2 知らない気持ち

 夏休みに入り、今年もここの女バスのスケジュールはハードだった。

 今年も、というのは、去年、顧問の先生が変わり、その先生がとても厳しかったんだよね。

 それで、休みなんてほぼないんじゃないかってくらいにハードにされたんだっけ……。


 でも、昨日は休みだった。

 だから今日は練習試合が組まれている。

 昨日休みだったから丸1日、だけど。


 私は会場準備をするため、1時間前に到着。

 さっきからいすを並べたりしていたところだ。


「あはは、そうなの!?初耳なんだけど―!」

「そーらしいねー。……って、葵ー、モップやってねー?」


 にぎやかな声に紛れる、私への命令。

 モップか、やってなかった……っ!

 今やっている仕事をすぐに終わらせ、小走りでモップを取りに行く。

 時間は……20分くらいあるから、大丈夫そう……。


 とりあえずホッとし、モップをかけ始める。


「葵ちゃん!おはよー!」


「お、はよ……。今日は、来れたんだ……!」

「うん!いやーいろいろ忙しくて来れなかったけど、最近は来れるようになったよ」


 私に話しかけてくる、明るい女子。

 この子は……私の唯一の友達。

 私がこうゆう仕打ちを受けていることも知っているけど、それでも変わらずに接してくれた。

 本当に、天使みたいな子だよ……。


 一度、私と一緒にいると同じような目に遭うからって遠ざけちゃったんだけど、それでも私のことを見てくれていたから……すごく、大切な友達だと思ってる。

 信頼も厚いはずだ。


「ね、葵ちゃん、聞いた?明日、午後練になったってよ」

「そうなんだ……!あの先生が、練習時間を減らした……⁉びっくり……!」

「ふふ、同感だよ。でも、よかった~。明日はゆっくりできる、ね?」

「うん……!」


 本当は一日だったのに……午後だけになるなんて、ちょっと嬉しいかも……。

 そう思いながら私は準備を急いだのだった。



 試合の結果は全敗。

 帰り、みんなを囲む空気は重たかった。


 もちろん私は出れなかったけど、しょうがないと思っている。

 だって、何1つ取り柄がないし、足も速くない。

 そんな人が出ても……。


 ふう、と軽くため息をついて、体育館のカーテンを開ける。

 もう七月だから、18時となってもすごく明るい。


 まだ、カーテン半分も残ってるし、あとは、いす、片付けないと……。

 練習試合の後って、片付けが大変でだいたい、30分はかかる。

 今日は帰るの、遅くなっちゃうな……。


「もう、やだ、よ……」


 ぼそりと呟いた言葉は、体育館の中に飲み込まれた。

このとき私は自分でも知らないうちに、誰かに助けを求めていたのかもしれない。



 私の全てが変わり始めたのは、七月が終わろうとしている時のこと。



 練習が終わる。

 また、いつもの繰り返し。

 ボールの点検をして、雑巾を洗って。

 モップをかける。


「よっと……ほら、手伝うからはやく終わらせよーぜ」


 後ろから響くのは……山崎さんの、声。

 なんで、ここに……。

 練習は終わっているはず、なのに……。


「やらなくて、いいですっ……!」


 手伝ってもらうのは、嬉しいはずなのに。

 心のどこかで、誰かに気づいてもらうことを望んでいたはずなのに。


 大きな声を、出してしまった。


「ごめんなさいっ……。私が、やるのでやらなくて、いいですっ……」


 私の言葉に、ちょっとびっくりしたように顔を上げる。


「そこに、置いておいてください……」


 最近、彼といる時間が私の中の希望だった。

 だから、もっと続いてほしかった。


 でも、思うのは。


 私といたら、巻き込んでしまうから……。

 ただ、それだけ。


「こっちこそ、ごめん。いやだったよね。お疲れさま」


 そう言って、帰っていく。

 いやなんかじゃない。

 できれば、一緒に手伝ってほしかったのに。


 その背中がどこか悲しげで、私は考える。

 よかった、のかな。

 心の中で、つぶやく。


 うん。大丈夫だ。

 これでよかった。

 まちがって、いないはず。


 私は残りの床を、モップで磨き始めた……。



 あの夏の日から、私の何かが変わった。

 小さなことでも、話しかけてくれるのがうれしくて、話せるのがうれしくて。

 でも、巻き込んでしまうから、と、みんなの前で声をかけられたときは逃げてしまって。


 この、複雑な感情は、いったい……。


 私はこみあげてくる気持ちに、目を背けた――。


 体育館の静かな空気が、私の髪を揺らす。



――今の会話が、聞かれていたとすれば、その人は一体誰なんだろう。

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