第20話 「願ったりかなったり」が一番怖い

私は自分の希望が全然かなわないのも嫌だが、願ったりかなったりで自分の希望が100%以上かなうことが一番怖い。

浮かれようものなら、絶対に何か良くないことがある。


実は私は願ったりかなったりが実現したことがあり、その後「こんなはずじゃなかった」という羽目に陥ったことがあるのだ。


それは二十代中盤の時に起こったことである。

私が学校を卒業した後務めた印刷会社を一年とちょっとでクビになってからしばらくして、私は上京した。

小学館のある青年誌に連載を持つ漫画家のアシスタントになったのだ。


実は、漫画家のアシスタントは私にとってまさに「願ったりかなったり」の職業だった。

私は高校時代、イラストレーターやデザイン系、もしくはアニメーターなどの仕事にあこがれていて美術系の大学への進学を希望していたのだ。

親の反対もあって外国語学部の中国語学科に進むことになるのだが、在学中も卒業後に就職した印刷会社でも、自分の漠然とあこがれた絵を描くような職業への思いは持ち続けていた。


漫画家のアシスタントこそまさに絵を描かなきゃいけない職業であるから自分の嗜好にもろ合っている。

東京暮らしへのあこがれもあったし、しかもその漫画家は私が大好きな作品を描いている先生だったから「願ったりかなったり」ぶりがハンパではない。


私は喜び勇んで東京に向かい、その漫画家のアトリエで働き始めた。

仕事は背景を描いたり、ペン入れをしたり、仕上げ全般。

始めたばかりの頃は自分が大好きな作品の制作に直接かかわれている上に、やりたかった仕事をして金をもらっている幸福ではちきれんばかりだった。


しかし、それは長く続かなかった。

それはその仕事をやることが苦痛になってきたから。

実は私は絵をそこそこうまく描けても、描くことがさほど好きではなかったことに気づいたからだ。


私はそういう美術系の仕事がやりたいと思っていても、毎日時間さえあれば絵を描いていたわけではなかった。

つまり本当に好きではない、好きだったら四六始終描いている。

両親が美術大学へ行くのを反対したのはけだし慧眼だった。


また、私は理解力がなく、手先が不器用で雑である。

なかなか技術が向上しなかったし、先生も自分の伝えたイメージの背景を全然描いていないとしょっちゅう私を叱責した。

だからと言って私は奮起してうまくなろうという気が起きなかった。


私は才能がなかったのだ。

才能とはその方面のことをいかにうまくこなせるかではなく、いかにその方面での困難に耐えて立ち向かえるかだと今も信ずるのは、ここでの経験があったからである。

また、私は掃除や電話番などの雑用でも役に立たず、その方面での心証も悪かった。


結局そこも一年と二か月くらいで解雇されてしまった。

最後の二か月は死んだような目で仕事してたから、先生がいろいろ言い訳しながら「悪いけどもう雇えない」と告げた時、少しほっとしたもんだ。


今から思えば自分の才能が何であるかを分かっていなかった。

私の悪い宿痾で、こうだと思ったら変質狂的にこうと信じ込んでいた。

これが私の道だとずっと才能がないのに思い込んでいたんだから。


何より願ったりかなったり過ぎて浮かれ過ぎていた気がする。

これからが本番だという気迫がなく、慎重さもなかった。

願ったりかなったりの後こそ一番大変だったのだ。

そして「こんなはずじゃなかった」と気づいた後には底なしの失望と無力感、その後も長く続く自己否定感に苛まれる。

「願ったりかなったり」をかなえてやったのにそれを無駄にしたことに怒った神から下された天罰のように。


これは私が他人に自信を持って語れる数少ない教訓なのだ。


第一志望の学校や会社に入ったり、とんでもない成績や業績をたたき出したり、理想の彼氏か彼女を手に入れた後こそ気をつけろ。

それは罠か、試されているのだと。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る