1 初めての道
「今日から高校生だな。忘れ物はないか?」
「入学のしおりと校歌の楽譜、水筒、上履き、後は……」
「傘はいらないのか」
「今日の降水確率教えてあげようか? 朝から晩まで0%だよ」
六階建てマンションの403号室。
今日から高校一年生となる一人娘、
少し汚れが着いたネクタイを何回も締め直す綾人を他所に、音華は新しい日常が始まる予感に胸を高鳴らせていた。
窓から差し込む爽やかな日差しを浴びて、今なら何でも出来そうな気がしてくる。
「綾人さん。色々心配してくれるのは嬉しいけど、私、もう子どもじゃないの。華の高校生だよ、高校生!」
「ああ、それはわかって……待って音華ちゃん!」
スクールバッグを豪快に揺らしながら玄関へ向かおうとする音華の手を、綾人は思わず掴まえた。
「綾人さん?」
「えっと……」
誰しもが新しい環境に対して思うこと、例えば、未知への不安や緊張や心配や、そういった類の感情は、目の前の瞳には微塵も混ざっていなかった。そのまま知らないでいて欲しいと願いたくなるほどの純真無垢な眼差しは、真っ直ぐ前だけを見据えている。
「……いや、なんでもない。後から追うから、先に行ってなさい」
「うん!」
時間をかけてローファーを履き、いつになく気合いの入ったポニーテールを揺らして玄関の全身鏡で最終確認をする。
毎日のように開けているこの扉も、十五年間共に過ごした自分の顔も、何もかもが新鮮で面白い。自然と緩む口角も、新作のチークより赤く染まる頬も、収まる所を知らずに彼女を輝かせている。
「行ってきます!」
全身の力をかけて扉を開ける。
一歩外に踏み出すと、桜を舞い上げる風が音華を巻き込んだ。
「あははっ!」
今は、この世の全てが味方に見えて仕方ない。
会話をする鴉も、晴れ渡る青空も、眩しいほどの陽の光も、全てが音華を祝福している。
エレベーターを待つ時間すらもじれったくて、階段を一気に駆け下りる。
始まる、始まる―—!
「始まるんだ、今から―—!」
「何が?」
「えっ?」
音華の心に柔らかくブレーキをかけたその声は、体を前に傾け覗き込むようにしてこちらを見ていた。
「何が始まるんですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます