのが残念よね」

 普段は気難しい顔ばかりしている花葉もその甘さに顔を綻ばせていた。

 母に似た可憐な妹たちが甘いものを食べている様子は本当に可愛らしい。


「よかった。まだあるから食べたいときに食べてね。でも、一度にたくさん食べすぎちゃ駄目よ」

「はい、早緑姉様」

「言われなくてもわかっているわよ」

 素直な返事をする妹たち。

 嬉しいときは笑い、悲しいときは悲しそうにする。

 二人は本当に母に似て素直な子たちだ。嬉しくなくても笑い、悲しいときでも何でもない振りをする早緑とは大違いだ。

 いつかこの子たちがそれぞれ道や嫁ぐ人を見つけたときも、姉としてこの子たちを守ってあげたい。幼い頃から妹たちの面倒を見た早緑にとって、二人はもう娘のようなものなのだ。


「それじゃ、庭にいる二人にもお裾分けしてくるわね」

 早緑は立ち上がり、庭に出ると、七輪で秋刀魚を焼いているさかき四葩よひらを見つける。炭の香ばしい香りが庭に漂っていた。秋刀魚の表面にもいい焼き色がついている。

「二人とも、お疲れ様。よかったら食べて」

 早緑は蒸した栗をひとつずつ二人に渡した。


「これは姫様、かたじけなく存じます」

 榊は畏まって栗を受け取り、すぐ口に放り込んだ。四葩も礼を言ってそれに倣う。

「魚が焼けたらすぐにお持ちいたします」

「急がなくても夕飯までにはまだ時間があるわ」

 四葩にそう返し、早緑は厨房に戻った。

 日が暮れる時間が早くなっている。もうじき夕方だ。

 夕餉まではあっという間だった。


 栗ご飯と、庭で焼いてもらった秋刀魚と松茸。露草のおひたし。

 森で採ってきた無花果いちじくや胡桃をそのまま出せば食卓が賑やかになる。

 食卓が秋の実りを楽しむみんなで賑やかなのが早緑には嬉しい。

 自分が作ったものを誰かに分け与え、それがその人の力になる。

 神の仕事も、生薬も、そういうところは基本的に同じだ。だから早緑は自分が作ったものが人の糧になっている姿を見るのが好きだった。


 早緑は、子供の頃はあまり身体が丈夫ではなかった。

 よく体調を崩して寝込み、母に世話をされ、父に薬を飲まされた。

 その甲斐あって早緑の身体はその頃とは比べものにならないほど頑丈になり、今では体力で誰かに引けを取ることもない。

 早緑は両親に生かされた。それは古清水こしみずの東方の山々の薬草や果実、山菜、水で生かされたのと同じことだ。

 早緑は先祖代々で受け継いできた医薬の知識と技術でできている。


 だから早緑は早く一人前になりたい。医薬を与えられ生かされた自分で、医薬を与える存在になりたいのだ。

 妹たちより、自分は神の位を望んでいる。

 医薬のように人に与え続けるための存在になる。

 だから早緑は、早く守護武神になりたかった。

 すべては父から与えられた薬と丈夫な身体を、別の誰かに与えるため。

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