本編

 大阪市東成区神路には、日本で唯一懐中電灯を作っている会社がある。それだからその町では不思議なことが起こる。

 帰りが遅くなって暗い夜道を急いでいた。全てが絡み合わない一日だった。それを足り戻すことができない。慣れている道なのに、先のない曖昧で頼りない所を歩いているようだった。気持ちの中で何でもいいから縋りたかった。すると道の先にぽつんと外灯の明かりが見える。そこだけ何かの在処を示していた。寂しいくらいの怖いくらいの気持ちで、そこを頼りに足を速めた。明かりの下に行ってみると、外灯は今にも消えそうに点滅しているのに、妙に明るいのは、明かりの下に懐中電灯が集まっているからだった。外灯の明かりを中心にして、五つばかりが冷たい地面に転がっている。古い物や新しい物がごちゃ混ぜになって、ぴかりと光っている。何かもっともらしい事を、ひそひそと話し合いをしているようだった。耳を澄ませてみても、何も聞こえてこない。電気信号の言葉が理解できないのと同じで、懐中電灯は互いに光をちかちかさせて、私には分からない意思疎通の図っているのかもしれない。頭上の外灯の明かりは、しばしば明滅して消えそうになった。それは今にも寿命が尽きそうであり、最期の命を必死に持ち堪えるようでもあった。懐中電灯はまるで病人の最期を見届けるみたいに、その光を悲しんでいるふうに見えた。

 ちょっと済まないが、ちょうどいい明かりを見つけたと、古くも新しくもない真ん中くらいの懐中電灯を選んで手に取った。すると懐中電灯の明かりが、一斉に私の方を向いて照らした。眩しい光りに驚いたが、懐中電灯は放さなかった。懐中電灯は仲間と別れを惜しんでいるのか、古い物新しい物小さい物それぞれが懸命に白々しい光を照らし続けた。明かりを得たので、暗い道でもさっきよりは心強かった。暗い所をあちこち照らして、どんどん歩いた。時々光の中に得体の知れない物が映し出されて、ひやっとした。それは大きかったり、小さかったりした。形の分からないものが、突然の明るい光に驚かされておどおどし、夜行性の行動を見られてこそこそするものもいた。驚かされるのはこちらも同じだ。私ははっとし一々体をびくつかせて、その影から逃げながら早足になった。懐中電灯一つでは、訳の分からない夜のものが徘徊する暗い道は恐ろしかった。すると、道の先から明かりが一つ見えた。私はどきりとした後に、その正体をして心を落ち着けた。明かりがあちこち揺れるから、誰かが明かりを点してきたのだと思った。しかし、近づいても一向に明かりが見えるだけで、人の姿は現れなかった。明かりだけが宙に浮かんで漂っているから、何だか気味が悪かった。そのまま明かりだけが擦れ違って、結局何も見えなかった。私はそわそわして、振り返ろうかどうしようか迷っていた。そのうちどんどん明かりは遠ざかっていった。もう懐中電灯の明かりの届かない所に、行ってしまった。暗闇の中で豆粒みたいな光が、光って見えるだけだった。私は前だけ向いて何も考えず黙って歩いた。不安と恐怖だけが頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。手を振って前に足を出すことに集中した。暗い夜道は、さっきよりも心細い気持ちになった。それで頻りに懐中電灯を振って、辺りを照らした。すると、一匹の蛾が飛んできて、懐中電灯の明かりに寄ってきた。蛾の影が光に映って、地面に大きな影を作って不気味だった。蛾は光に当たると、一匹が二匹に増え、二匹が四匹に増えた。蛾はどんどん懐中電灯の明かりに群がってきた。明かりが遮られて私を不安な気持ちにさせた。その上ぱたぱた飛ぶ蛾の羽の鱗粉には毒があって、それにうっかり触れて手の甲が赤く腫れてきた。とうとう痛さに耐えきれず、懐中電灯を落としてしまった。落とした懐中電灯は、地面をごろりと転がった。仕舞ったと思った時には、もう取り返しが付かない。それを待ち構えていたのか、いつの間にか別の懐中電灯たちが足元にいて、落ちた懐中電灯をさらっていった。蛾はその明かりについて行って全ていなくなった。私は暗闇の中に、ぽつんと一人取り残された。あんなに頼りにしていた明かりを失った。暗闇が私の体を真っ黒にして、消してしまいそうだった。恐ろしくなるのを我慢して、必死に夜道を歩いた。歩けば歩くほど暗闇が煙のように纏わり付くようだった。私は暗い中を迷わないように道なりに歩いた。その道には、どこへ繋がっているか分からない横道が伸びていた。足元が暗いから、水の中を進むようにゆるりと歩くしかない。時々何かに怯えて後ろを振り向きそうになった。そこには果てしない闇が広がっているだけだった。道に迷ったとしても、引き返すことはできなかった。それでも歩いているうちに、見覚えのある景色に行き当たった。それに励まされて歩みが早くなった。とうとう家までたどり着いた。家には明かりは点っておらず、中に入るのも躊躇うほどに真っ暗だった。お帰りなさい。家の中から、そう聞こえたような気がした。

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懐中電灯 つばきとよたろう @tubaki10

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