久方

小狸

短編

 久方ぶりに小説を書こうとしたら、書き方が分からなくなっていた。


 去年の3月末の、春先の話である。


 3月の末、父が倒れたと聞いて、一人暮らし先から飛んで帰った。


 職場を早帰りにして、そのままの足で、車で埼玉にある実家であった。


 幸い怪我などはなく、貧血だったらしいけれど、大事を取って一日検査入院することになった。


 元より貧血気味であり、そういう体質なのだとは聞いていたけれど、ただ父が心配であった。


 当時の私は、父にもしものことがあったらと思って、色々と感情が落ち着かないところがあった。


 たかが検査入院だよと、父は笑っていたけれど、私は内心穏やかではなかった。


 私は、葬式に立ち会ったことが一度しかない。


 しかも幼少期、母方の曾祖母が亡くなった時である。


 父方も母方も、祖父は若くして亡くなっていて、私とは面識がない。


 だからこそ。


 人が亡くなるということに対して、実感が薄かったように思う。


 怖かった。


 夜中、実家の自分の部屋で、一人で少し泣いた。


 いや、今でも薄いものは薄い。

 

 しかし転機というなら、この時だったように思う。


 人の生き死に――人はいずれ死ぬのだ、と、改めてこの時痛感した。


 これがもし小説なら、父に重篤な病状が見つかり、それはもう既に手遅れであり――などという展開になっていくのだろうが、幸いなことにこれは現実である。


 元々の体質で貧血になりやすいということで薬が処方され、そのまま母の運転で家に帰ってきた。


 その頃には、私は落ち着いていた。


 納得、というには少々変かもしれないけれど、やはり安心していた。


 いつも通りの、父がそこにいたから。


 そして埼玉の実家から一人暮らし先の家まで車で帰った。その日は金曜日で、仕事では年休を取っていた、一応職場と連絡を取って仕事やら何やらの引継ぎをし、土日に入った。


 前置きが長くなった。


 基本的に私は、週の土日のどちらかの日に、小説を書いている。


 果たしてそれは小説と呼んで良いのかは微妙な短編を、つらつらと、徒然なるままに、ネット上の小説投稿サイトに掲載して、小さな承認欲求を満たしている。


 一応ジャンルとしては「現代ドラマ」に含まれるのだろうが(というか、それ以外に該当するジャンルがなかった)、まあ、この文を見て分かる通り、私小説的な内容がほとんどである。


 日常に起こったあれこれを、私小説として、虚構の側に持って来る。


 なんて、そんな風に言うと聞こえは良いが、そんな小説はウケない。昨今の流行には追いつけていないし、追い付こうとも思わない。


 小説を書き始めた契機も、学生時代の元彼が小説を書いていたから(私が彼を振ってから、その小説の更新は止まったままである。今は何をしているのかすら分からないしどうでも良い)、というとてもつまらない理由である。


 小説家になりたいと思ったことはない。


 別れた時に辞めようか迷ったが、ただ、何となく、私のストレス解消要因の一つとして、既に「小説を書く」という行動は、私の中に組み込まれていたというだけだ。


 ただ、こんな駄文にも需要はあるようで、時折「いいね」を下さったり「星」で評価を下さったりする方がいるようだ。


 そして――問題のその小説である。


 ようやっと、話が冒頭に帰ってきた。


 書き方が分からなくなった。


 どう書くべきなのか――私のいつもののんべんだらりとした私小説的な文章が、書けなくなった。


 原因は、恐らく父への心配が解消し、その緊張が弛緩した時による反動、なのだろう。


 心理的にそういう状態を何というかは分からないが、その感覚は何となく知っていた。


 ただ、言葉にするのは初めてだったし。


 体感するのも、初めてだった。


 何を話そうか。


 何を語ろうか。


 短編とはいえ、小説であることに代わりはない。


 物語にしなければならない。


 や、分かっている。そういう規則に自分を縛れば縛るほど、がんじがらめになっていって身動きが取れなくなるのだ。


 しかし、今は違う。


 自由である。


 取り敢えず喫緊の課題は解決している。


 何でも書ける。


 自由に書いていいよ、と言われると、逆に戸惑うものである。


 読書感想文などは、故に結構得意であったつもりだ。


 書くべき主題がはっきりしているから。


 しかし物語はそうではない。


 どうしたものか。


 現状を整理しよう。


 今の状態は、書けない、ではなく、何を書けば良いのか分からない、である。


 普通に今週起こったことでも書き起こすか。


 仕事の話は、そのまま話すとコンプラ違反になるし、個人が特定されても面倒なので、今まであまり小説にはしてこなかった。


 取材でもしようかとも思ったけれど、短編で取材をするという、労力が結果に見合っていないと思い至り、止めた。


 結局ぼうとして、土曜日が終わった。


 気付けば夕方になっていて、斜めの陽が窓から入ってきた。


 春。


 変化の季節、進学の季節。

 

 書こうと思えば、幾らでも題材があるだろうに。


 と。


 ここでようやく私は、自分が何を書きたいのか分からないのではなく。


 書くのが面倒になっているのだと気付いた。


 少し期間が空くことによって、いつの間にか趣味・ストレス解消が、義務になっていたことを、客観的に見ることができたのである。


 ああ――そういうことか、と。


 どこかで納得した。


 そろそろ夕日が沈む頃合いである。


 夕食を作って、お風呂に入って、ネトフリを観て、それで寝よう。


 たまには、そういう日もあって良いか。


 特にオチもなく、私はそう思った。




(「久方」――了)

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