本編

6月の下旬、ようやく梅雨が明けジメジメとした空気が少しだけ落ち着く。

僕は最近できた彼女と共に夜の国道をドライブしていた。

付き合って一ヶ月になるが、彼女いない歴=年齢を地で行く僕は未だキスすらできないでいた。

草食系男子どころか絶食系男子だと言われていた僕に彼女ができたと言うと大学の友人達は驚天動地の大事件と言わんばかりの大騒ぎだった。


友人達の間では僕に彼女ができた事と、知り合いが所属していた「登山サークル集団失踪事件」が同程度で話題となっていた。

海外に拉致されたとか集団自殺とかロクでも無い噂が大学内でも流れており、警察が聞き込みに来たとか聞いた事がある。

そんな荒唐無稽こうとうむけいな噂と同一視されるのははなはだ侵害と言うモノだ。


彼女の名前は初音奏子はつね かなこ、大学の民俗学のゼミで偶然隣の席になりお互い意気投合した。

美しく長い黒髪と、その洗練された容姿とスタイルに目が奪われる。

友人からも騙されて、みつがされているんじゃないかと疑われていた。


皆は彼女の事を誤解している。

彼女を簡単に説明すると超美人な民俗学オタクだ。

民間伝承にまつわる怪談・奇談を現代的解釈から紐解くのがライフワークだと話していた。


そんな彼女が今一番興味がある話は鳥取県と岡山県を跨ぐ国道179号線にある「人形峠」という場所に伝わる怪談との関連性を調べていた。


人形峠の名前にもなった怪談は、山に巨大な蜘蛛が住み着いており、そこを通る旅人や商人を喰らうという不気味な話だ。

とある旅人が藁人形を人に見立てて、蜘蛛をおびき寄せ弓で倒した。

そこから人形峠という名前が付いたと伝わっているそうだ。


彼女が何故その話に興味を引かれたかと言うと、その場所で発見されたと密接な関係が有るのではないか?と考えているからだ。

その鉱石というのは1955年(昭和30年)に人形峠で発見されたウラン鉱石の事だ。

10年に渡ってウラン鉱の採掘が行われたが、採算が取れない事が明らかとなって採鉱作業は放棄されたらしい。


彼女の仮説として、高濃度の放射線を放出するホットスポットが存在し、そこを通った旅人達が即死レベルの放射線を浴びて、急性放射線症候群を発症し死亡した。

更に、もう一つの仮説として高濃度の放射線を浴びた蜘蛛が突然変異を起こし巨大化し、それを村人が目撃し騒ぎとなった。

この2つの事象が同時期にあり、話に尾ヒレが付き怪談として語られるようになったのではないかと語っていた。


そして現在、僕達が向かっている場所がくだんの人形峠である。

彼女の話では今でもそのホットスポットが残っており、紫外線を当てると周囲一帯が緑色に輝くと言うのだ。

検証の為に、わざわざブラックライトを持参して夜に向かっているという訳だ。


臆病な僕は最初こそ乗り気では無かったが、彼女が「夜遅くなるから適当なホテルにでも泊まりましょう。」と言う一言を聞いて僕は一気に乗り気になった訳だ。

絶食系男子と言えど綺麗な彼女との逢瀬おうせを想像し、期待をするのは生物学的に当然・・・いや、必然と言うものだ。


目的地の「高清水トレイル」という場所に駐車する。

広い駐車スペースはがら空きで僕らの乗ってきた車以外、見かける事が無かった。

ナビの位置情報を見ると「岡山県苫田郡鏡野町上齋原」と表示されている。

鳥取県を抜けて、現在位置は岡山県になる訳だ。


車を降りた僕は、彼女に促されるままに舗装された道を進んで行く。

暗い夜道を2つの懐中電灯で照らす。

荷物は照明用の大き目なブラックライトと動画撮影用のGo-proと、念の為蜘蛛除けの液状高濃縮ミントスプレーをリュックに忍ばせていた。

彼女のお願いで僕が撮影をしながら、簡単な実況をするという流れだ。

ただの記録用なので動画サイトにアップロードとかは考えて無いらしい。


人気の無い山は物静かで臆病な僕は恐怖心を常に掻き立てられていた。

しばらく歩くと道の左側にそそり立った木製の看板を見つける。

どうやらここが登山口のようだ、この地点から動画撮影をスタートした。


「ええと・・・高清水トレイルへ到着しました、今から山頂近くまで登って行きます。」


彼女が先頭を歩き、整備された山道を山頂に向けて歩いて行く。

今日は新月なのか夜空に月の姿を見つける事はできなかった。

お互い終始無言のまま、30分くらい道なりに進んだ所で僕は彼女に話し掛けた。


初音はつねさん、目的地はどの辺りなんですか?」


「・・・・まだまだ先ね。」


木々の騒めきや、野鳥の鳴き声で何度か驚き、声を上げる。

こういう時は彼女の方から「キャッ!」とか言ってしがみ付いてくれたら、嬉しいけれど彼女にそんな素振りは一切感じられなかった。


1時間近く歩いた所で、初音はつねさんは突然、整備された山道を外れ木々の茂る森の奥へと足を踏み出した。


「えっ!?こっちですか?道無いですよ?」


「大丈夫、こっちよ。」


僕は暗い夜道の茂みの中を滑らない様に気を付けながら足を進める。

くだり坂のように傾斜がある森の中を彼女は躊躇する事無く奥へ奥へと進んで行く。

常に回しているGo-proには、慣れない実況をする僕の声だけが真っ暗な森の映像と共に記録されていった。


更に1時間くらい歩いた。

もはや完全に正規の登山ルートを外れ、今現在自分が何処に居るかも分からない状態だった。

僕は無言で歩き続ける彼女の背中を追い続けた。

足元が見えない程長く育った草が邪魔して、だんだんと歩き辛くなってきた。

草が絡みついているのか若干足取りが重い。


そう考えていた時に、不意に彼女が足を止めた。

そして、彼女は僕に背を向けたまま話し始めた。


「ねぇ、人形峠の話覚えてる?」


背を向けている為、彼女の表情は見えない。

突然の質問に驚いたが、僕は正直に答える。


「うん、覚えてるよ。その仮説を裏付けるホットスポットを探しに来たんだよね?」


「あなたは私の仮説をどう思った?正直に聞かせて欲しいの。」


漆黒の森の中で風に揺られた木々が騒めく。

2つの懐中電灯の心細い明りと、Go-proの画面のみが暗闇の中で光っている。


「う~ん、面白い仮説だと思うよ。突然変異みたいな感じでしょう?人間には即死するような場所でも、他の生物なら適応できるかも知れないしね。」


――突然変異。

言葉通り、そういった巨大蜘蛛が存在する可能性はゼロとは言えない。


「・・・もし、その高濃度の放射線を発し続けるホットスポットの影響が現在でも続いていたとしたらどうかな?」


それはつまり、現在でも巨大な蜘蛛が生まれている可能性があると言いたいのだろうか?

彼女の喜びそうな答えを必死に考える、しかし僕が答えを口にする前に彼女が質問を重ねてきた。


「ねぇ、蜘蛛って一度に何匹くらい卵を産むか知ってる?」


「さ、さぁ?二十匹くらい?」


適当に言った答えに彼女は「フフッ」と小さく笑う。

後ろを向いていて表情が見えないが、彼女が初めて笑った事で少し嬉しい気持ちになった。


「蜘蛛は一回の産卵で数百から数千の卵を産むの。そして丁度今の時期に卵が孵化するの。」


無口だった彼女が急に饒舌に喋り出したので、会話が盛り上がる。

先程まで元気のないように見えたが、普段の彼女に戻ったようで少しホッとしていた。


彼女はおもむろにブラックライトを付けて正面の森を照らした。

その光景を見て僕は愕然とした、これが彼女の言うホットスポットなのか?

暗闇に浮かぶ大小無数の丸い物体がブラックライトの光を反射して森の中に浮かんでいた。


「・・・えっ?何!?」


僕は彼女の背中越しにGo-proを正面に向けて更に懐中電灯で照らす。

そして初めて、その丸い物体の正体に気付いて動けなくなった。

暗闇の森の中で浮かぶ無数の光は、見た事も無いサイズの巨大な蜘蛛の目だった。

その無数の蜘蛛は周囲を埋め尽くすかのようにひしめき合っていた。


「う、うわぁぁぁ!!」


あまりの衝撃に僕は思わず叫び、あろう事か彼女を見捨てて逃げ出そうときびすを返して走ろうとした。

その時、グッと足が何かに捕らわれたような違和感を感じた。

震える手で足元を懐中電灯で照らすと、そこには透明な粘着質の糸のような物がいつの間にか巻き付いていた。

さっき感じた足の重さは、この糸が原因だったのか!


僕はその時、恐ろしい事実に気付き、そして確信してしまった。

僕と彼女は蜘蛛の巣に飛び込み、そして糸に絡めとられた”獲物”なのだと言う事実に気が付いてしまった。

最大級の恐怖が僕の中に生まれ、完全に動けなくなってしまった。

不意に彼女が僕の方を振り向いた。


「蜘蛛ってね、単為生殖たんいせいしょくができるの。」


「へっ!?」


彼女は何故か余裕の表情で聞き慣れない言葉を口にした。

彼女が余裕なのが理解できないし、聞いた事の無い単語が今この状況で出てきたのが意味不明過ぎて脳が混乱する。


「ようは・・・生活環境によって雄がいなくても子供が生めるって事。・・・聖母マリア様みたいで神秘的でしょう?」


僕はキリスト教徒では無いが、彼女の言葉が聖書に対して最大級の侮辱に聞こえた。

そもそも、なんでこの状況でそんな話を始めるんだ?

彼女の謎ムーブが僕の中で生まれた恐怖心を肥大させていく。


「な、何を・・・!?」


「ウフフ・・・この子達は私の子供なの。可愛いでしょう?」


突然の爆弾発言に僕は今まで二十年間生きてきた中で一番の衝撃を受けた。

好きだった女性が子持ちだったからじゃない、彼女は多分、人間じゃない。


「私はその昔、殺されたと伝えられる蜘蛛なの。信じれないでしょう?」


彼女は気でも狂っているのだろうか?それとも最初から頭のおかしい女性だったのだろうか?本当に妖怪とか怪異と呼ばれる存在なのか?


「人をね、長年食べ続けると脱皮する度に少しずつ体に変化が起きたの。」


彼女は自分の体を愛おしそうに撫でながら饒舌に語る。

その姿は僕が好きになった民俗学オタクの彼女そのものだった。


「まず知能が発達したの。人の言葉がなんとなく分かるようになって、その次は手足の数が減っていったわ。そう、不思議な事に人間の姿に近付いていったの。」


彼女は嬉しそうな表情で語る。

森の暗闇の奥で無数の生物のうごめく気配をひしひしと感じている。


「・・・僕をどうするのですか?食べるんですか?」


僕は恐る恐る彼女に目的を確認する。

彼女の後ろにいると思われる蜘蛛は数百匹を下らない。

僕一人を分け合って食べても大して栄養にはならないだろう。


「はい。貴方の本当の役目は、今日の映像を残して行方不明になっていただく事ですから。」


・・・更なる餌をおびき寄せる為の「撒き餌」って事か。

昔そんなB級映画を見た事があったな、ブレアヴィッチ・・・みたいな名前だったような。


どうすれば良いんだ?

僕はリュックに忍ばせた蜘蛛除け濃縮スプレーの存在を思い出す。

しかし、あの数の蜘蛛を相手にスプレーボトル1本で戦えるとは到底思えない。


そうだ!


妙案を閃いた僕はリュックから濃縮スプレーを取り出すとボトルのキャップを外し頭から自分にぶっかけた。

周囲に濃いミントの香が漂い、ガサガサガサ・・・と周囲の森が蠢いた。

目の前の彼女は顔をしかめめ僕を睨む。

これは効いている!


Go-proを彼女目掛けて投げつけ、素早くベルトを外しズボンを下ろす。

そして靴と靴下ごと足を引っこ抜き、足を地面に水平に滑らせない様に後方に猛ダッシュで逃げた。

なるべく太腿を上げながら垂直に足を抜くように走る。


僕は休むことなく死ぬ気で走った。

そして約1時間後、僕は自分の車に到着した。

今日ほど高校の時に陸上部で長距離選手だった自分の事を誇らしく思った事はなかった。


僕は無我夢中で車を発進させて走り出した。

とても独りでいるのが恐かった僕は大学の友人の家を訪ねて転がり込んだ。

早朝に強烈なミント臭を纏い下半身下着姿で現れた僕を、友人は半笑いで迎え入れてくれた。


僕は必至に今起きた事を友人に説明したが、当然信じては貰え無かった。

動揺している僕に友人はとんでもない発言をした。


「そもそも、お前彼女なんていないじゃん。」


後日知ったのだが、僕の友人達は誰一人彼女の姿を見ておらず僕が見栄をはっているのだと思って、話しを合わせていたという。

そしてあの日以来、彼女の姿を大学で見る事は無くなった。


後日談として、人形峠の山中で100体以上の白骨死体が発見されたと報道があった。

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あらくねぇ 剣之あつおみ @kenno_atuomi

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