第7話 母性は醜い

私は母の愛を知らない、というか理解できない。

母に関して「私を生んだ女」以外の言葉があまり浮かばない。


だが、私には実の母がいる。

私が子供のころからいて、今も実家にいるから死別したり生き別れたわけではない。

そして何か人間的に問題がある人というわけでもない。

むしろ常識的な範疇に入る方だと思う。


問題だったのはどちらかと言えば私の方だ。

幼少より正しく物事を判断したり相手の気持ちを先んじて推察することが極めて不得手という私のADHDという欠陥によるものだったのではないかと私は考えている。


私の家では母は小学校教師を私や弟が生まれた後も続けており、幼い我々の面倒は祖母が見ていた。

だからまず長い時間顔を合わせていたのは祖母の方ということになる。

そして祖母というのは孫に甘いことが多く、必然的に子に対するよりも手ぬるくなりがちだ。

一方の母親は愛情を持って接することもあれば厳しくすることだってある。

祖母の愛は生温かく、母の愛は熱い。


正常な子供ならばいくら普段いなくても、ごく自然に母を母として受け入れていただろうが、私は違う世界で生きていた子供だった。

幼い私はいつもそばにいて何でもやってくれる生ぬるい方を選んだ。

そして夕方になると顔を見せて時々怒る熱い方を拒んだ。


今から考えるに、母の驚きはかなりのものであったはずだ。

まさか実の子が生みの母を拒絶することがあるとは信じられなかったはずだからだ。


子供の頃の記憶の中で、まだ三十代になるかならないかだった母は祖母から私を取り戻すためになりふり構わなかった印象がある。


「あんたの母ちゃんは私なの!ばあちゃんじゃないの!!」


感情をかき乱されるあまり、涙を流して私を殴ったことだってあった。

今でもその時に私が感じたことを覚えている。


母は醜い。


幼い私は発散する母性の狂気を前におののいた。

母親は私なのだと自分に詰め寄る女に、子供だった頃の私は恐怖と嫌悪感しか感じることができなかった。

母性は無双ではない。

母だから何だというのだ?とその時の私は内心反発しさえした。


私は次第に母との間に距離を作るようになった。

母親が普通にいればできないはずの壁を母親の目の前で作ってしまった。

その壁はいまだに残っているらしく、母性が理屈ではわかっていても感情では理解できない。

いまだにぎこちなくよそよそしい関係が我々実の母子の間に続いている。


だからと言って母は悪くないと思っている。

真摯な気持ちを全く別なものと解釈してしまう私のような奇怪な思考回路と感受性の子供だってごくまれにいるのだから。

母にはそれが理解できなかったし、その時は私も母の気持ちを理解できなかった。

それはある程度成長してしまったら改変はできない。


現在でも私は何か大切なものが欠けたままの人間である。

人間性の土台の部分の中でも極めて重要な箇所の一つである母親の愛情を受けたという実感がないのだから。

材料はあったのに、その部分だけ自ら手抜きしてしまったようなものだが。


だから、我が母よ。

来世でも私はあなたから生まれたくない。

あなたも私など生んではならない。

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