サクラ・ディストピア

仁矢田美弥

サクラ・ディストピア

『サクラ・ディストピア』


 千代田植物管理センター室長の能田桜子は、デスクに座ったまま動かない研究員の新田真治を振りかえり、声をかけた。

「ねえ、もう今日は終わり。帰るよ」

 新田真治はD103タイプの雄の個体。A25タイプの雌の個体である能田桜子は、内心彼に興味を持っている。彼のデスクに近づくと、ふいに彼はコンピュータの画面を閉じた。それから、今気がついたように、さわやかに笑った。

「ああ、センター長、もう時間ですね」

 彼の表情に見とれながら、桜子は軽く笑顔を返す。

「仕事に夢中なのは悪いことじゃないけど、時間は守ってね。決まってるんだから」

「はい。今出ます」

 真治はカバンのファスナーを閉め、チェアから立ち上がった。脇に抱えるようにカバンを持ち、桜子に続いて事務フロアを出る。

 廊下に出ると、ほっとしたように桜子は誘った。

「今日、少し飲んでいかない。桜並木がきれいよ」

 真治は静かにうなずく。桜子は目が離せない。遺伝子の選出には容姿よりも能力の要素が重視されていたはずだが、それでも真治の容姿は抜きんでていた。能力にも容姿にも恵まれた遺伝子を持つ彼を、桜子は少し羨ましく思う。

 センターの門をくぐり、レンガの塀に沿って二人は道を行く。駅までの一本道だ。千代田植物管理センターは、駅から少し離れた場所にあり、通常人が来ることはあまりない。内部の人員も最低限、ほぼAIが管理しているのだが、そのチェックやまだAI独自には任せられない人間の領域の研究を行っている。

 空は紺青色と化し道沿いのソメイヨシノの木から、満開を過ぎた桜の花びらがはらはらと舞い落ちている。桜子はほんのりとロマンティックな気分に浸った。傍らの真治もそうであろうと横目で見やると、どうした訳か舞い落ちる花びらたちをまるで睨みつけるように見ている。

「ここのソメイヨシノは4世だったよね」

 ふいに真治が口を開いた。そのどこか憂鬱そうな声に桜子は驚く。

「そうね。第二次世界大戦後の日本全国に大量に植えられたソメイヨシノを1世とするなら、今はおよそ4世に当たる。ソメイヨシノの寿命って短いから、次期が来ると伐採してまた植替え、その繰り返し。そんなこと、専門の君の方がよく知っていることでしょう、新田君」

「ええ、そうですね。千代田では特にソメイヨシノの管理に重点を置いているし」

「そう、何よ、今さら」

 意味もなく微笑んだ後、桜子はそっと真治の腕に自分の腕を絡ませた。

「ねえ、今日は駅のホテルに行きましょうよ。最上階の部屋で、一面の桜を眺めながら、お酒をのむの。素敵じゃない?」

 新田の表情が柔らかくなった。

「いいですね。僕も少し気分を紛らわしたいことがあるんです」

「あら、何? まあ、いいわ。後でゆっくり聞くから」

 桜子の心は弾んだ。久しぶりにあれをやりたい。もう、生き物に生殖活動は無用になったけれども、それでも楽しみとしてはときどき味わいたいものだった。旧人類の名残の悪しき部分はほぼ駆逐されていたが、無害な物事については今も娯楽として残っている。

 駅ビルとしてそびえたつホテルの上階。ここは桜がきれいなことで有名な場所だった。桜子はまさに降りしきる花びらの中に眠るかのように、今は安らかに寝息を立てている。

 ベッドからはい出し服を着た真治は、桜子を起こさぬよう注意しながら、大きな窓の前に移動した。夜間のライトアップは朝方まで続く。今も広々とした桜の木々がぼう、と浮かび上がっている。しかし真治は見とれる気になれなかった。

 今日の発見が彼を逸らせていた。桜子に怪しまれないように、従順にここまで来たが、彼には眼下の景色は今やおぞましいものに見えているのだった。彼は一つ、気づいてしまった。

 もはや人間をはじめ多くの生物が優秀な個体のクローンの数百タイプずつに選定されてしまった世界で、なぜその個体の一つ、D103タイプの雄の個体である自分がこれほど不安と焦燥感に憑りつかれるのか、彼は自分でも訳が分からなかった。それでもそれは、おぞましいものに見えた。

 もう一度ベッドの方を見やり、変化のないことを確認して、彼は抱えて持ってきた自分のカバンを開いた。ポータブルコンピュータを開いて、昼からセットしたままの記憶装置から画像を呼びだす。

 そこには、白に近い薄ピンクだけではない、種々さまざまの「桜」の画像がふんだんに記憶されていた。いずれも、今はどこにも見ることのできないものばかり。

 とくに「吉野の桜」には目が釘付けとなった。「吉野」に関する古い文書を検索にかけて、何度もエラーを繰り返しながらも、ようやく彼はそこがはるか昔から「桜」の名所だったことを突き止めた。そしてその由来も。

 吉野には、200種のサクラが3万本も植わっていたという。そのグラデーションをなす美しい風景もさることながら、「200種」という数字に真治は圧倒された。主に古来からの修験者たちが植樹したものだという。

 真治たちの世界では「桜」は「ソメイヨシノ」と同義であった。というより、桜と呼びうるものはソメイヨシノ以外になかったのだ。

 それが当たり前だと思っていた。人々が皆クローン人間として生まれてくるということと同様に、全国に植樹された桜はほぼソメイヨシノ。その樹木は五十~六十年たつと老化して危険になるので、人為的に切り倒し、挿し木で育てておいた次世をまた全国により広大に植えていった。

 植え替えるたびに繫栄していくソメイヨシノと並行するように、ニンゲンもまた、優れた遺伝子を持つ個体の遺伝子を元にしたクローンの生成で繁茂するようになった。

 遺伝子の研究が進み、DNAの細部まで──大型コンピュータの力を借りて──解析しきった後に、病のリスクが少なくそれぞれ特定の能力に長けた、比較的穏やかな個体を数百種選出し、それらのクローンで人類を新しくしたのだった。

 これは、それまでとは質と次元を異にする「進化」であると言われていた。

 ニンゲンを中心に、悪しき遺伝子を残さないようにしたおかげで、無駄なこと、たとえば諍いや争いごとが激減した。まさに人類のユートピアが実現しつつあるのだった。

 利他精神に富んだ遺伝子を選出したために、お互いが助け合い愛し合う理想の人間関係もごくふつうになった。

 人数の調整や必要配置場所をAIで分析して、新たなクローンをまたつくり出す。違う遺伝子同士のクローンの生殖は禁止されている。ただし、愉悦を得るための遊びとしてなら許されていた。それはもはや生殖手段としての意味を喪失している。

 「吉野」。行ったことはまだないけれど、一面のソメイヨシノがひどく見事であるという。研究員をしていながら、まだ自分の目で確認していなかったのはうかつだった。明日は休日だ。一人で出かけてみよう──そう真治は決心した。

 訪れたことはなくても、白っぽい靄を敷きつめたような吉野山の写真はもちろん幾度も見ている。ただ、いまコンピュータの中にデータ化して隠し持っている古文書の色の褪せた画像はそのような光景ではなかった。もっと様々の、言葉に言い尽くせないような紅のグラデーション、また黄緑の若い葉も混じっている。それは真治が、いやこの世界の誰もが見たことのない景色だった。

 桜、つまりソメイヨシノは、多様な桜たちをすべて白い絵の具で塗りつぶした上に花開いたあだ花のようにさえ思われる。

 「多様」? ふっとこの言葉が頭に浮かんだが、それは旧人類の頃の言葉だったはずだった。真治は右手で前髪をつかむ。何かを知りたくて、なかなか知りえないときのもどかしさからくる癖だ。それは、このD103タイプの元となった、数百年前のの癖だったのかもしれなかった。

 翌朝、ホテル前で桜子と別れ、真治はすぐに帰宅して荷物をまとめた。もはや、いても立ってもいられない気分だった。早く「吉野」に飛んでいって確かめたい。確かめるといっても、そこには現実にはソメイヨシノが咲き乱れているだけだとしても。

 そわそわと落ち着かない気分をなだめるように、電車内ではひたすらコンピュータの画面を睨みつけていた。何度も読みかえした旧人類の文書。そこに掲載されている多様なる200種もの桜たちの画像。息をのむような美しさ。それをなぜ、旧人類は葬り去り、自らもまた新たな「進化」を遂げたのか。

 今「吉野」の山は閉ざされており、ふつうの人間はその中に立ち入ることはできない。遠くから眺めわたすだけだ。しかし、真治は研究者としての許可証を持っている。それを、現地の研究センター分会の事務所に提示し、遺伝子検査で本人確認を済ませたのち、一人この桜の世界に足を踏み入れた。

 人気のないしんとしたソメイヨシノ。樹間に、樹木を傷つけないように注意深く張られた綱の合間をまっすぐに歩く。折しもソメイヨシノは満開をやや過ぎた頃。はらはらと花びらが降りしきる光景は、永遠に続くかのようで、研究者として長らく触れてきた真治にとっても別世界のようだった。

 「花酔い」という言葉が頭をかすめた。これは旧人類の頃からある言葉だ。初めてその意味を感覚としてつかみ取れた。道を静かに歩きつづけながら、真治は考え詰めていた頭の中が空っぽになっていくのを感じていた。

 ソメイヨシノは十分に美しかった。自分は何に拘ってここまで来たのだろう。かつてのこの地の様子が残っているわけでもない。古来からの山桜たちはすべて伐採され、打ち捨てられた。その後を挿し木で育てたソメイヨシノが埋め尽くした。

 ソメイヨシノは実を結ぶことがない。いや、結んでもそこから新たな生命が生まれることはない。だから、すべて挿し木で人間が増やしつづけたクローンであり、同じ遺伝子を持つ。

 人の力なしに存在しえない特異な桜。

 だが、動植物を問わず、生殖に何の意味もなくなったこの世界で、それが何だというのだろう。

 ただただソメイヨシノの咲き乱れる樹間を歩く。どのくらい歩いたのかさえよく分からなくなっていた。すでに頭の中までが、花びらで埋め尽くされたかのようにぼうっとしている。視界がどんどんとぼやけていく。差し伸べられる枝たちが幾重にも重なりあう。その先もその先も薄白い幻影。ほんのりと紅を浮かべた、薄白い幻影。

 立ちどまる。空を見上げる。真っ青が花たちの合間に映えている。微かな風の気配以外に音はない。ソメイヨシノの葉は花が散った後に生える。葉擦れの音さえしないのだ。

 まだ過渡とはいえ、生物たちのクローン化が推し進められている。「吉野」に分け入る鳥たちもいない。鳥も求愛の囀りを失った。ただひたすらに静謐な、温和な世界。

 愛し合い助け合う世界。無意味な諍いや争いのないユートピア。

 ソメイヨシノはそんな異次元の進化の象徴なのだ。

 あらためて真治はそのことをこみ上げる想いとともに感じとった。

 胸の奥の疼痛は、旧人類だった頃のD103の元となった人間の名残だろうか。

 真治はそこに跪いた。よく晴れた春の陽は完璧なまでに満ち足りていた。

 すでに時間の感覚は失われていたが、ほんの少し風の気配を感じたとき、真治は樹間の道の先方に影を見つけた。その影を見た途端に、彼には閃くものがあった。ただそのままに影の近づくのを待った。その姿がはっきりと見えるくらいになったとき、影は言った。

「やあ、君の名は何。クローンD103」

 鏡で知る己の顔と寸分違わない顔だった。背格好ももちろん同じだ。同じ遺伝子を持つその男は、白いシャツを少しだらりと身に着けて、微笑みながら片手を上げた。

「新田真治。君は?」

「僕はね、D103だ。クローン維持用に確保されているにすぎない個体なんだ」

 真治は驚いた。そういう役割の個体がいたとは初耳だ。

「たとえ健康上も優良な遺伝子を持っていたとしても、ウィルスの影響は避けられない。ウィルスはある意味生物進化の起爆剤だったが、その分容赦もないからね。遺伝子保存用の個体と、その体細胞はしっかりと管理されている」

 それは考えてみれば当然のことだった。真治は得心した。

「今回で、この吉野を訪れた僕のクローンは六人目さ」

「もう、そんなに来ているのか」

「僕の知る限りはね」

 二人は軽く握手した。その二人の手の上にも、花びらがはらりと舞い降りた。

「ふふ」

 D103の個体は面白そうに笑う。

「いいことを教えよう。この吉野の山が深く、そして一般の人間が立ち入りできないようになっているのは、ここがその保存用個体と体細胞の保管庫になっているからなんだよ」

「ええ、そうなのか」

「他のクローン系統の人間は畑が違うようで訪ねては来ないんだ。でも、D103の個体はどうもやはり同じ傾向を示すようだね。生命、そして遺伝子に関心があるらしい。クローンの世界の中でも重要な部分なんだ」

「たとえ遺伝子が同じだとしても、僕には君が何を知っていて何を考えているのか分からない。不思議だね」

「君はそれでも研究者かな。遺伝子だけが全てを決定するわけではないのは知っているだろう」

「それはもちろんそうなんだが」

 真治はあらためて自分の分身のようなD103個体を眺める。たとえ環境による影響を受けてはいても、やはり通じ合うものがそこにはくっきりと見てとれた。

「おいで。今日は特別に保管庫に泊まらせてあげる。保管庫というといい感じはしないかもしれないが、現実には実に居心地の良いマンションと同じさ。貴重な遺伝子保管庫。現世人類の生命線だからね」

 D103個体は先に立って相変わらず花びらの舞いつづける道を行った。真治は迷わずその後をついて行った。

 やがてたどり着いたD103個体の住む建物は、彼が言った通り、豪奢でもないがさっぱりとした、実に住みやすそうなところだった。庭には犬や猫、ウサギたちが放し飼いにされている。ソメイヨシノの幕をかき分けかき分けして、ようやく姿を現したその建物に、真治は感嘆の声を上げた。

「退屈すると遺伝子が退化するからね。いろいろの動植物も育てられていて、毎日が楽しいよ。こういう建物はこの吉野の山の中のあちこちに点在している」

 相変わらず心地よい穏やかな声でD103が言う。

「僕の部屋は五階なんだ。案内するよ」

「いいのかい」

「いいよ。これまでの五人も皆立ち寄っていった」

 そう言われて真治は安心した。

 D103の部屋に入ると、こざっぱりとして心地よかった。壁にかけられた絵画も自分の趣味にぴったりで、同じクリエーターのものを真治も持っていた。もちろんそのクリエーターもクローンである。やはり同じような趣味になるのだと真治は納得する。

 勧められたソファに腰を下ろすと、D103はキッチンからポットとグラスをとってきた。

「好きだろう。ダージリン」

「当たり」

 よい紅茶の香りが室内を満たす。

「さて、君はなぜここにきたの、真治くん」

 D103がいたずらっぽい目つきで尋ねる。

「大体察しはついているんじゃないの」

「遺伝子が同じだからって、同じ思考をするとは限らないとさっきも話したじゃないか」

「そうだな」

 真治は例のポータブルコンピュータをテーブルに載せた。かちりとスイッチを入れる。

「本当は持ち出し禁止なんだ。内緒だよ。僕は千代田生物管理センターの研究員をしている。知っていると思うけど、千代田は桜に力を入れた研究所だ」

「ああ、知ってるさ」

「そこで古い資料を整理していたとき、見つけたんだ、この画像を」

 コンピュータの画面をD103の方に向ける。彼はのぞき込んで頷いた。

「よくこんなものを見つけだしたね。とても貴重だ」

「たまたまなんだが。それで、僕はなぜかよく分からないけれども、気が逸っていても立ってもいられなくなった。この色褪せた画像の撮られた場所を訪れてみたくなった」

「今はない光景でも、かい」

「そう」

 D103は考えこんだ。

「実際にここにきて、この光景をやはり見たかったと思うかい」

 訊かれて真治は戸惑った。その答えはまだ自分の中で出ていない。

 ソメイヨシノの迷宮に酔いしれ、心はすっかり満足していたが、それでもまだ心に引っかかることがあった。

「君は気づいているか」

 D103が急に神妙な表情になって尋ねた。

「君は桜と人類──ソメイヨシノとクローン進化した人類をどこか結びつけて考えている」

 確かにそうだと真治は思った。しかし実際、クローン化した人類は吉野の多様な山桜をすべて伐採し、その後をソメイヨシノで埋め尽くしたのだから、何かの関連はあるのではないか。

「もしも、すべてはソメイヨシノの陰謀だとしたら?」

「え」

「ソメイヨシノはニンゲンの手を借りなければ繫栄することのできない樹木だ。もしソメイヨシノの遺伝子情報が変異し、ニンゲンに作用して、すべての生物のクローン化を推し進めているとしたら?」

 しばしの沈黙が続いた。真治はD103の言葉を咀嚼しながらしばらく考えたが、やがて吹きだした。

「バカげている」

「そうだな、まったくだ」

 D103も吹きだした。

「樹木がニンゲンに作用してニンゲンの行動を規制するなどとはありえないじゃないか」

「ああ、でも何となく、そういう思いにさえ捉われるんだよ。それで我々D103クローンたちは皆何かしら桜に憑りつかれてここまでやってくるのかもしれないな」

 真治は笑いながらふと壁にかけられた鏡に目をやった。

 そこに映る見慣れた自分の顔。他の個体には美しく見えるようだが、自分ではクローンとして与えられたものにしか見えない。自分で自分の瞳の中を窺った。冗談を言った後で、それをそっと確かめるように。

 気づくと、鏡に映ったもう一人、つまりD103は前髪をつかんでやや俯いている。笑った表情は変わらぬまま、真治は自分の中に黒い光が閃くのを感じた。

「ねえ」

 鏡の中のD103は、前髪をつかんだまま鏡の中の真治に顔を向け、口を開いた。

「君は知っているかな。D103の元の個体は、人類のクローン化にとても貢献した人物だったらしいよ」

「僕は想像するんだよ」

 D103は言葉を継ぐ。

「彼はずっと最後まで迷い続けたんだ」

「それは……」

「旧人類の世界はとにかく合理的でなかった。劣等の遺伝子を持つと感じた人間は妬みや嫉みの感情に支配され、無意味で不毛な諍いや争いを生み、足を引っ張り合っていた。利他精神に富み助け合い愛し合うような遺伝子を持つ我々には想像を絶する世界だよ。無駄で非合理なことばかりだった。ただ……」

「それを優れた遺伝子を持つものだけの世界に整序し穏やかな世界を作り上げるということは、もしかしたら吉野の光景を永遠に葬り去るものだということも感じていた」

 真治には予感があった。

「元のD103は吉野へは」

「来訪は古い記録にある」

「でもソメイヨシノで埋め尽くされた世界は十分に美しかった。幻想のように」

 真治の言葉を受け、D103も答える。

「確かにある種の完璧なんだ。ただ、D103の迷いはクローンの我々にも受け継がれ、それゆえにD103タイプは幾人もこの地を訪れるんだ」

「分からないな。僕はたまたま吉野の昔の光景を発見して来ただけだが」

「そういう偶然が繰り返し起こるということも、D103の計算内だとしたら」

 真治は沈黙する。

「彼はいまだに、我々に迷いを与え、結論を得させようとしている気がしてならないんだ」

 外は薄暗かったがソメイヨシノの花びらはひっきりなしに舞っている。

 これもクローンに与えられた使命なのだろうか。

「桜は好き?」

 真治はもう一度、コンピュータ内の画像を凝視しつつ、答える。

「嫌いになった」

「なぜ」

「心を乱す、から」

(了)

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