第18話
つまらない。
つまらない。
めちゃくちゃ、つまらない。
黄緑色の髪の毛をくりくりさせながら、あーあ、と扉の前でもたれかかりながら、彼はため息をついた。扉の中から、いちゃいちゃした声が聞こえてくる。
「あーあ」
当て馬ポジションって、こういうこと? と自分自身が悔しくなって、吐いた嘘さえ笑えてきた。初めから、そうやってお互い素直になってくれればよかったのだ。そうすれば、自分はこんな虚しい気持ちになることもなかったのに。
カルロだって、一端のカラーシンガーだ。いつもは規律にうるさいリーダー様が、色を隠すこともなく、堂々と色音を使用していたのだ。不思議に思い、念のため、ナギの存在を隠すように、別の色音をかぶせてみた。ちりん、ちりんちりん、と服の中の鈴が静かに転がる。
別にあいつのためじゃない。もしこれで、ナギがリーダーを下ろされれば、ナギだって故郷に帰りたいと思うかもしれないし、そんなことになって、カノンと二人仲良く実家帰りだなんて、想像しただけでもムッとする……と、いうのは後からつけた想像で、もしナギが上から懲罰が下れば、カノンが悲しむかもしれない、とそれだけしか考えていなかった。それが蓋を開けてみればどうだ。
(……上級の中でも、ひねくれた奴がいるもんだ)
目を凝らして色を探ってみれば、薄い紫の糸がそこらで複雑に絡み合っているのが見てとれる。この間のカラーシンガーの昇級試験にも出ていた顔だ。転送とは中々にレアな能力なくせに、ぶどうという媒体がないと役立たず。今も上級に食い込んでいるのはギリギリで、中級に転落する可能性も高いと噂されているらしい。ちゃちい嫌がらせをするもんだ。そんなことをするから、今自分はムカムカとした気分を抱えている。くそう、ぶどうの色音使い、後で覚えておけよ。
ちりん、ちりん、ちりん。
いい加減、ナギの色音をごまかす必要もないだろう。あっちも頭に血が上っていたらしいが、そろそろ冷静になった頃合いだろう。いつまでもいい人ぶる必要もない。ナギなんて、大っきらいだ。
ふん、と鼻から息をはきだして、鈴の音を止めた瞬間だった。
パチンッ、と何かが弾け飛んだ。胸が苦しい。誰かが叫んでいる。瞬間的に、黄緑色が視界を染め上げた。幾千もの黄緑の糸が屋敷中を駆け巡り、ぶるぶると震えている。そして悲鳴のように糸は体を膨張させ、弾け飛んだ。
一瞬にして何事も無く元に戻った廊下を見て、カルロはそのままへたりこんだ。扉が開く音と共に、カルロの背中に何かがぶつかる。「カルロ……!」「ナギ!」ナギはカルロを見て一瞬眉をひそめたものの、すぐさま彼の隣を駆け抜けていく。カルロも唾を飲み込み、彼の後を追った。
――――まさか
あの糸の色は、自分の色ではない。自分よりも、ほんの少し緑が濃くて、脆弱な糸だ。
カラーシンガーの宿舎へと走り抜けると、部屋の中で、マリーがぽろぽろと涙をこぼしていた。手の中には小さな子どもがいる。ところどころ元の色を残し、髪の毛を真っ白にさせた、小さな少年だ。ナギが、マリーの隣に座り込み、彼の額をゆっくりと撫でた。
「……る、ルッサム……」
何度も見た光景だった。けれども、胸が貫いた。お前、そんなに小さいのに。小さくって、小さくって、まだまだたくさん未来があったのに、それなのに。
「……あれが、ルッサム……?」
微かな声が聞こえた。
マリー達が、ハッとしたように扉に目を向ける。ぼんやりと瞬きを繰り返すカノンがドアに手をかけていた。
「な、なんでここに――――!」
ナギが声を上げた瞬間、彼はしまった口元を押さえた。そうだ、自分たちが、ここまで彼女を案内してしまったのだ。慌てる警備の男たちも、カラーシンガーと共にやってきた彼女を、ついつい見逃してしまったのだろう。カルロはすぐさま立ち上がり、ナギに目配せをし、そのまま彼女の肩を掴み、部屋の外へと出す。
「カノン、とりあえず、外に行こう」
「でも、カルロ。今、ルッサムって……クルーエルの、子どもの」
「いいから。今すぐ!」
彼女の口を無理やりに閉ざし、カルロは彼女の手を握り歩いた。今はいけない。橙の色音使いが、声を聞いている。彼女は上の人間に忠実だ。秘匿すべき事実を、彼女に漏らしてしまったとなれば、自分はすぐさま排除される。
「か、カルロ……」
けれども、不安げな彼女の顔を見て、カルロはずきりと胸が傷んだ。ばくばく痛いくらいに主張している胸の鼓動を抑えつけて、小さな少年の笑い顔を思い出して、泣きそうになって、カノンの手を強く握った。カノンも戸惑いながら、手のひらを握り返してくれた。やっぱり泣きそうになった。
彼女をカラーシンガーの宿舎の門から追い出し、どうすればいいんだ、と唇が勝手に震える。いつの間にか、パクリと口が開いていた。『あとで』声はない。ただ唇だけで呟いた。
彼女は少しだけ不安気に、眉をひそめたけれど、うんと頷いた。
ゆっくりと彼女の手を放して、背中を向けた。走った。そしてぼろりと涙をこぼした。
(…………ルッサム)
お前の順番は、まだまだ先だと思ってた。
自分の方が早いと思っていたのに。
それなのに。
小さな命が、ひとつ。ことりと転がり落ちた。
6
上級色音使い達は騒然としていた。あの一面に広がる黄緑色と糸は一体なんなのか。
「――――ときどき、あるんだよな」
アウサーは声を落として、腕を組みながら、椅子に深く座りかける。
「数年に一回くらい、糸が吹き出すんだ。色は青だったり、桃だったり、緑だったり、バラバラだけどな。まあでも、色音の糸を見ることができるのは、上級でも一部の奴だけだから、他の奴らは嫌な予感を持つだけだ。俺もここに来て長いが、なんなんだろうなぁ?」
ううん、とアウサーが首をかしげると、イーバムは首をすくめた。
「俺は見えない方だからな。なんとも。それよりも、クルックンのことが気になるんだが、カノンは何も知らないのか?」
カノンは曖昧に笑った。
クルックンは、上級色音使いから、中級へとランクダウンが確定されたらしい。元々、力の伸び悩みがあると噂されていたらしいけれど、(もちろん、そんなことはカノンの知る由もないが)あまりにも唐突な変動に、色音使いたちはムキムキした筋肉を自慢し合いながら、自分は大丈夫だ、いいやそんなことは。と顔を合わせば言葉を交えている。飽きない人たちだ。
知らないもなにも、自分は渦中の人間である。多少気の毒に思う気持ちもあるけれど、あんな風に色音を悪用することは、絶対にしてはいけないことだ。
(…………それよりも、あの糸のことだ)
カルロは、あとで、と呟いた。そのあとで、とはどれくらい後のことなのか。そして自分はただ待っているだけでも構わないのか。待つだけというのは、苦痛だ。何もしないよりはと参加している上級色音使い達の訓練が厳しいことが、せめてもの救いだ。体をめいいっぱい動かしておけば、その間くらいは何も考えなくても済む。これはただの逃避だ。嫌な予感がしていた。とてもとても、嫌な予感だ。
(ナギ達は、一体何を隠しているんだろうか)
ちりんっ、と小さな鈴の音が、窓辺から聞こえてくる。カノンはふと首を傾げた。けれどもすぐに、何の音か気づいた。慌てて窓を開けると、夜の冷えた風が頬をなでる。同時に、にゅうっと外の木々が動いていく。カノンも緑の色音を使うことができるが、これほど見事に育てることはできない。ひょいっと窓を乗り越えて入ってきたのは、想像通りの人間だった。黄緑色の髪をした少年は、「……よ、久しぶり」と幾分か生気のない声を出して、軽く片手を振る。
「…………随分、待ったよ」
「オレンジの色音使いは地獄耳なんでね。丁度いい時を縫ったのさ」
「オレンジ?」
「橙の色音使い、オレンジの方が可愛いから、こっちで呼んでくれって言われてる」
オレンジと言えば思い出すのは、あの試合場で使われていた拡声器だ。あれの主のことだろうか。音を増幅させる色音を保有しているのかもしれない。
いや、今はそんなことを言っている場合ではない。カノンはじっとカルロを見つめた。カルロは目の下のくまを親指でさすり、
「…………死んだルッサムと、あの宿のお姉さんの息子さんは別人だって言っても、信じない……よな?」
「当たり前でしょう」
同じ年頃の、同じ名前の男の子がいただなんて、随分な偶然だ。しかし一つだけおかしな点がある。クルーエルから聞いていた話では、ルッサムはカルロと同じ、黄緑色の髪の毛なはずだけれども、あの少年は真っ白な髪の毛に、ところどころ黄緑の色を残していた。
――――これは、一体どういうことなのか
「…………俺が、あいつの名前を呼んじまったからだよな……」
ちっくしょ、と小さくつぶやきながら、カルロは自身の頭をひっかいた。そして暫く沈黙していたかと思うと、決意を決めたように、顔を上げた。
「誰にも、言わないと誓えるか?」
「うん」
カルロはやはり少しだけ瞳を逡巡させて、喉からねっとりとした息を吐き出すように、ゆるゆると声を吐き出した。「…………これは、おそらく、カラーシンガーと、一部の人間しか、しらないことだと思う……」ごくり、と彼は唾を飲み込み、「色音を、限界以上に使用すると、体中から色が抜け落ちていくんだ」
「…………え?」
カノンは額に手のひらを乗せた。けれどもカルロは続ける。
「体を構成する、何もかもの色が消えて行く。そうすることで、身体のバランスは崩れ、内部が腐り落ち、死に至る。でも、一応言っておくけど、滅多なことじゃないんだよ。だいたい、終わりが近づけば、自分の限界に気づくことも多いし。でも、あいつは、ルッサムは、まだ、子どもだったから……」
カルロは頭を下げ、「だ、だからさ、ほら、俺……!」と、懐に手を入れた。ぱっと彼の手のひらの上に乗せられていたのは、黄緑色の髪だ。彼の髪の色合いとは、ほんの少しだけ違う。
「ほら、こっそり、ルッサムの髪の毛を切ってきたんだ。まだ、黄緑の色が残っている部分だけ、これを、後で、あの宿屋の人に……渡して…………」言葉を発しながら、少しずつ彼は唇を震わせる。カノンに出されていた手のひらも小刻みに震え、ぎゅっと握り締めると、だらりと腕の力を抜く。
「そういう、問題じゃ、ないよな」
だた、それだけ。
カノンは、ぐるぐるとたまらなく、思考がまとまらない自分に気づいた。色が抜け落ちる。死ぬ。そんなこと、聞いたことがない。でもちょっと待って、その理屈はおかしい。色音を限界以上に使用すると、つまり体中の魔力を使いきってしまうと、ということだろうか。そんなことはあり得るのか? いや、ありえるからこそ、ルッサムは死んだのか。けれども、
「カラーシンガーは、人よりも多くの魔力を持っているんでしょう……?」
人が持つ魔力の量は、増えることはない。魔力の量とは、生まれ持った才能である。その才能が足りないがために、カノンは初級であるし、ナギとカルロ、マリーたちはカラーシンガーという立場にいる。
その人並み外れた魔力を持つカラーシンガーが、魔力を使い切る……?
ありえない。
カノンの疑問を、もっともだと思ったのだろう。カルロは曖昧に頷いた。そして、ゆっくりと口元を動かした。
「儀式をするんだ。儀式には、魔力がいる」
「儀式? 儀式って……」
「それは言えない」
「カルロ」
「だって、言えないんだ……!」
ただひたすら首を振る少年の両頬にカノンは手のひらを置いた。そしてじっと彼と見つめ合い、研いだ刀のように鋭い声を出した。「カルロ」いいや、自身はそのつもりだったが、実際はもっと情けない声を出していたかもしれない。けれどもカルロがギクリと肩を震わせたので、きっと大丈夫だろう。
「カルロ、最後まで話して。じゃないと、私はこのことをすべての色使いに伝える」
カルロはぎょっと目を見開いた。
「誰にも言わないって……!」
「最後まで言ってくれたら、誰にもいわない。こんな中途半端では納得できない」
それに。
ナギとマリーが、どうしても答えてはくれなかった理由がここにある気がした。逃げられる訳がない。脅しではない。本気だった。だからこそ、カルロもしぶしぶと頷いた。「…………見たらわかるよ」「見たら?」
どういうことだろう。
彼はまつ毛を微かに震わせながら、じっとカノンを見つめた。
「そう、見たら、ぜんぶわかる」
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