パンと牛乳と血の約束

ミク華

第1話 食う方と食われる方

  書いてみよ。


  人は生きるためなら、何かを食わなければならない。


  飢饉の時は、米ひと握りとかあれば、それはなんという幸せ。平和の時代なら、人は食うために、行列を並んだり、グルメ探偵のようにその店この店試したり、試食バラエティーとかも作ったり、いろんなことをする。


  食物とは何?その意味は人によって、場合によって変わる。今は幸せな時代なのか?ほぼ絶対そう、以前のあらゆる時代に比べても。まあ、国がつくったばかりの頃には敵わないけど。


  でも、もし時間を大きく分割し:古い時代(西周、戦国、唐、宋、明、清…)、近代、現代など、今の時代はそう悪くない。民たちはだいぶ食っていける。民という言葉も、昔は不動産や富のある人たちだけを指す。貧乏の人たちは流、氓(この二文字は今の時代じやチンピラを指す)という。


  貧しい人は時に、事実に関わらず、人柄が悪い、怠惰、愚かだと指を差されるが。幸い、昔の人々は「巧言令色、仁少なし」とかいう言葉を残しており、または「為富不仁」(お金を熱望する人は手段を選ばない、仁の心がない)という四文字熟語を作った。フランスのマリーアントワネット王妃は「なぜあなたたちはブリオッシュを食べないの」、中国の晋恵帝は「なぜ飢える民は肉のお粥を食べないの」という名言を残した。


  「民は食を天とす」。なぜなら、人は動物じゃん。動物は食う、栄養分をとる、人もおんなじ。古代では、稲を生えることはたやすくない、ほぼ全部人と牛の労働に頼る、または木と金属で作った道具を使う。自然の災いのほか、土はまた常に奪わられる、農民たちは騙されて、強いられて土を渡す。


  見よ。土というのは、空間だ。人は空間に生きる物理的な生物だ。昔は「貧しき者は錐(キリ)の立つ場所すらない」という話をあんまり理解できなっかたけど、今は切なく理解する。人は立つ、空間を据える。だから空間の占有者は絶対勝つ。人は空間を奪われ、または空間を使うために家賃を払って、家を買ったらロンを毎月支払って、働いて、自分の時間を占有者集団に捧げる。つまり、空間と時間、両方とも奪われた。あなたの人生はそれで歪んでて、歩むべき道を塞がられて、他人の力にまるで人形のように四肢を翻弄されて、あなたは使われる。

  

  代々、奪う者と奪われる者は存在する。一人の人間の中でも、奪う部分と奪われる部分が同時に存在する可能性もある。それは、たとえ上の部分を倒しても、また中間の者たちが競ってその欠を埋める。人間社会はまるで白いアリの集団のように、火事の時、グルグルまわって、ボールになってて現場から逃れたいが、その中心にいたら安全だが、誰もが外側には居たくない。


  食う話に戻る。現代社会では、食糧とコンクリートで作った家は絶対足りるだが、占有者たちはまた「稀」というものを作りたい。人に枷を与えよう、そして思うように彼たちは働いてくれる、おとなしくしてくれる。給料は常に少ない、生きるにはちょうど足りるが、旅行にはあんまりいけない、常に金に困らせれば、彼たちは思考が単純で、わかりやすい、動かせやすい。


  楽しませる物を与えよう。短く馬鹿な動画を見せよう、そしてその多分の時間が潰されてくれる。満足させよう。


  管理しよう。でも、残業とか、お前たちの些細ないざこざとか、人生の小さな悩みとか、管理しきれない。


  書面にあるものは、現実によって変わる。言ってることとやってることがまるで逆、偽善、偽り、嘘、裏表。


  少年の頃分からなかった、プラトンが考えた「哲人王」という概念が、今じゃ自然と脳裏に浮かべ、感情を持って私は思わず望んでて、呼んでて、理想国家の王よ、あなたは博識で、強くて、すごく悩んでて、考えてて、そして良い世をつくってくれるだろう。なぜならこの世界はこんな複雑で、善意は悪をなせる、残酷は逆にいい、凡人は天才を殺す、弱い者が汚名を被せる、物事の区別がつかない、堺が曖昧、霧が濃い世界だから。



この文が好きなら、コメントしてください。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

パンと牛乳と血の約束 ミク華 @1011734

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る