3 真っ暗な谷底へ

 練習が終わった後の、中庭で。


「ねーね、葵ちゃん!ぼーっとしてどうしたの?もしかして……また……何かやらされた……?」

「ううん、大丈夫。心配してくれてありがとう……。大丈夫だよ」


 そう微笑めば、心配そうな顔が私の顔を覗き込む。


「じゃあ、何もないならだれか好きな人できたでしょー?」

「えぇっ!ち、違う、よ……」


 好きな人っ⁉

 真っ先に思い浮かぶのは……。

 最近、よく会う……山崎さん。

 でも、好きとかそうゆうのはわからないけど……。


 きゅうっと胸が締め付けられて、ドキドキと鼓動が高鳴る。

 絶対、顔真っ赤だ。


「あ、その顔は肯定だねー?誰?」

「う、い、言わな、い」

「いるってことは認めるんだ?」

「うううっ……」


 言ったら、ダメだ。

 このことが広がったら、あの子たちに何されるか……。

 そのことを顔から読み取ったのか、「大丈夫!」と言って、私の肩をポンッと叩く。


「言わないよ。信用してよ。……葵ちゃんには、できること、全部やってあげたいし、あんな仕打ちを受けているんだから……誰よりも幸せになってほしい」

「彩ちゃ、ん」


 そんなこと言われたら、ぽろっと涙が出てしまう。


「な、泣かないでよっ‼えーと、何の話してたっけ、あ、好きな人の話かっ。また聞かせてね、絶対だよ?」


 私を気遣ってくれているのがわかってしまうから、よけいに涙があふれる。


「落ち着いたら、帰りな?じゃあね」


 そう言って帰った彩ちゃん。

 誰よりも、幸せに、なんて。

 私にはもったいなさすぎる言葉だ。

 涙が止まったのを確認し、座っていたベンチから、立ち上がりかけて、気づく。


 痛っ……。


 さっきの試合で、ボールが小指にあたって、変な方に曲がっちゃったっていうか……。

 さっきまで忘れていた痛みが、またでてくる。


 冷やさないと、腫れちゃうかな……。

 急いで体育研究室の救急箱を取り出し、テーピングテープを探す。

 あれ、ない……?


 家で、やるか……。

 そう思って、体育研究室を出たところだった。


「あ……」

「あ……」


 同じすぎる反応だった。


「いたんだね。何かやってたの?」


 そう聞いてくる、彼――山崎さんの瞳は、優しい。

 私はそっとうなずく。


「テーピングを、しようと思って……」

「そうなんだ。俺も。足首ひねちゃったみたいでさ、ほら」


 見ると、足首が真っ赤だ。

 絶対痛いはず……。

 でも、テーピングテープ、ないんだった……!


「あの、ここに、テープ、ないんですけど……」

「あ、そっか、じゃあ取って来るね」


 あ、どっかに常備してあったんだ……。

 それはそうだよね……。


 数分して、戻ってきた。


「ほら、やってあげるから、腕見せて」

「あ、え、っと……」


 そんなことしてもらったら、嬉しい、けど……。

 噂に、なるかも……。

 でも、そう考えたのも、一瞬だった。


 別に、噂になってもいい。

 ただ、そこにあったのは、少しでも長くいたいという気持ち。


「お願い、します……」

「おっけ、任せて」


 そう言って、私の腕の手当てをしてくれた。

 ドキドキと、異常なくらい、心臓が鳴る。


「本当に、ありがとうございました……っ!」

「どういたしまして、じゃあ、お大事に」


 ドキドキ。

 触れられた場所が、まだ彼のぬくもりを持っているように感じて、手を重ねる。

 温かい……。

 ただ単に、腫れているなのかもしれないけど。


 ただ純粋に、優しさという名の温かさを、感じていた。


 ハッと時計を見て荷物を持ち、校門を出る。


 そう、嫌な予感がしていた。

 だいたい、こうゆうときの私の悪い勘は、よく当たる。


「遅かったじゃない。なにやってたのかしら?彩ならもう10分は前に出ていったのに、こんなに遅くなることなんてあるのかしら?」



 やっぱり……っ。

 なんで、ユリカさんが……。


 別に、待ってもらうなんて約束していなかった。

 なんで、なんで。


 何もしゃべらない私を見て、ユリカさんが、また口を開く。

 なんと言われるのか、怖くて耳をふさぎたかった。


「ずっと見てたけど、悠河君は、葵みたいな人に興味ないから」


 その言葉を頭の中で意味を理解するのに、時間がかかった。


『悠河君は、葵みたいな人に興味ないから。』

 はっきりとそう届いた、その言葉。


「……っ‼」


 ユリカさんの横をすり抜けて、走る。

 ぽろぽろと、冷たいなにかが私の頬を濡らす。


 ああ、泣いているんだ、と呑気なことを考える。

 どうして、泣いているんだろう。


 ユリカさんに監視されていたから?

 悠河君のことを口に出されたから?


 違う。


 自分でも気づかないふりをしていたこの気持ちを、見透かされていたから。


 もう、あふれ出す感情から、目を背けていられない。

 いつの間にか、そう、いつの間にか。


 ――私は彼を、好きになった。



 ただ、それだけのこと。


 この恋なんて、諦めた方が私のためになる。


 そうだ。

 それでいいんだ。


 そう思い込めばそう思うほど、涙が止まらなくなる。


 でも。


 嫌だ。やだよ……。

 偶然会った時の、会話も。

 体育館の片づけでの会話も。

 すれ違った時に目を合わせて笑ってくれる、あの笑顔も。

 無かったことになんて、したくないよ……。


 そう、一言でいえば、奇跡だった。

 その奇跡も、終わっちゃうのかな。

 そう思えば、気づきたくなかった。


 この恋が結ばれるなんて――。


 可能性は0%だ。


 そんな残酷すぎる現実に。

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