紫微花 八月は友人と盃を交わす
厳しい残暑が続くが、暦の上では初秋だった。
百年以上生きてきて、八月が秋だと感じたことはない。
暑さから逃れようと、勝手に毎年避暑にやってくる連中がいる。それも示し合わせたように、同じ日に。
「
「いやあ、この山の麓は涼しくていいよねえ」
「休むにはよい地だ」
夏の守護神、
秋の守護神、
冬の守護神、
この地を守る守護武神。春の守護神である常盤の腐れ縁で、親友の三人。
こいつらは生命の源と水が湧く聖なる出水山を何だと思っているのだろうか。
出迎えた常盤は暑がる大男たちを見上げた。
「お前たち、妻子や家臣の霊獣たちを放って自分だけ夕涼みに来たのか」
「常盤がひとりじゃ寂しいかなあと思って」
言い訳めいたことを自覚してか、湊は苦笑した。
誰が寂しがるか。こっちには明るい妻に住み込みの家臣が六人もいるというのに。
こうなれば、竜海の言い出すことはひとつだ。
「せっかく四人集まったのだ。宴といこうではないか」
「そうだね。手土産もあることだし」
「酒が欲しいものだな」
好き勝手を言う三人である。
受け取った家臣の
土産に貰ったものを使って料理をした方が彼らは喜ぶ。客は主人の親友で守護武神なのだから最上のもてなしの方がいい。
かといってこの食材で神に出す宴の料理が作れるかは微妙。屋敷の食材を使うにしても取り合わせがばらばらなのだ。明らかに困っているのだろうが、さすがに顔には出さないでいる。只今お料理とご酒をお持ちいたしますのでおくつろぎくださいと彼らは言うしかないのである。
ちらと二人を見ると、彼らは微笑を返してきた。何とかするつもりらしい。
常盤は三人を座敷に上げた。
酒を入れるには少し早いので、まずは冷茶と桃を出してもらう。避暑にやってきた三人は喉が渇いたと言って桃をぺろっと平らげた。
その頃、手早く作っただろう枝豆と玉蜀黍を茹でたものと、向日葵の種を炒ったもの、屋敷で採った赤茄子と胡瓜を切ったものを、榊たちが持ってきた。
一緒に持ってきたのは常盤が春に漬けた
スズキと鰯は塩胡椒、唐辛子、生姜、大蒜、檸檬などで下味をつけて焼いたものだと榊が説明する。
あとは屋敷にあったもので作ったようだ。ざっくり塊に切って下味をつけた、豚肉の蓮の葉の包み蒸し焼き。山菜を混ぜ込み、味噌を塗って焼いたおにぎり。
あとは焼肉だった。薄く切った豚肉や鶏肉、茄子や南瓜、玉ねぎなどの野菜を鉄板で焼いてきたものが大皿に載って出てきた。
それから、やはり酒。米酒や、初夏の間に作っておいた梅酒も出す。
家臣たちが作った何品もの料理が、酒とともに彼らの胃の腑に次々と収まっていった。普段の料理からして質素なもので充分だと考えている常盤からすれば、よくもこれだけの料理をどんどん平らげられるなと思う。
「おい、常盤。そなた、どうなのだ?」
竜海が肉を頬張った後でこちらを指差してくる。
「何のこと」
「皆まで言わすな。
妻の
「特に問題はないけど」
「そなたのことだから心配なのだ。ちゃんと愛していると口にしておるか? 毎日のように触れておるか? 夜の方は……いっっつ!!」
話し続ける竜海の三つ編みを思いきり引っ張った。
「黙れ、この色魔。話題が女か閨のこと以外にないわけ」
じろっと睨むと、竜海は三つ編みをいじりながら痛いと呟いた。
「まあまあ、竜海も心配しているだけだよ」
宥めるように両手をこちらに突き出す湊。
「だから特に問題はないって言ってるだろ」
そう言い切ると、静かにスズキを食べていた真白が口を開いた。
「雫殿は己のことより他者を優先するであろう。そなたが何も思わずとも、雫殿は心に抱えていても話せない。そういうことがありそうだな?」
確かに雫姫はそういう性格で基本的に遠慮がちな娘だが、少しずつ常盤に心の内を話してくれるようになったと思う。
「何じゃ常盤、不安か? だからこそ何でも打ち明けてもらえるように毎日のように愛を交わすことが必要なのじゃぞ」
性愛の神の戯言は無視して常盤は真白を振り向く。
「真白は何か思うことがあるの?」
「無視するでない」
「この前四人で出かけたとき、少し寂しそうにしておった」
守護武神四人だけで仕事をすることも多いし、単純に長い付き合いで気が合うので普通に四人で出かけることもそれなりにある。
雫姫とは毎日一緒に過ごす時間を取っているが、それでも寂しい思いをさせているのだろうか。罪悪感で頭が痛くなる。
「そういえば、僕も……」
「湊もあるの?」
何か思い出した湊まで追い打ちをかけてくる。
「雫殿に『皆様方はとても仲が宜しいのですね』って言われたときに、『いいなあ』って言っていたよ」
「えっ……?」
酒で火照っていた身体が一瞬で冷えきった。
「ほーれ、やっぱり悩みや我慢があるではないか。女には聞き飽きるほど愛していると言っておけといつも言っているであろう」
勝ち誇ったような竜海が固まった常盤の腕を指でつついてくる。その指をへし折ってやりたいくらい苛々するが何も言い返せない。
これで終わりとばかりに切った西瓜が出された。それらを食べてみんながようやく落ち着いたといわんばかりに満足げな息を吐いた。
「いやあ、美味い。うちの者だって毎日美味いものを作ってくれるが、常盤のところはさすがだな。どうした、常盤。もっと飲め。肩の力を抜け」
酔ってもいないくせに顔を赤くした竜海が常盤の盃に酒を注ぐ。
「……言っておくけど、雫には足りないものはないかって訊いてもないって言われるし、一緒の時間を取ろうとしても『明日も仕事だから気にしないで早く休んで』って言われて、こっちがいくら気を回したって全部遠慮されるんだよ。逆に訊くけど、遠慮の塊みたいな娘をどうやったら喜ばせられると?」
常盤は竜海が注いだ酒を一気に煽った。四人とも酒は強い。鯨飲の竜海と同じように飲んでも全然平気だ。
「いじらしいことを言う可愛い妻の唇は唇で塞ぐものぞ」
唇に人差し指を当てて流し目を使ってくる竜海に、常盤は思いきり吐き捨てる。
「お前に訊いた僕が馬鹿だった」
うーん、と唸っていた湊が口を開く。
「そういう性格ならもう仕方ないと思うけどな。寂しそうなのがわかっているなら、何も言わずに一緒の時間を取ればいいじゃない。君が気を遣うから遠慮するんじゃない?」
気を遣うから遠慮する、というのは案外当たっているかもしれない。
「不安なのだろう。時間をかけて関係を築くしかあるまい」
真白は盃を傾けながら笑う真白。
「君が素直な気持ちを言った方が、もしかしたら喜ぶかもね」
湊が鰯を食べてから人差し指を立てた。
「……試してみる。ありがとう」
素直にお礼を言うと、何故か三人とも頬を緩ませて常盤を微笑ましそうに見ていた。揃って同じ表情だから不気味だ。
「……なに、お前たち、にやにやして」
「別に」
「何でもない」
「気にするでない」
言うことまで揃えてくる。一体何なのかはわからないが、奇妙だった。
毎年のように来て食べていく四人だが、本気で迷惑だと思ったことはない。
この面子でほぼ宴会みたいな夕飯を囲うのだって、別に嫌なわけではない。この三人は常盤にとって唯一対等な存在で、辛苦をともにする同志である。三人にはほとんど感謝の念しかない。絶対口にはしないが。
多分この三人とは、ずっとこんな関係が続くのだろう。たまに面倒な奴らだとは思うが、対等で理解し合えている友人の存在は貴重なのだ。
助言をどうやって活かそうか考えながら、常盤は盃に残った酒を飲み干した。
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