第46話 日本に大規模テロ組織が存在しない不幸
もしイスラム教徒に生まれていたらイスラム国に入っていたと思う。
いや、私の世代だとアルカーイダか。
彼らはご存じ間違った主義主張を掲げて無差別テロを重ねてきた狂信集団であると同時に貧困や失業で社会や将来に絶望した者の受け皿にもなっているはずだ。
世界からないがしろにされた者は世界の破滅を願う。
しかし、その破滅の望みは、本質的には彼ら自身の絶望や苦しみから生じるものであって、その実、求めているのは救いであり、認められることである。
自らの存在が無意味ではないという確信を得ることだ。
そのためには、彼らの声に耳を傾け、彼らの苦しみに寄り添うことが必要なのだが、その心の隙間を埋めることができるのは往々にして上記のような狂信集団、テロ組織であることが多い。
彼らの掲げる大義は目の前の腐った現実をリセットし、絶望の中にいる者たちに世界の再構築を提案する。
その再構築された世界は絶望していない者、すなわち現実世界に折り合いをつけて満ちている者にとってはデストピアそのものであるが、絶望する者はそこに光明を見出す。
彼らにとっては自分がいる世界、目の前の現実そのものがデストピアだからだ。
そしてその理想とする世界は多くの場合幻想であり、実質的には踊らされて利用されているだけなのではあるが、世の中見る阿呆より踊る阿呆である。
自分の存在意義を認められた気がして参加し、ついつい踊ってしまう。
そして祭りの後に本当により深刻な現実を知るか、自分の生命を終わらせてしまうことにはなるが、少なくとも祭りの楽しさだけは味わうことができる。
たとえ主役になれなくても、参加することに意義のある人生で最も楽しい祭りだ。
イスラム国やアルカイーダは目的の善悪はどうあれ絶望した者たちにそんな祭りを提供してくれているのではないだろうか。
日本に存在するどんな団体よりも本当に絶望した者の救いになっているのではないか。
たとえ一時的であったとしても。
日本にも底辺にいる者や道を踏み外した者など現実社会に絶望した者を受け入れる暴力団や半グレなどの団体があるが、彼らは理想の世界を提示していない、つまり大義がない。
参加する意義が多くの者にとって感じられないのだ。
だから日本国に生まれて絶望している私は不幸だ。
大義や理想とする世界の構築といった幻想も見ることができず、自分を排除した現実ばかり見せられているのだから。
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