第10話 音を立てて崩れたもの

「合同任務久々だな!」

「そうだね。気合い入れていかないと」


 久しぶりの真翔くんとの合同任務。それはつまり2級以上の任務のことを指していた。前に一緒だった時は命の危機を感じたほどの任務だったので今回は緊張が収まらない。だけど真翔くんは違うくて。どこか覚悟を決めた表情を浮かべていた。

 真翔くんは、急速度で成長を遂げている。もう、私なんて敵わないだろうな。


 二人で任務内容の書かれた紙を覗き込む。


「今回は大きめの霊門が開いてるらしいから二手に分けるか。桜香が霊門でもいい?」

「私はそれでも大丈夫だけど……」

「妖のことなら任せとけ! 最近北星に修行付けて貰ってるんだ。俺も進歩してる」

「……元々、心配はないよ。荷が重そうだなーって思っただけ」

「それ馬鹿にしてるのか⁉」

「してないしてない。信じてるよ」

「任せとけ」


 軽口を交わしながら任務地に向かい、東西で二手に分かれる。私は地下にある霊門を閉じに走る。霊脈が微かに乱されているため2級並の妖が出てくるかもしれない。1体ならまだしも2体もいれば任務は重くなるので阻止しなければならない。大きな霊門であればあるほど強い妖は出てくる。もしかしたら2級以上であるかも……。


 弱音を吐きそうになる自分に喝を入れるため頬を叩き、霊門へ急ぐ。霊門へ続く階段を飛ばし飛ばしに降りると地下は瘴気が濃く、顔を顰める。霊門が開くのも、無理はない。


「安部清明よ。霊門を閉じ、我らの平和を取り戻すことを、お願い申す」


 ふとこの閉言の意味を思い出す。この言葉は、安部清明を神の化身として考え、願いを神まで届けていただくためのもの。そう教わっていた。

 だけど実際はそうではなくて、安倍晴明の魂は輪廻の輪を取り何度も生まれ変わっている。この言葉は誰が聞き入れ、誰が霊門に扉をつけてくださってくれているのだろうか。そう疑問に思った。

 でもこのことは誰かに相談することもできないし土御門くんに聞いても教えてくれることはないだろう。彼は必要なこと以外は語らない。考え込むだけ、思うだけ無駄だろうか。

 現れた扉に触れ霊門をそっと閉じる。私はこの先何年も、ずっとこう思って閉門していくんだろうなと思った。


 閉門を確認し、真翔くんの加勢のため霊門へ背を向けたその時。感じたことのある大きな妖気の気配がした。振り向いたその先には閉じたはずの霊門が開いていて、妖がいた。


「どうして」

「久しぶりだなぁ。あの時の宣言通り、来てやったよ」

「金……童子」


 霊門は確かに閉じたはずだ。扉だって閉めたし確認だってした。でも、開いている。妖の気配だって感じなかったのに鬼はそこにいる。なぜか、そこにいた。

 一線を引く時間なんてない。一線を省いても九字は唱えられる。九字を発動させるため呪文を唱えようとするが目にも見えぬ速さで間合いを詰められ、大きなその手で口を塞がれ、もう片方の手で体を掴まれる。完全に身動きが取れなくなった。


 金童子は確かにあの日近い内にまた来ると言った。そのまた、は半年、はたまた来年だと勝手に勘違いした。自分の予想が外れた。あの時からまだひと月しか経ってない。準備だって不足してるし、今土御門くんは国外の任務に出ていて不在している。金童子に勝てる陰陽師の準備は不足していて、今の状態じゃ誰も叶いっこない。危機的状況だった。


「あの時の傷は治ったか? 傷だらけの状態で捧げるのは惜しいからな」

「っ」


 鬼の前で、人はただの虫けらに過ぎないだろう。抗うことも、逃げることすらもできない弱者。弱い、弱い生き物。自らの意思で自死することさえもできないだろう。愚かだった。


 だが幸いにもまだ手は塞がっていない。私は両の手を絡め合わせ、祈るように心の中で唱える。


 〝祓え給え、清め給え。土ノ壁〟


 近距離だった私と金童子の間に地よりできた土壁が会わられる。避けるため咄嗟に後ろに下がった金童子と距離ができた。


「臨」


 今度こそ、私は八つある全ての印を結ぶ。このひと月何もしてこなかったわけじゃない。あの時の悔しさ、やるせない気持ち、自分の因果。色々なことを考えてここまで生きて来た。

 って大口叩いてもあの頃より実力なんてほとんど変わってない。式神も、術もいざって時には発動できない。だけど私には九字がある。いつか自分のためになるからってずっと修行してきた。いつかは花開くことを祈って鍛えたこの技は、私に花開く。


 死なない。私はまだ、死ぬわけにはいかないんだ。


 九字を結び終え、土壁を崩すと金童子の悔しそうな顔が見えた。いくら強かろうと完全に結び終え完成した結界は私の実力であれど早々に崩れない。時間がかかるだろう。

 だがそれでよかった。時間稼ぎにさえなればそれでよかったのに。


「桜香!」


 だが予想外の人物がやってきたことで私の九字は無駄になった。

 真翔くんだ。自分が敵にしていた妖よりもより強大な妖気を感じたのだろう。こちらへ加勢にやってきた彼なのだがその体はほぼ丸腰同然。結界すら結ぶ暇を与えさせてくれないだろう。

 そんな彼を金童子が狙わないはずもなく。


「逃げて!」


 私が叫ぶと同時に間合いを詰められ、立てられた長い爪が真翔くんの体を引き裂く。血しぶきが鮮明に目に映る。砂が舞い、大きな音を立て倒れる真翔くんの体。鈍い音が聞こえた。倒れた時に頭を打ったからだろうか地面に血が流れている。


 大声で笑う金童子。頭はやけに空っぽだった。

 正直自分が何をしたかも、あまり覚えていない。気が付けば辺りは更地になっていて、金童子が急いで常世へ逃げていた。さっさと閉門し、意識のない真翔くんを抱えて陰陽寮に戻ったことだけは鮮明に覚えていた。力の抜けてぐったりしている彼は、少しずつ体温がなくなっていくのをその身で感じた。


 頬を伝うもの、涙が止まらない。真翔くんが死ぬかもしれない。私はどうすればいい。

 陰陽寮に戻るまでどうすればいい。止血は。治癒の術は。気休めにしかならないけどしないよりはいい。患部に当てる手がどうしようもなく震える。目を閉じて、苦しく息をするだけの真翔くんの顔に雫が零れる。


 無責任なことは分かってる。だけどお願い、死なないで。






「桜香さん大丈夫?」

「……はい」


 陰陽寮に着くと鬼がまたこちらに出てきたのが陰陽寮に伝わっていたのか騒ぎになっていた。屋上には倉橋さんがいて、動揺したままの私の代わりに真翔くんを治療室に運んでくれた。

 今は専門家によって治療中の彼。酷い怪我を負っていて、止血しても止まらない血が私の狩衣を汚していた。でもそんなことどうでもいい。治療室の前に座り込んでいる私を倉橋さんが持ってきた椅子に座らせた。


 倉橋さんは私に手拭を渡した。私の両手は真翔くんの血で、いっぱいで。赤いものを見る度にあの時の光景が鮮明に脳内で再現される。赤、赤、赤。

 その時、どこからかぱきっと何かが壊れる音がした。


 それから少しして、真翔くんの治療は無事に終わった。本当はすぐにでも事情聴取をしなければならなかったのに私の様子を案じて蘆屋さんが上に止めをかけてくれた。せめて真翔くんの意識が戻るまでは、って。


 国外任務を終えた土御門くんも、報告よりも先にこちらへ様子を見に来た。彼にだけは金童子のことを詳しく話すことができた。まだ自分の中で消化できていないのに話すことをできたのは全て知っているからだろうか。

 話を聞いた土御門くんは悔しそうな表情を浮かべ調査に向かった。閉じたはずなのに開いた霊門のことも気になるのだろう。土御門くんに任せておけば十分だ。


 土御門くんも様子を見に来た。彼にだけは金童子のことを話すことができて。悔しそうな表情を浮かべ、調査に向かった。無理やり開けられた霊門のことも気になるのだろう。


 真翔くんが怪我をしてから三日後。彼の意識が回復したと報告を受け、私は急いで療養室へ向かった。嬉しかった。止まっていたと思った歯車が、動いた気がした。


 だけど現実はそう、上手くはいかなかった。


「どなた、ですか?」

「え」


 真翔くんは最初に会った時のような顔で、私のことを認識した。

 先生の話によると彼は頭を強く打った衝撃と、その傷から最後に見た私のことだけを忘れる呪いをかけられたのだった。

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