第6話・ラブレター
わたしの暮らす家は、とある海辺にある。少し入り組んだ地形になっていて、台風なんかがきても、比較的波の穏やかな場所だ。
家の
わたしの部屋は、海の生き物をモチーフにした
クローゼットを開き、ハンガーにかけてあるワンピースを見つめて少し悩む。悩んだ末に桃色のワンピースを取り出して、セーラー服から着替えた。
お母さんに「ちょっと海に行ってくる」と告げて、家を出る。
空は快晴。その下にある果てのない海も、空に恋したように同じ色をしている。
水平線の上に浮かぶ筆を流したような雲は、まるで出来たての綿あめのように白くて美味しそうだ。
入江に着き、サンダルを脱いで砂の上に立った。ここの砂は真っ白で、さらさらとしていて心地良い。ずっと触っていたくなる砂だ。
遠くで子どもたちの笑う声がする。最近、この辺もにぎやかになってきた。
ほんの三ヶ月くらい前までは、わたしたち以外いなかったのに。
この国は昔、とても恐ろしいウイルスが蔓延して、ひとびとを苦しめたのだという。
砂化ウイルス――ひとが、砂になってしまう致死率百パーセントの不治の病。
わたしの両親は、そのときの数少ない生き残りだ。
ウイルスが広がって、この国は日本砂漠と呼ばれる砂漠となってしまった。しばらくひとが住める状態ではなかったようだけど、時の救世主さま(詳しくは知らない)が、なんとかもう一度ここにひとが住めるように手を尽くしたんだって。
まぁ、これは両親や学校で習った内容。社会科見学で記念館なんかにも行ったりしたけれど、わたしにはいまいちピンと来なかった。
もちろん、大変だったんだなぁ、とは思うけど、当時のことなんて今を生きるわたしにはよく分からない。
わたしと両親は、血が繋がっていない。
ウイルスが絶滅し、国全体の整備が整えられて帰国が許された今年の春、アメリカに移住していたふたりは帰国した。
そうして国の補助を受けながら、家を探して歩いていたとき、ふたりがちょうどここを通りがかって、入江で倒れているわたしを助けてくれたのだ。
そして、家族になった。
血は繋がっていないけど、両親はわたしをとても大切にしてくれている。
そんなわたしの今の楽しみは、学校が終わってから日没までの数時間、この入江でぼんやりすること。
ばばくさいって?
いいの。だって人間みんな、海から生まれたのだから。この波音を聴いていると砂に触れていると、とても心地良い。
それに、ここに来ると、あれがある――。
視線を流し、わたしはあるものを探す。
「あった!」
わたしのさがしものは、すぐに見つかった。
波打ち際に、小さな瓶が落ちている。少し古い透明な瓶。中には、紙が入っている。瓶の蓋を開けて、中に入っていた紙を取り出す。
『愛するひとへ。元気にしてますか? そちらはどうですか? 寒くはないですか? きみがいなくなって、一年が経ちました。僕は今も生きています。生きて、毎日きみに会いたいと思っています』
初めてここに来たとき、たくさんの瓶を見つけた。中には誰かが誰かに向けた手紙が入っていて、わたしはそれを見るたびどきどきした。
『もう一度、きみに会いたい。きみに直接、愛していると伝えたいです』
どれも、とても心のこもった手紙だった。
『きみは今、どこにいますか? 海の中? それとも、空の上? 僕はいつになったらきみに会いに行けるだろう』
この手紙の送り主ときみという子は、とても想い合っていたのだろう。きっとずっと一緒にいたのだろう。最初はそう思っていた。
けれど。
『僕たちは、たったの三日しか一緒にいられなかった。けれどあの三日間は、間違いなく僕の人生の中でいちばん大切な時間でした。今でもずっと、愛してる』
驚いた。
手紙の内容を考えると、このふたりはたったの三日しか一緒にいなかったのだ。それなのに、こんなにも心の底から想い合っている。
『海を見ると、いつもきみを思い出します。いや、思い出さないなんて日はないけれど。会いたい』
こんな恋があるのかと、最初は信じられなかったけれど、どの手紙にも、きみへのまっすぐな無垢な想いが綴られていて、わたしは見るたび、涙が込み上げた。
『好きです』
わたしが言われているわけじゃないのに、どうしてこんなに胸が苦しいんだろう……。
『きみの笑顔が見たい。笑い声が聴きたい。手を繋ぎたい。触れたい』
この手紙の送り主は、どんなひとだったんだろう。たった三日でこのひとをこんなにも虜にしたきみは、一体どんなひとだったんだろう。どうして、三日しか一緒にいられなかったのだろう。
『あの日、ふたりでやりたいことを書き殴ったあの黒板は、今でも僕の宝物です。きみは、絶望しかなかった僕を救ってくれた救世主です。いつ死ぬか分からなかったあの状況で、きみは嘆きや悲しみの言葉ではなく、やりたいことでいっぱいに黒板を埋めつくしていた。チョークの黒板を叩く音に興奮して、はなまるの書き方を知ってはしゃいで。きみは、生命力の塊だった』
「黒板……」
一瞬、なにかが引っかかった。けれどわたしはその違和感に気付くことなく、読み進める。
『この想い、ちゃんと届いてるかな。きみが欲しがってたラブレター……本当は、きみに直接この手で渡したかった。どうか、きみがいる場所まで届いていますように』
「ラブレター……」
そのワードに、ハッとした。この手紙を初めて見たときから、なにかがずっと引っかかっていた。
ようやく、思い出した。
一ヶ月ほど前に行った社会科見学。わたしが行ったのは、砂化ウイルス記念館だった。そこには、当時の状況や、ひとだったはずの砂、写真などが飾られている。そしてそこに、とある中学校の黒板が飾ってあったのだ。
黒板には、当時の学生のものと思われる『やり残したこと』が書かれていた。
『ともだちがほしい』
『給食が食べたい』
『修学旅行に行きたい』
『遠足に行きたい』
『授業を受けたい』など、とてもありきたりな願いばかりが書かれていた。
そしてその中に、一際目を引いた願いがあった。
『ラブレターがほしい』
男の子が書いたのか、女の子が書いたのかは分からない。冗談のつもりだったのか、本気だったのか、書いた子に好きなひとがいたのかも分からないけれど。
この願いを書いた子は、その後どうなったのだろう、とずっと気になっていたのだ。なぜか、無性に。
当時生き残った十代は、たったひとりの少年だったと聞いた。点と点が、繋がった気がした。
「もしかして……」
この、ラブレターは。
『ずっと、ずっと愛してる』
たったひとり生き残った少年が、好きだった少女に宛てて書いたラブレターなのかもしれない。少女のやり残したことリストを、今でも叶え続けているのかもしれない。
気付いた瞬間、涙が溢れた。視界がぼやけて、ラブレターの文字が滲む。
昔のことは、今を生きるわたしには分からない。でも、この瓶は、ラブレターは、今でもここに流れ着いてくる。
この世界のどこかにいる好きなひとへ贈る愛の印。
わたしはいてもたってもいられなくなり、瓶を胸に抱えて、急いで家に戻った。
部屋に入り、机の
今どき珍しい装丁をしたノート。両親が初めてプレゼントしてくれた、わたしの宝物だ。
「……よし」
手紙のすべてを、このノートに貼り付けていこうと決めた。
想いが消えないように。いつか、あの黒板みたいになりますように。
このひとの祈りが、ちゃんと好きなひとに届きますように。
この手紙が、この想いがずっとずっと先の未来まで残りますように……。
「花乃ー! そろそろごはんよー!」
階下から、お母さんの声がした。
「はぁい!!」
本を閉じ、抽斗にしまうと、わたしは部屋を出た。
――いつか海に還る日までには。
わたしもこんなふうに、この世界を、海を、そして誰かを愛したいと思う。
もしも明日、この世界が終わるなら。 朱宮あめ @Ran-U
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