テラス席で読書してたら占い師に間違えられた老婆

ジロギン

第1話(完結)

向島 ヨネ(むかいじま よね)は、今年で78歳になる、ごく一般的な女性だ。


若い頃から歯科技師として働き、入れ歯や歯の詰め物などを作ってきた。そして65歳で定年退職。夫との間に子どもは作らなかったが、夫婦仲良く50年近く寄り添いながら、裕福とはいえないけれど幸せに暮らしてきた。


その夫は3年前に逝去。以来、ヨネは一人で暮らしている。


ヨネの日課は、家の近所にあるおしゃれなカフェのテラス席で読書をすること。開店時間の7時30分には店に到着し、カフェラテを頼んでお気に入りのテラス席に座り、本を読みふける。集中力が切れてきたら、街ゆく人たちの顔を眺める。そしてまた読書を再開する。そんなことを繰り返していると、あっという間に夜になり、1日が終わっているのだ。


10月中旬を過ぎ、少し肌寒くなり始めた今日も、ヨネは紫色のカーディガンを肩に羽織り、テラス席で読書をしていた。


読んでいる本は、小説版『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』。ヨネのお気に入りの一冊である。



ーーーーーーーーー



21時08分


空には星が輝き、店の前を歩く人の数は少なくなってきたが、ヨネは朝から変わらず読書を続けている。


そんなヨネの真向かいにある椅子に、男が腰掛けた。視線を本から男へと移すヨネ。見知らぬ男だ。長袖のワイシャツに青いネクタイ。髪型はオールバックで、年齢は30代後半。仕事帰りのビジネスパーソンといったところだろう。店が混雑していて、相席になったのかと思ったヨネだが、テラス席からガラス越しに見える店内には、空席がいくつも残っている。


男はなぜ他人が使っている席に座ってきたのか。いまいち要領を得ないヨネ。本を閉じて机の上に置き、男に直接聞いてみることにした。


ヨネ「あの……何か御用でしょうか……?もしかしてこの席、予約されていましたか?」


男は左のひらを机の上に出し、ヨネの方へと近づける。


男「見てくれ」


ヨネ「はぁ?」


男「見てくれ。手相だよ。アンタ占い師だろ?紫色のカーディガンを羽織った老婆……誰が見たって占い師だ。しかも凄腕のな。腕の立つ占い師ほど看板は出さない。なぜなら口コミだけで占い業が成り立つから。違うか?」


ヨネ「……一体何をおっしゃってるのやら、アタシには……」


男「とぼけても無駄だ。あの有名な、神出鬼没の手相占い師『東武練馬の義母』がここら辺に現れると聞き、オレは2年も探し回った。そして見た目からして占い師としか思えないアンタを見つけたんだ。オレの勘が叫んでる、アンタこそ『東武練馬の義母』だと」


ヨネ「……いや、だから私は……」


男「ゴチャゴチャ言わず占え。金ならいくらでも払う。それくらいオレは困っているんだ」


男は足元に置いていた銀色のアタッシュケースを開けて、中身をヨネに見せつけた。中には札束が詰まっている。ゆうに1億円はあるだろう。


誰にも相談できずにいたが、お金に困っていたヨネ。カフェを利用するにも、新しい本を買うにもお金がかかる。もちろん、食費や光熱費なども必要だ。ヨネの年金だけでは生活が苦しくなる一方だった。そんな折、見せつけられた札束の山。魅力的に映らないわけがない。


男はヨネのことを『東武練馬の義母』とかいう占い師だと信じ切っている。ならば、それらしいことを言って占ったフリをし、お金をもらって姿をくらますのが、この場における最適解だろう。


ヨネ「バレてしまいましたか……分かりました、この『東武練馬の義母』がアナタの運勢を占ってみせましょう」


ヨネはやったこともない手相占いと詐欺に臨む覚悟を決めた。


男が差し出した左手のひらを眺めるヨネ。何本ものシワが見えるだけで、運勢なんて何もわからない。だが何か言わなければ、男に怪しまれてしまう。


ヨネ「……なるほど、なるほど。アナタは仕事の悩みを抱えているようだ」


男は左手でヨネの右頬を平手打ちした。スパンッという鋭い音が鳴り、後から鈍い痛みがヨネの頬を包む。


ヨネ「……恐ろしく速い平手打ち、アタシでなきゃ見逃しちゃうね」


男「仕事の悩みなど抱えていない。オレを出し抜こうとしたって無駄だ。本気で占え。もしアンタの占いが外れていた場合、オレは即座にアンタの顔を平手打ちする」


ヨネ「えぇ!?」


男「当然だろう?こっちは本気なんだ。アンタにもペナルティを与えることで、本気になってもらう」


ヨネはゴクリと生唾を飲んだ。もしかしたら自分は、危険な男を騙そうとしているのかもしれない。そんな危機感がヨネの心をいっぱいにする。


しかもこの男の平手打ち、速いだけなく重い。1発食らっただけでヨネの脳が大きく揺れた。


男「オレは、世界ビンタ選手権で日本代表チームの主将を務めたこともある。過去にオレが出場した大会の結果は、優勝が2回、準優勝が3回、ベスト4が1回」


ヨネ「アナタは……平手打ちのプロ……?」


男「アンタに左手のひらを見せている以上、オレは通常の体勢より速く平手打ちを繰り出せる。回避は不可能だと思った方がいい。つまりアンタは、平手打ちを喰らいたくなければ占いを当てるしかないというわけだ。オレの利き手が左ではなく右だったのは、不幸中の幸いだな」


ヨネの背中を冷たい汗が流れる。迂闊なことは言えない。もし男の意図する占い結果と別のことを言ったら、また平手打ちを喰らうことになる。全盛期の頃ならまだしも、老いたヨネの体で男のビンタを何発も耐えるのは難しい。


恐る恐る口を開くヨネ。


ヨネ「……ア、アナタは何か迷っているようだ……そう迷走している……違いますか?」


男「迷走……?」


男の左手がピクリと動く。


男「……そうだ、オレはまさに迷走している。迷宮の中にいるかのようだ」


どうやら当たったようだ。ホッとするヨネ。だがまだ終わったわけではない。この男の占いをさらに深くまで進めていかなければ、納得してはくれないだろう。すべては大金を手に入れるため。ヨネは改めて覚悟を決めた。


ヨネ「とても大切なものを探し、迷っていますね?そう、アナタの命と同じくらい大切なものだ……」


男「ああん?命と同じくらい大切なものだと?」


男の左手に力が入るのが、ヨネの目から見ても分かった。


男「……確かにそれくらい大切なものだ。よく見抜いたな。さすがだ」


ヨネはフゥと大きく息を吐いた。奇跡的にここまで、男の期待通りの占いができているようだ。


まだまだ関門は続く。しかしそれを抜ければ、大金はヨネのものだ。


ヨネ「その大切なものに……アナタは心を奪われている……愛しているんだ……その人を!」


男「……ああ、その通りだ」


ヨネは心の中で「ヨシッ」と思った。人間の悩みは限られていて、大体「仕事」「健康」「恋愛」に収束する。男は最初「仕事に悩んではいない」と言った。ならば残りは「健康」と「恋愛」の2択。そしてその後に「大切なものを探している」と言ったことから、男の悩みは「恋愛」の可能性が高い。ヨネの推測が見事に的中した。ヨネの人生経験から生まれた勘の賜物だろう。


しかし男はヨネの右頬をスパンッと平手打ちした。


ヨネ「な、なぜ……?」


男「アンタ、愛している『人』と言ったな。オレが『それ』を愛しているのは確かだが、『それ』は人ではない。亀だ!オレの愛亀、ミシシッピアカミミガメの『ミッシェル』だ!2年前に失踪した『ミッシェル』を探し、オレは凄腕の占い師を求めていた」


ヨネ「そ、そんな……ペットの居場所が手相で分かる訳ないでしょう!?」


男「今のアンタの発言で、オレの中で100%確信になった。『東武練馬の義母』は飼い主の手相から、失踪したペットの居場所をこれまでに300回以上も当てている。それができないとのたまうアンタは、『東武練馬の義母』ではない」


ヨネ「バレたー……」


男「オレが見せた大金に目が眩んで、騙し取ろうとしたんだろう?」


ヨネ「いや、そんなことは……」


男「黙れババア!オレを騙そうとした、ひいては『ミッシェル』に対する愛を弄ぼうとした罰だ!……オレが世界を制した、必殺の『500連往復ビンタ』を喰らえ!!」


ヨネ「あ、あのスピーディかつヘビィな平手打ちを往復500回も!?」


男の平手打ちが、ヨネの右頬に再びクリーンヒットする。


男「1!2!3!4!5!6!…………498!499!500!」


ヨネに500回の往復ビンタを終えた男。


ヨネは中空を見上げ、白目を剥き、口から滝のように血を流している。両頬はメロンパンのようにボコボコになっていた。


だが傷ついたのはヨネの頬だけではない、平手打ちをした男の左手も血まみれになり、五指があらぬ方向に曲がっている。


男「おかしい……世界を制したオレの手が……平手打ちに慣れたオレの手が反動で怪我をするなんてあり得ない……そういう鍛え方をしてきた……1万回平手打ちをしても突き指一つしないオレの手が……ババアてめぇ……ただのババアじゃねぇな……?」


ヨネはニヤリと微笑む。


ヨネ「アタシ自身はただのババアじゃよ……普通じゃないのはアタシの入れ歯さ。特殊な素材を使った入れ歯でね……強度は普通の入れ歯の比じゃない。歯は大切にしないとだからなぁ〜。まさか500回も平手打ちするまで、異変に気づかんとは……」


男「特殊な素材だと……?」


ヨネ「2年前、道端で拾った亀の甲羅を引っぺがして作った特注品でね。確かあの亀、顔の両側が赤くなっているミシシッピアカミミガメだったっけなぁ〜?」


<完>

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