本編
〇スポット①・旭ヶ丘駅
いつもの生活とは違う。見慣れない景色が新鮮に感じられる。母は前にも連れてきたことがあるのに、と笑った。幾つの頃の話かと聞けば「赤ちゃんの時かな」とおどけていた。それなら覚えていなくて当たり前ではないか。
仙台駅から地下鉄南北線に乗って10分程で着くここは旭ヶ丘駅というらしい。大きなガラス窓が立ち並んだ通路からは青々と茂った森林が、先を想像できないほど広がっていた。緑に包まれているようだ。
「ここはなんていう公園?」
「台原森林公園よ。台原って聞き覚えがあるでしょう?」
「うん、ここのひとつ前の駅だよね」
「そうそう」
「どうしてあっちで降りなかったの?」
「科学館や文学館に行くならこっちの方が近いから」
「そうなんだ」
母に倣って切符を改札に通す。いつもであれば便利なカードをタッチすれば済む話だ。だが、偶にはいいでしょう、と母が提案してきたので乗ってみることにした。
「アスレチックもあるんだよ。お母さんも小さい頃よく連れてきて貰ったんだ」
「へぇ」
懐かしさに浸っているようだ。母の方がよっぽど楽しげだ。
ああ、でも気のせいかもな。
「待って」
少し歩幅を大きくして、軽い足取りのその後ろを付いていく。
夏蝉が近づいた。
〇スポット②・ホタルの里
「君は、今日はどうしてここに?息抜きの散歩?それとも生物観察でもしにきたのかい」
耳慣れない声だった。幼い少年のような声だ。それは右耳から左耳に流れるように遠ざかる。
誰だろう。
確認しようと辺りを見渡そうとすると、目を瞑ってしまうほどの風が吹いた。木々はお喋りでもするように揺れる。
「ねえ、少しボクと遊ぼうよ」
止んだかと思い目を開けると母が後ろ手を組みながらこちらに微笑んでいる。
「お母さん?」
背中に氷を落とされたような違和感に、つい問いかけてしまった。
「うん?」
母は緩慢に首を傾げた。
「す、すごい風だったね」
「そう?」
勘違いに過ぎないのだろうか。疑問を証明する術がない。
「ここはね、初夏になるとホタルを見られるんだ。でも気を付けてね。ホタル灯に混ざって違う灯りが飛んでいることがあるから」
「それって」
「ああ、人魂だよ」
いたずらな顔をする母。いや、本当に目の前にいるのは母だろうか。こんな風にからかうような人だっただろうか。
「本気にした?嘘だよ嘘」
まだ昼間だというのに、一気に日影が差した。蝉の鳴き声が遠くなっていくようだ。公園内には疎らに人がいる。何も怖がる理由はないのに、助けを求めたくなるような焦りを感じる。
「さあ、次に行こうか」
鼓膜に届く声が二重になって聞こえる。母の声と誰かの声が合わさって耳を塞ぎたくなる。
怖い。
それでも、母のそばを離れようとは思えなかった。
さっきまで公園を覆いつくしていた蝉の鳴き声は消えていた。
〇スポット③・平和と安らぎの広場(道標・鳩)
鳩の銅像と腰掛に丁度よさそうな艶のある岩。舗装された道を歩きながら、母のようなそれは落ち着きなく見て回っている。
「ほら、ごらん。あの茂みの影」
白い指が陰った緑の奥を指さした。
「なに?」
素直に指された方角に目を向けるが、やけに暗い。でも、それだけだった。
「ああ、もう隠れちゃった。あ、今度は後ろにいる」
今度は面と向かって、さらにその奥を指さされた。振り向きたいとは思わなかった。
「何を言っているの?」
「わからない?」
問えば問い返された。
「お母さんじゃないよね?誰?」
震える声を絞り出して、母のようなそれに突き付けてやれば、思いのほか悲しそうな顔をしていた。
間違ってしまっただろうか。傷つけてしまっただろうか。目の前にいるのは本当に母で、ただの思い違いだったのかもしれない。
「そうだよね……わかるよね」
その一言で確信に変わる。
思い違いではなかった。燻っていただけの不安が大きく煽られる。
足が一歩、また一歩と下がっていく。たまらず、助けを求めようと丁度良く前から歩いてきた人に駆け寄った
「あ、あの助けて、助けてくださいっ」
その人はぴたりと止まると、こちらに向いて笑った。
「ミ……すカ」
「え?」
能面のように笑っていた。
「ミえ、ますカ?わタ死のコト」
咄嗟に選択を誤ったと気づいた。
間違った、どうしたらいい。
能面の笑みから目が離せなくなる。身体は逃げようとぎこちなくも後ずさった。そうすると目の前のそれが首をいやに前に突き出しながらタイミングを合わせるように迫ってきた。
呼吸が荒くなる。身体の外側から内側に向かって不快な痺れが這ってきた。
「きて」
思考も身体も渦を巻き始めたところで、ひんやりとした何かに手を包まれた。見れば同い年ぐらいの少年に手を引かれていた。
安堵はなかった。放り投げてしまいたいような状況だ。
引っ張られながら勝手に駆ける足。振り向くと笑う能面は気味の悪い声を立ててこちらをただ見つめていた。
そういえば、母はどこだ。
姿を探そうと首を振ると、手を引く少年の姿に時々母の形が重なっていた。
母が独りでないのならそれでいいか。
それだけは確かに思った。暑いのに寒い。泥濘の中でも走っているように足がもたついた。
〇スポット④・近代庭園
六角形という独特な花壇が点在している。白を基調とした東屋には、遠目に親子三人が並んで座っているように見える。しかし、あれが本当に人間かという判断はできない。
少年は申し訳なさそうな顔をしている。
「ごめんね。ボクはただ、君たちと遊びたかっただけなんだ」
なんて言えばいい。そうだったんだね、なんて受け入れることは出来ない。だけど。
「さっきは助けてくれてありがとう」
少年は弱々しくも嬉しそうにこちらを見つめた。小さく頷く姿に邪さは感じなかった。
「こうして喋り相手がいるのは久しぶりなんだ。ほんの少し時間をくれないか」
「そしたらお母さんを返してくれる?」
いつまで続くかわからない時間に終わりが見えてきた。機会を逃さないように、出来る限りの交渉を試みる。
「うん、少しだけ、少しだけボクと遊んで」
少年が左手を差し出す。
「……わかった。いいよ」
気は進まなかったが、それに応えた。
「君も、君のお母さんも優しい人だね。いや、強い人ではないね」
急に何のことだろうか。
「だから、ボクたちにとっては都合がよすぎる」
そういう事か。やはり、信じては行けなったか。差し出した手を引いて、顔をしかめて見せる。
「ああ、ごめん、これ以上何かするつもりはないよ」
少年は首を振りながら手を挙げて、降参のポーズをとる。
風もないのに木々がざわつきだす。それに混ざってこそこそとした話し声。
「あの子ダ」
「アの子ね」
「あの子ガ欲シい」
「身体が欲シい」
「欲シい」
このままここに居てはいけない。どうするつもりかと、視線を送る。
「早くここを抜けよう」
互いに頷いて先に進むことにした。
〇スポット⑤・スイレンの池
鈍い青緑色の水面が穏やかにさざ波だっている。鴨は目を瞑って有るがままといったように浮いている。覗いてみると暗い色に染まった鯉が泳いでいた。鯉が泳いでいるよりももっと底の方、じわりと人の顔のような形を見てしまった気がしてすぐに顔を上げた。
「こっちこっち」
少年は飛び石に乗っかり池の真ん中に立っていた。
呼ばれるまま、飛び石の間の隙間に落ちないように気を付けて追いついて見せる。
「ここ、好きなんだ。スイレンの池っていう名前の通り、時期になると奇麗に咲くんだよ」
「へぇ、いいね」
「君の住んでるところはどんなところ」
興味津々の様子で尋ねられる。
「ここよりもっと人が多くて、うるさいかな」
「そっか、行ってみたかったな」
「来れないの?」
「行けないよ」
「飛べそうなのに」
「だったらよかったんだけどね」
知っている同級生の誰よりもこの少年は大人びた顔をする。一体いつからここに居て、一体どんな理由で居るのだろう。
母の身体を奪っているような存在だ。気を使う必要などないのだろうが、それについては聞けなかった。
両手を大きく広げて少年が石の上をひとつ、ふたつと飛び乗り岸に向かう。
〇スポット⑥・健康の広場
広場に着く頃には、陰っていた世界が先ほどよりも明るさを取り戻しているような気がした。
「そろそろお別れだね」
「もういいの?」
意外なことを言ってしまった。まるで惜しいみたいだ。
「うん」
「そっか」
「また会えるといいな。ボクはきっといつでもここにいるよ」
少年がそういうとまた、目を瞑ってしまうほどの強い風が吹いた。
目を開こうとすると空の眩しさに目の上に手をかざす。雲の隙間からべったりと濃い青。太陽の光は橙色でも黄色でもない。白く強い光が地上を照らしだした。
「あれ、もうこんなところまで来てたっけ?」
母が不思議そうに辺りを見渡す。
「お母さん」
思っていたより情けない声が出た。
「どうしたの、泣きそうな顔して」
「なんでもないよ、なんでもないけど」
目元を少しこすった。母は困惑しつつも優しく頭を撫でてくれる。
電子音が鳴ると母がポケットにしまっていた携帯を取り出した。
「お父さんがこっち来るって」
画面を暫く眺めたあとに、不承という態度をとりつつも嬉しそうにしている。
「そっか、よかったね」
「お母さんは別にどっちでもいいけどね」
こっちに来る前に母と父は喧嘩をしていた。母は弱っていたのだろう。そしてそれを間近で見ていた自分自身も当てられていた。少年たちに付け入れられる隙があったということになるのかもしれない。
「気が向いたらまた」
杜の園 竜胆遊芽 @yume_rindo
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