第8話 自分に自信が持てないもう一つのわけ

私は生来自己肯定感が低く、自分に自信が持てない。


昔から何をやっても他人より理解が遅れたりズレたりして、何もできない不器用な愚か者であることを思い知らされてきた人間が自分に自信が持てると思うか?

人様より下であることを自覚して生きるということは、自信を捨て去って生きることを強いられるということなのだ。

誇り高い生き方では決してないし、生きていて不愉快なことこの上ない。


知力の面で能力が低いという事実に加えて、私が自分に自信が持てない理由がもう一つある。

それは体の使い勝手が悪いこと、要するに運動能力が低いことだ。


体も不器用で、テクニックを体で覚えるということもできない。

スイミングスクールでは一緒に入った人間が一年以内にバタ足→背泳ぎ→平泳ぎ→クロールの段階に進んだのに、私はバタ足のままで、「高いレッスン料をドブに捨てている」とかんしゃくをおこした母親によくキレられたものだ。

サッカーもやっていたが、リフティングも10回未満しかできないなど才能がなく、結局ずっとレギュラーになれなかった。


瞬発力にもバネのある体にも恵まれていないし、筋力も劣る。

走っても遅いし、瞬間的に反応して体を動かすことができないし、ボールを遠くに投げたり速く投げたりもできない私にとってはそれらすべてが求められる野球などは悪魔のようなスポーツだ。


体を動かすこと全般が苦手であることで問題なのは、スポーツや運動会などでみじめな思いをすることだけではない。

子供の時分、それも男の子にとってはもっと切実な問題に直面する。

それはケンカが弱いことだ。


女はピンと来なくて結構、でも男にとっては大問題だろう?


ケンカは気合と根性だけでは勝てない。

ある程度のフィジカルの力が必要ではないか。

自分の攻撃を全てカットされて相手から一方的に攻撃を受け続けて誰が気合と根性を維持できる?


ケンカが弱いということは自己主張の裏付けがないということだ。

我を押し通すことができないということだ。

自力救済ができないということだ。


他人に何をされても文句が言えないということでもあるから、数限りなく悔しい思いをしてきた。

おかげで、私は他人に対してすぐにひるむ癖がついて今に至っている。

胸を張って生きることができないのだ。


ADHDである以外に、運動能力の低い体も私の生きづらさの原因になっていると思う。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る