花影喨々
かとりせんこ。
花影喨々
戦場は
ただ、当時の大乾皇帝はロシアが急激な南下政策を取った背景を重く見た。ロシアの南下は不凍港の獲得を旨としたもので、即ち西欧情勢の変化を意味していた。それまで西欧は無数の小国が互いの領土を奪い合う局地的な戦国状態にあると見なされていたが、港の奪い合いが始まったということは、その火花が海を接する世界中に波及する可能性を孕んでいた。
中華に位置する乾朝は、元来国の境界線を強く意識していた訳ではなかった。中華の徳を慕い朝貢する各地を冊封するが、その統治については容喙せず、各地の実情に任せていた。国内の周辺地域においても同様で、異民族の多く居住する地域では当該地の首長を
現地の土司は突然の方針転換に抵抗した。はじめは各所で小規模な擾乱が頻発したが、王朝はそれを全力で叩き潰した。次第に周辺地域は呼応し合い、組織的な反乱へと発展していったが、京師からは精強な討伐隊が派遣された。苛烈な戦役の中で多くの将兵が失われ、また現地では虐殺や強奪も繰り返されたが、その方針が撤回されることはなかった。
大小涼山の反乱は、その周辺反乱史における最初期に勃発したものだったが、次第に勢力を拡大して当該地における最後にして最大の懸案へと成長していた。その間に皇帝は二代下り、
この若き親王の将軍としての資質は、些か大時代なものであった。六芸に秀でた彼は指揮官としての手腕もさることながら、とかく戦士としての技量に長けていた。ひとたび戦場に降り立てば、軍神の如き圧倒的な力を披歴して兵士たちの士気を煽った。性格は勇猛にして果断、その用兵は変幻自在、精兵のみを率いて戦場を掻き回しては劣勢を覆し、優位を勝ち取った後で大軍に蹂躙させるという、敵に回せばまさに悪夢のような男だった。
大軍と寡兵を並行して用いる戦術を可能にした要因の一つとして、麝叢樹の持つ圧倒的な麗質が挙げられた。このとき齡十七の親王は、幼い頃から凄絶な美貌で知られていたが、年経るにつれて自らその利を悟り用いるようになっていた。重い甲冑を嫌って、赤と黒で彩られた鮮やかな戦服に派手な刺繍の
何より異様なのは、その美貌を隠す仮面だった。何のために仮面をつけているのかは不明で、余りにも美しすぎるゆえに敵兵に侮られないようにするためとも、味方の将兵が見惚れないようにするためとも、その顔に傷がつくのを防ぐためとも様々に言われたが、一つだけ確実な事実として、鬼神を象ったその異様な面は彼に極めて似合っていた。鎮圧された異民族の中には、異装に身を包んだ麝叢樹を本気で魔物と信じている者もいた。
麝叢樹の傍らには、常に一人の護衛武官が付き従っていた。寡黙だが丈高く稀な美丈夫で、こと剣術にかけては麝叢樹を凌ぐ腕前を誇っていた。兵士たちはそれぞれの出身と所属に合わせた四色の甲冑を纏っていたが、その武官はいずれにも属さない、影のように黒い兵装を纏っていた。軽い鎖帷子だけを防具として纏ったその武官は、神出鬼没に戦場を荒らし回る麝叢樹の傍らから決して離れることはなく、互いの背を預けて戦っていた。名を
戦場を駆ける極彩色の鮮やかな光芒は、その影と対になることで益々確たるものとして君臨していた。
麝叢樹にとって最後にして最大の宿敵となったのはハヌ・メルゲンという名の若い将軍だった。
当時、過酷な岩山に覆われた大小涼山を治めていたのは
そこで麝叢樹が取ったのは焦土作戦だった。寨村を躊躇わず焼き払い、戦力になりそうな男子を全て捕虜にし、山岳地域では極めて貴重な塩を惜しみなく農地に撒いた。更に交易網となる道を悉く封鎖し、馬や山羊を奪って兵站に送った。飢えた敵兵からの襲撃が増えてからは、兵站の防備を三倍に増やした上で、兵糧の一部に毒を混ぜた。自軍に中和剤を配り、水に毒を流すこともあった。大涼山を支配した黒夷が数を減らし始めると、今度は彼らの元にいた被支配民族の出身者を厚遇し、離反を促した。急進的な黒夷の圧政に長年の怨嗟を募らせていた彼らへの効果は覿面で、夜間に内部からの反逆で壊走した黒夷の部隊もあった。
二十年に渡る反乱を率いた土司は、このとき既に初老に差し掛かっていた。緻密な刺繍を施した黒衣の美しい堂々たる偉丈夫だったが、戦場での一騎打ちで麝叢樹の刃に倒れた。
だが麝叢樹が真に苦しめられたのは、大涼山を南に下った小涼山であった。大涼山の土司は圧倒的な権力で全域を支配していたが、小涼山には彼らにすらまつろわず抵抗を続ける無数の寨村があった。その多くはもはや麝叢樹率いる追討軍の敵ではなかったが、ハヌ・メルゲンの部隊はその中では群を抜いていた。
実に寡兵だった。だがその精強さは尋常なものではなく、僅か十名余りの兵による襲撃で三百人の隊が壊走したこともあった。大涼山の黒夷たちは相応の人数を持つ組織であったため、兵糧を奪うとその自重で壊滅せしめることができたが、ハヌ・メルゲンらはその数すら把握できないほどの少数であるがゆえに、実態を掴むことができなかった。投降した敵将に照会したが、彼らは既に黒夷によって滅ぼされた民族の残党で、どのように生計を立てているのかは近隣寨村の者たちも知らなかった。ただ、一度敵と定めた相手は殺し尽くすまで剣を鞘に収めることがないと恐れられており、ハヌ・メルゲンと言う敵将の名もそのときはじめて明らかになった。土司ではなく、寨村の首長ですらないため、公文書には一切記載のない人物だった。
正体のわからない亡霊のような敵は、誰にとっても恐ろしかった。加えて、彼らとの交戦時に必ず荒天に見舞われるのが、じわじわと兵士の士気を削いだ。落雷によって損害を出したこともあれば、隘路を土砂崩れで阻まれたことや、渡河中の槍水で兵馬を流されたこともあった。地の利を活かした遊撃に加え、天の利を自在に操るが如きハヌ・メルゲンを将兵たちは恐れた。恐らく百に満たないと思われるハヌ・メルゲンの部隊の追討に、討伐隊は一戦役にも並ぶ犠牲者を出していた。
独り、麝叢樹だけはその状況を愉しんでいた。否、主君の身に危険が及ぶ可能性さえなければ、管武陵も強敵を悦ぶ類の男だった。
かくしてある美しい月の夜、二人は陣を抜け出して小涼山の山中へと馬を走らせた。
大涼山が落ちた今、寡兵を率いるハヌ・メルゲンには勝算はない。戦以外の能を持たず帰る場所も失った彼らは、例え討伐軍が撤退したところで、雑多な民族が散在する小涼山を掌握して統治するだけの力を持たない。つまり麝叢樹が兵を引き上げて、大涼山と同じように小涼山にも流官を送り込んでしまえば、ハヌ・メルゲンにはもはや打つ手がなくなる。それをわかっていて、敢えて麝叢樹は小涼山に留まり続けた。ハヌ・メルゲンとの戦を愉しむために数知れぬ将兵を犠牲にし続けていた。
何度も戦戈を交えるうちに、麝叢樹は理解した。ハヌ・メルゲンはもはや討伐軍を撤退させることや、流官による支配を拒むために戦っているわけではないということを。固より土司でも首長ですらもないはずのハヌ・メルゲンには、誰が支配者となろうと関係はない。ただ、麝叢樹らを敵と定めた以上、それを討ち果たすまではハヌ・メルゲンの刃は鞘に収まることはないのだと。
果たして岩山の開けた場所に月光を背負って現れたのは、見慣れない装束をまとった細やかな人影だった。頭上には細かい縫い取りをした布を巻き、艶やかな黒髪を骨の簪で結い上げて、黒い衣裳の背には鮮やかな刺繍のある細い帯が何本も靡いていた。眩いほど月光が輝いているのに、音もなく稲妻が空を震わせていた。
眼前に現れたのが、幾度も戦場で遠目に見かけたハヌ・メルゲンであることは疑う余地もなかった。だが間近で見るその人物に麝叢樹と管武陵は息を呑んだ。佇む敵将は、黒い大きな瞳に朱色の唇も艶やかな花容を湛えていた。銀の飾りを下げた帯は細い腰を締め上げており、なだらかな身体の曲線は紛れもなく女性のものだった。
抜身の曲剣を両手に下げたハヌ・メルゲンは、音もなく飛び掛かった。即座に麝叢樹と管武陵は長剣を抜いてそれに応じた。人間業とも思えないほど凄まじい剣捌きで、二、三度剣火を散らす間に、ハヌ・メルゲンの切っ先が麝叢樹の仮面を弾き飛ばした。
金属音に振り向いた管武陵は、見慣れたはずの主君の容貌に目を疑った。常から美しい人だとは思っていたが、紅を差したように高揚した肌は寒気がするほど艶めかしく、唇に湛えた笑みは不吉な気配がするほど麗しかった。そして心底嬉しそうに麝叢樹は嗤っていた。
麝叢樹は不意に剣を投げ捨てると、ハヌ・メルゲンに飛び掛かった。不意を突かれた彼女は驚くほど容易く両腕を掴まれその場に押し倒された。その瞬間雷鳴が鳴り響いた。稲妻が近くに落ち、立ち木が根元まで引き裂かれる凄まじい音が辺りを劈いた。古木の炎上する光の中で、しばらく麝叢樹は女を取り押さえて愉快そうに嗤い続けていた。
――ハヌ・メルゲンを捕虜として捕え、遂に追討軍は大小涼山を後にした。傑出した指揮官を失った残党は小涼山の山腹で沈黙を守り、遂に消息を掴むことはできなくなった。捕えられたハヌ・メルゲンは大涼山を越えた頃、どうしたことか監視の目を掻い潜って逃亡した。傷の入った仮面をつけた麝叢樹は、見張りの兵を斬首に処した。だがハヌ・メルゲンの消息はそれきり掴むことはできなかった。
世襲親王麝叢樹は武勇でも名高かったが、平時においてはむしろ意外な理由で名を知られていた。現皇帝の実弟と言う立場にも関わらず、市井に親しみ花街を闊歩するのを常としていたためである。そして、美貌の親王は女装を楽しむという奇癖があったのだった。
凱旋後、皇帝に謁見した麝叢樹はさすがに朝服を纏ってこそいたが、世襲親王に封じる冊を掲げられたときには衆目を憚らず呵呵と笑い「この俺に世襲の地位を与えるか」と嘯いたという。というのも麝叢樹は妃を娶っておらず、花街では数々の浮名こそ流したものの特定の女の影をまるで感じさせていなかった。王府で夜、寝所に近づくことを許されているのは管武陵だけだというのも公然の秘密であった。成人から数年を経てなお独身と言うのは皇族には異例のことで、一部では麝叢樹が生涯結婚しないつもりではないかとすら囁かれていた。
余談だが麝叢樹の派兵直前に兄帝の皇子の
果たして、開祖以来稀なる世襲親王に封じられた後も、麝叢樹はそれまでと変わらず市井に下り続けた。美貌の麝叢樹は着飾るとまさに沈魚落雁の佇まいで、彼が親王だとわかっている人々の目にも稀な傾城にしか見えなかった。将兵に熱烈に支持される磁力の持ち主である麝叢樹は、京師の若者たちからも絶大な人気を誇り、街に下ると一帯の
随伴する管武陵は、寡黙ゆえに独特の色香を湛えており、花街ではやはり異様な存在感を誇る男だった。妓女たちからは麝叢樹を凌ぐほどの人気があったが、彼はいつも女たちを軽々とあしらっては榻で寛ぐ麝叢樹の足元に侍っていた。彼はいかなるときも剣を手放すことはなく、それは武官としての誇りでもあったが、たまに機嫌よく酔ったときには素晴らしい剣舞を見せた。麝叢樹はこの武官の才知を殊の外愛で、その頬に紅で花押を手ずから記すこともあった。
ともあれ、戦場にいないときの彼らは概ね花街を闊歩し、その繁栄に一役買っていた。並々ならぬ武功を上げた彼らに異を唱えられる者はほとんど皆無で、他ならぬ皇帝自身がそれを寛容していたのだから無理もなかった。大小涼山の戦役後は、辺境問題が解決したことによる空前の好景気で国中が湧きかえっている時節でもあった。
しかし、ひとり管武陵は麝叢樹の真意を汲んでいた。この若い親王の中にはいつも爆発しそうな情熱が沸騰しており、それを発散する絶好の機会が戦場であったということを。全ての戦場を平定してしまった今、辛うじて花街で発散することによって己を宥めてはいるが、いつ理性の蓋が弾け飛ぶかわからないことに親王自身が兢々としているということを。
ある雨の夜のことであった。管武陵に傘を差しかけさせ、いつものように花街を華々しく闊歩していた麝叢樹は、ある
彼女が手にしているのは月琴であった。その女は舞いながら月琴を奏でていた。他の伶人たちが楊琴や琵琶を軽やかに奏でる中、女の指捌きは細やかで、しかもその身ごなし足捌きは異様とも思えるほどに熟練していた。
舞いながら楽を奏でる伶人などさほど珍しいものではない。だが、舞用の楽器というものは概して薄く軽く作られており、音はさほど重視されない。しかしその嫖児の月琴はかなり重さのありそうな大きさだったが、彼女は軽々とそれを振り回して美しい姿勢を維持し続けていた。正確無比な音色は、他の楽器に遜色のあるものではなかった。
芸事に見慣れた京師の客たちも、その嫖児には惹かれるものがあるのだろう、その酒家は満席で立ち見まで出ている有様だった。普段は比較的空いている肆舖に入り、人だかりを作らせるのを愉しむ麝叢樹だったが、そのときは珍しくその酒家を選んだ。恐縮した主人が飛び出してきて、忽ち席が用意された。
嫖児は若く、細身のしなやかな身体つきをしていた。灯明に照らされた紅顔は美女と呼んで憚られるものではなかったが、どちらかと言えば凛々しげであった。黒く潤んだ瞳は大きく、朱色の唇は艶やかで、直線的な鼻梁は異国的な美貌を描き出していた。差し出された茶杯に手も付けず、麝叢樹は口元に笑みを湛えて女の舞を眺めていた。
その傍ら、管武陵も嫖児を凝視していた。だが彼は笑わなかった。ただ信じられないものを見たと言わんばかりに、その切れ長の目を剥いていた。
やがて首を傾げてこちらを振り向いた嫖児は、不意に舞台上でぎこちなく動きを止めた。しばらく伴奏の楽器だけが鳴り響いていたが、怪訝に思った伶人たちが次々と手を止めて、遂に酒家に静寂が降りた。
最初に反応したのは管武陵だった。彼は腰の剣を素早く払った。その剣筋を月琴で受け止めたのが、舞台上からほんの一跳躍で飛び掛かってきた嫖児だった。嫖児は弦をつま弾く爪を素早く払って管武陵の視線を遮った。
その瞬間、二人の間を緋色の傘が割って入った。滴を浴びて二人ともずぶ濡れになり、動きが止まった。傘を広げた麝叢樹は女装に似合わぬ豪快な笑い声をあげた。そして飛沫のかかった客に詫び、居合わせた全員に酒を振舞った。忽ち伶人たちは次の楽を奏で始め、別の嫖児が現れた。
壊れた月琴を抱えた嫖児を席に就け、麝叢樹は酌を求めた。今度は大人しく嫖児は酒器を取った。化粧を施した面差しは華やかだったが、その身ごなしは野趣に満ちていて、到底洗練されてはいなかった。管武陵が経緯を訪ねようとしたが嫖児は素知らぬ顔をするばかりで、声を荒げそうになった頃、店の主人が飛んできて、その女は言葉がほとんど通じないのだと述べた。麝叢樹が名を問うと、嫖児に代わり主人が
遠く雷鳴が鳴り響く夜だった。麝叢樹は煤鵑の名に相応しい黒髪を引き寄せて弄びながら、その席で盃を重ねた。やがて常のように引きも切らず若者たちが挨拶にやってくると、鷹揚にそれに答えた。管武陵が横目で押し黙ったままの煤鵑を気にしているのを、ほとんど愉しんでいる様子だった。
夜半、麝叢樹が腰を上げる頃までも篠突く雨は続いていた。煤鵑は妓女としては聊か気の利かない女だったが、麝叢樹と管武陵が帰ろうとすると大門の外まで見送りに来た。物言いたげな眼差しをじっと向けてくるので、麝叢樹はその髪を撫でやった。彼女に背を向けることに抵抗のあった管武陵は、片手に傘を掲げたまま利き手を腰の剣柄にやっていたが、姿が見えなくなるまで煤鵑は店先に佇んで動かなかった。
それからというもの、麝叢樹は決まってどの肆舖でも煤鵑を召し出した。水際立った美貌と芸の才覚を湛えつつ、言葉が通じず無愛想な煤鵑は決まって無聊を託っていたので、呼べばすぐにやってきた。やがて親王麝叢樹の贔屓という肩書きが染みつくと、花街の中で煤鵑は遠巻きに持て囃されるようになった。
麝叢樹が煤鵑にばかり構うので、妓女たちは不満げに頬を膨らませ、勢いその相手をするのは管武陵になった。美男で伊達男の管武陵は女あしらいも上手く、妓女たちの水入りを防ぐのが自分の役割だということを十分心得ていた。青楼の奥に麝叢樹と煤鵑を潜ませて、管武陵はその入口を守りながら群がる女たちを片端から往なしていた。
時折管武陵は、妓女をあしらいながら鍵穴越しに麝叢樹と煤鵑の姿を盗み見ることがあった。扉の奥の二人はいつも、何か言葉を交わすでもなく、さりとて抱き合うでもなく、ただじっと視線だけを交わすばかりだった。
差し出がましいことを尋ねないのは管武陵の身上だったが、一度だけ麝叢樹の方から切り出したことがある。雨月の夜、一つの傘の中で肩を寄せながら、麝叢樹は酔った熱い吐息でこっそりと囁いたのだった。
「あの女に触れるなら、死ぬ気にならねばならぬ」
「恐ろしい女ですからね」
月夜の戦場で見えたハヌ・メルゲンの抜身の殺気を思い出しながら管武陵は苦笑した。すると麝叢樹は意外にも首を振った。
「いや、死ぬ気で恋敵を打ち倒さなければならないのだ」
ぎくり、と管武陵は麝叢樹の面差しを見遣った。紅を差した麗しい麝叢樹は、だが管武陵の態度には気づいておらず、どこか上の空だった。
煤鵑の元へ赴く夜は、いつも決まって雨だった。その年は雨が多かったのかもしれないが、それにしても雨の少ない時期になっても連日雨天が続くのはなかなか珍しいことだった。そのせいか京師には熱病が流行り始めていた。
麝叢樹の兄の靺香樹が倒れたのはほどなくしてのことだった。生真面目な皇帝は元々あまり丈夫ではないにも関わらず、無理を押し切ってしまうところがあった。流行の熱病も、安静にすればさほど危険なものではなかったが、過労が祟ってあえなく帰らぬ人となった。二十五歳の若さだった。
後継として歴臣が推挙したのは、一人は皇弟麝叢樹、もう一人は皇子椰陰樹だった。慣例に従えば皇子が践祚するのが順当だったが、このとき椰陰樹は僅かに五歳で、更に悪いことに後ろ盾となる母后が皇帝に先立って崩御していた。
麝叢樹ははじめ、甥を即位させて自分が摂政になるつもりでいた。だが椰陰樹の母后の外戚らが幼い皇子を傀儡に仕立てるのではないかとの不穏な噂もあった。皇帝が息子を手元から片時も離さなかったため、それまで外戚が近づく隙はほとんどなかったが、天涯孤独となった幼児を彼らがどう扱うかは未知数だった。
何より、世襲親王という開祖以来の爵位を持つ麝叢樹を差し置いて、直系とはいえほんの幼児が即位するのは、どう言い繕っても道理に反していた。幼い甥に玉座を押し付けようとしている後ろめたさに、麝叢樹は足元を掬われた。彼が言葉を濁しているうちに、事態は朝廷の審議に預けられ、審議の末に皇帝の地位は麝叢樹のものに定められた。戦後間もない時期で、麝叢樹を支持する武断派の高官が優勢だったことも無関係ではなかった。
忽ち麝叢樹の即位の準備が始められ、彼は側近から皇后を立てるよう進言を受けた。咄嗟に脳裏を過ぎったのは煤鵑だったが、「下賤の女は遊びに留めておきなさい」と一笑に付された。それまでは寛恕されていた身形についても、いきなりとやかく言われるようになった。窮した麝叢樹は浴びるように酒を飲んだが、生来の酒豪で酔えない体質が辛かった。
見かねた管武陵が策を献じた。煤鵑の身分を問われるのであれば、しかるべき地位のところへ彼女を預け、名家の養女として皇后に迎えればよい、と。恋敵があるとしても、彼女が皇后になってしまえば、奪い返すことはできないだろう、と。それは妙案に思われた。
協力者を見つけるのは容易かった。先の皇后の実家――椰陰樹の外戚だった。せっかく皇后に立てた女が早世し、その子は幼少がために即位できず、政局の本流から弾き出されて焦っている時節だった。当主は皇后の実兄で、事情を説明すると快諾して邸に
即位式までに麝叢樹が片づけなければならない責務は山のようにあったが、間もなく煤鵑を宮中に得られるとあって、彼は粛々と執務に就いた。はじめのうちはふらりと窓から抜け出して彼女の邸まで行くこともあったが、必ず見舞われる通り雨でずぶ濡れになり事態が露呈するので、次第に我慢するようになった。靺香樹の崩御が秋口だったので、年明けに合わせて行われる即位式までの刻限は十分とは言えず、多忙になったことも一因であった。
年開けて弱冠二十歳の皇帝が即位した。その威容に打たれ文武百官は叩頭した。即位式は天までも祝福するような快晴であったという。
間もなく皇后が入内する手筈となっていたが、待ち望む皇帝に届けられたのは聊か不穏な報せだった。煤鵑の住む邸で火災が起きて支度品が焼失したため、入内を順延してほしいとの弁明であった。入内の支度など不要だと皇帝は焦れたが、ただでさえ反発が多い時節のこと、これ以上の弱みを増やさないようにその言を容れた。
だが次の期限になっても煤鵑は来なかった。本邸が焼失したので河北の
真相が明らかになったのは柳絮の時期だった。状況を調べ上げてきた管武陵に刃を突きつけられ、震えながら当主が述べた顛末は俄かには信じがたいものだった。
曰、ある夜のこと、月が俄かに掻き曇り、表を見れば廂房の屋根に巨大な蛇が蟠踞していた。窓辺には深刻な面持ちの煤鵑が佇んでいたが、蛇が鎌首をもたげた途端に落雷し、廂房ごと炎上した。火の手が激しく助けに入ることもままならず、やむなく焼け跡を検めたが、大蛇はおろか煤鵑の骸すらも見つけることができなかった、と。
嘘を言っている風には見えない、と管武陵は直感した。ただ内容は余りにも現実離れしており、報告した時期も遅かった。半年間に渡り状況を秘匿したのは、何らかの過失があったことを認めているようなものだった。
皇帝麝叢樹は眉一つ動かさず、一門を
一門の血を引く者で生き残ったのは、ひとり椰陰樹だけだった。ただし麝叢樹はこの幼い甥も放逐した。身寄りを失ったその身を憐れんで、命知らずの没落貴族が預かりたいと申し出てきたので、言うがままにした。宮中に置いておけば早晩殴り殺すのが関の山と知れていたので、いっそこれでよかったのだと嘯いた。
煤鵑には皇后としての追号を与え、祖廟の中に列した。そしてそれ以来、長く妃を迎えることもなかった。
それからの皇帝は暴虐そのものへと化した。生まれつき備えていた求心力を恣に振り回すようになり、些細なことでしばしば粛清した。追討軍で発揮した果断さは、諫言を寄せ付けぬ苛烈さにそのまま転じた。しばしば思いつきで親征に繰り出しては、辺境地域の無辜の民を虐殺した。傷ついた銀の仮面でその顔こそ隠してはいたが、もはやその狂気は仮面で隠し果せるものではなくなっていた。
圧政は実に十余年に及び、成人した椰陰樹が政変を起こすまで続いた。文字通りの暴君と化した皇帝を御しかねた近臣たちが、椰陰樹を皇太子に立てて間もなくのことであった。
麝叢樹は兵士を携えて現れた椰陰樹に嗤いながら御璽を投げつけ、玉座を明け渡した。そして宮中から程近い湖に浮かぶ離宮に幽閉された。
政変後も皇帝に仕えたのは、一人管武陵のみであった。椰陰樹が麝叢樹に仕えた朝臣の多くを重用したためであった。心ある臣下の多くは暴虐な麝叢樹ではなく穏健な椰陰樹に仕えることを望んだ。いつ殺されるともしれない麝叢樹の暴虐に怯える日々が終わりを告げたと悦んだ。
「朕は悪鬼羅刹にならねばならなかった」
離宮を守っていた管武陵に、麝叢樹は自らの治世を顧みて、こう告げたと言われる。
「朕は皇后を邪神に奪われた。奪い返すためには、朕もまた悪鬼羅刹にならねばならなかった」
椰陰樹の即位から程なく、麝叢樹は毒を仰いで自ら命を絶った。諡号は与えられなかった。廃帝とされたためである。一代にして空前の繁栄を築き、そして国内に狂気の嵐を巻き起こした男の、余りにもあえない最期であった。
その後の管武陵の消息は杳としてしれない。出自の詳らかでない男は、その最期までも不明のままであった。
――さて、椰陰樹は麝叢樹の寵臣を重用したが、それは意外なところで奏功した。
椰陰樹は即位から間もなく、狂疾して自ら命を絶った。寵愛する妃と宦官を相次いで失ったためと伝えられる。
椰陰樹は立太子の折に、ただ一人しかいない妃を麝叢樹に奪われていた。麝叢樹は甥から奪った妃をあろうことか皇后に封じたが、日々目を覆わんばかりの虐待を繰り返したため、椰陰樹が奪い返したときには既に瀕死の状態となっていた。このとき妃に仕えるため、椰陰樹の腹心の宦官が自ら名乗り出て麝叢樹の後宮に出仕していたが、麝叢樹はこの美貌の宦官をも慰み者にし、深手を負わせていた。
重篤な妃を救わんとした椰陰樹は邪宗に手を染め、重傷に苦しんでいた宦官を過失によって殺害した。そのまま正気を手放した椰陰樹は玉座を下りて毒杯を仰ぎ、麝叢樹に続いて帝位を廃された。それ以後、麝叢樹は前廃帝、椰陰樹は後廃帝と称された。
廃帝が二代続くという空前の事態に、王朝は大いに乱れた。その難局を辛うじて切り抜けたのは、ひとえに心ある臣下が多く残されていたためだとされる。
後世の史家によれば、有為の人材を排さなかったその一点のみにおいても、前後二代の廃帝は君主としての要件を投げ捨ててはいなかったと称される。
だがその評価の是非については、諸賢に委ねられるところではある。
花影喨々 かとりせんこ。 @nizigaro
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