第14話
自身が他人によくは見られないというのは、しょうがないことである。外道すぎる方法で、こんなところに招かれた自分が歓迎されるわけがない。アウサーとイーバムがちょっと変わっているだけなのだ。いちいちつっかかられるのは面倒臭いが、しょうがない。と思うようにした。その代わりに、自分も見習いとして堂々と胸を張っていく。
あれからも細々とした嫌がらせは続き、すっかり辟易していたある日、カノンが初めての魔力訓練を行う日のことだった。
「正座してろ」
「え?」
カノンはパチリと瞬いた。他の色音使いたちは別の場所に移動するらしく、姿を消していく。自分も向かわなければと足を踏み出すと、「だから」と言いながら教官に肩をつかまれた。
「お前はここで正座してろ。俺が戻ってきて、いいというまでだ。これも訓練だからな、さぼるんじゃないぞ!」
そういって、彼はおきまりの色音機付自転車にのっかり、ぶおんぶおんとエンジン音を響かせながら生徒たちよりも先にと道を通り抜けてく。イーバムとアウサーが、一瞬こちらを振り返ったが、カノンは手のひらを振った。すると彼らも納得したのか、他の色音使いとともに去っていく。
さて、とカノンはあたりを見回した。いつもの肉体訓練の集合場所であるグラウンドで、丁度頭の上には大きな木がさわさわと揺れていく。ぼうっとしてはいけない。自分自身にお願いするようにつぶやいた。「よし、正座しますか」いったいこれに何の意味があるのかわからないが、戻ってくるまでというのならば、していよう。よっこらせ、と腰を落とし、丁度正面にある宿舎を見つめた。
いつの間にか日が沈んでいた。オレンジ色の光が宿舎を綺麗に染めている。とっくの昔に、足の間隔はなくなっていた。初めはじんじんとしびれていたのだが、山を越えると案外楽になるらしい。イーバムたちが、様子を見るようにしてこちらに戻ってきたが、まだ教師が帰ってきていないから先に帰ってもらった。
正座をしている間、いったいこれが色音にどう関係するのか考えた。おそらく精神を研ぎ澄ませ、集中させるための訓練だろう。なるほど、自分にはこれが足りなかったに違いない。上級の色音使いを鍛える講師がいうには、きっと間違いない。
ぐう、とおなかがなった。けれども首を振った。喉が渇く。つばを飲み込めばいい。これくらい我慢できる。自分がのんべんだらりと生きている間に、きっとナギはどんどん前に進んでいく。力の限り追いかけて、ここに来た。だからここでも、力の限り追いかけなくては……ダメだ、邪念が混じる。消さなきゃ。消さなきゃ。集中して、集中。いつまで。もう夜になった。いつまで。これはいつまで。集中。しんどい。喉が。集中。渇いた。集中。つらい。
――――ちりん
木の上から小さな鈴の音が聞こえた。聞き覚えのある音だ、と上を見上げたとき、ぼとんとカノンの目の前に水筒が落っこちてきた。喉が渇いた、と思っていたからだろうか。いやそんなわけないし。あまりの喉の渇きから、思わず水筒に手が伸びそうになった。けれどもぐっと手のひらを握りしめて自制する。集中。煩悩よされ。
その水筒と、ほぼ同じの落下地点に、男の子がおっこちてきた。黄緑色の髪の毛をふわふわとさせていて、どこか猫みたいに飄々とした雰囲気。くるりと一回転で片足をつき、「よっ。おひさー」
カノンは眉をひそめた。
「……どこのどなた?」
「ええ!? 俺だよ、カルロだよ!」
まさか忘れちゃったの!? と彼はしょぼんと眉を垂らす。喉が渇いてがらがらな喉が苦しくて、短い単語で答えた。
「忘れてない。約束、やぶられちゃったこともね」
それがとても機嫌が悪いように聞こえたらしい。カルロはひょっと肩を小さくさせ、恐る恐るカノンに顔を寄せる。
「お、怒ってるよな? マジごめん、それ、ほんとごめん。俺もさ、行くつもりだったんだよ、でも色々あってさ……今だってやっとこさ部屋から抜け出してきたんだ。あ、うん、言い訳だよな、マジごめん」
ぱしんと手のひらを合わせて、へこへこ頭をさげる年下の少年を見て、カノンは思わず眉を和らげた。「……怒ってないよ」本当だ。だいたい、他人に頼ろうという自分の根性がダメだったのだ。約束を破ることは悪いことだが、本人は反省しているようだし、理由があったというのなら仕方がない。彼はカラーシンガーで、本来ならば自由に動ける立場ではないことくらいわかっている。
カルロはおそるおそるカノンに近づき、ちらりと上目づかいをした。
「…………ほんとに?」
「ほんとに。げほ」
喉が痛くて咳き込んでしまった。カルロは慌てて落ちていた水筒を拾い上げ、水筒の頭をひねりコップにする。そこにこぽこぽと水を注ぎこみ、カノンのすぐ前に差し出した。さっさと飲め、という意味らしく、黄緑色の瞳が心配げに揺れている。けれどもカノンはふいと顔を逸らした。
「なんだよ、飲めって。あんたが……カノンが帰ってきてないってあのゴツイやつらが話してたの聞いたから、急いで持ってきてやったんだぞ。それともやっぱり、怒ってるのか?」
怒ってるわけじゃない。げほ、ともう一回咳をついて首を振る。だったら、と体を乗り出そうとするカルロの目の前に手のひらを突き出した。
「先生を待ってるんだ。彼が戻ってくるまでは授業は終わってない」
カルロは唇をかんだ。彼が水筒のコップをつかむ指が白い。「バカか!」力いっぱい叫んだ。その拍子に、コップから水が零れ落ち、カノンの顔に跳ね上がった。冷たい。
「とっくに忘れられてるんだよ! 確認してきてやったさ。上級の教師は教師用の宿舎のお布団の中でぐっすりおねんねしてたぜ。ずいぶん夜が早いんだな!」
カノンは何を言われたのか、よくわからなかった。顔を真っ赤にして怒っているカルロを見上げて、やんわりと首をかしげた。
「だから、正座しとけって言われたんだろ? そんなの何の意味もねーよ。はなからカノンに授業をする気なんてないんだ。なんでわかんないんだそんなこと。違うだろ、わかってんのに、わかんないふりしてるんだ」
さっさと飲め、とコップを口元に押し付けられ、唇がしめると勝手にこくりと喉が動いた。さっきまでの自分が嘘のように水を飲み込み、カルロがお代わりをついでくれると、それも一緒に飲んだ。彼がカノンの肩を軽く押しただけで、カノンはそのまま後ろに転げた。カルロがカノンのズボンの裾をめくる。真っ赤に腫れ上がっていて、彼は眉をひそめながら、マッサージをする。
「い、いやいいって」
「うるせぇなぁ。動けもしないやつが何言ってんだ」
さすがにそれは恥ずかしい。なのにカルロは聞く耳を持たない。恥ずかしさのあまりに顔を両手で覆った。カルロのおかげで、少しずつ足に血が通っていく。
――――はなからカノンに授業をする気なんてないんだ。なんでわかんないんだそんなこと。違うだろ、わかってんのに、わかんないふりしてるんだ
彼の言うとおりだった。これに何の意味があるのか。少しずつ自分は疑問を感じていた。けれども信じたかった。ナギに近づこうと精一杯あがいて、やっとここまで来て、それだというのに、誰にも相手にされないだなんて辛すぎる。結局、魔力がすべてなんだ。それじゃあ私はどうすればいいんだ。わからない。どうしたらいいかわからない。もう前に進めない。
カルロがカノンの足をもんだまま、「あの……さ」と口を開いた。気まずそうだった。
「……カノン、お前、帰れよ。ここにいても、仕方ねーって」
「カルロの言う通りだ」
ふいに聞こえた誰かの声に、カノンは瞳をあけて、跳ね返るように上半身を起こした。「わわっ」カルロが驚く声がする。すっかり暗くなってしまった視界の中を一生懸命探した。けれども、すぐわかった。もう何年もたっているのに、見ただけでわかってしまった。
とっぷりと落ちた日の中でも、赤い髪が冴えていた。カノンは座り込んでいたのでしっかりとはわからないが、昔よりも背が高くなっている。肩幅もがっちりしていて、女の子のように優しげだった面差しは、ほんの少しの甘さをとどめてすっきりとした顔立ちの男となっていた。
口元が震えた。カルロが警戒するようにカノンの前に出ようとしたが、すかさず彼をひっぱって前に飛び出た。飛び出ようとした。けれども足がうまく動かなくてすっころんだ。顔にざりざりと砂がひっかく音がする。
きっと手を取ってくれる。
そう思ったのに、いくら待っても声がかかることはなかった。カノンは恐る恐る自分から立ち上がり、やっぱりふらついたのでそのまま座り込んで三メンテルほど離れた彼をじっと見上げた。息を吸い込んで、大切に大切に、その名前を一文字一文字空気にくるみこむように、彼にささやいた。
「……ナギ……」
ナギは、ぴくりとも眉を動かさず、静かな表情のままカノンを見下ろした。なんだかおかしい。
自分が想像していたナギと違う。
もっとこう、ナギと再会したら、自分はこういおう、ああいおう、きっとナギはこんなことを言ってきて、長い間連絡が取れなくてごめんねと優しい顔で謝って、自分はちょっとだけ怒ってるだけで、でもすねてしまって、きっとうまく話せなくて、けれども彼も自分がそんな性格であることを知っているから、機嫌を取るようによしよしと頭を撫でてくれて、ごめんね、色々あって、連絡がとれなかったんだ。でも大丈夫。もうお金はいっぱいたまったから、義父さんのところに帰ろうね、と彼はそう、自分に言ってきて。……言ってきて?
「カルロの言う通りだ。きみはさっさと帰った方がいい。魔力もない人間がいるべき場所じゃない」
この人は、誰だろう。
ナギだ。ナギ以外いない。こんなに綺麗な真っ赤な髪の人なんてしらない。ずっとずっと会いたかったその人が目の前にいるのに、全然うれしくない。ナギのセリフが、よく聞こえなかった。
だから気にせず、「ひ、久しぶりだね、ナギ」と声を裏返しながらカノンは呟いた。彼に話しかけたはずなのに、緊張しすぎて小鳥がさえずるような小さな声になってしまったのだ。カノンは口元をこわばらせながら、ゆっくりと笑った。
ナギは眉をひそめた。
まるで、お前は誰だ? なれなれしいな。そんな風に言っているみたいだった。
ガラガラといろんなものが崩れていく音がする。うそ、ナギ、うそ。覚えてない? 私、カノンだよ。カノン。ヴィオラ村で一緒に育った、カノン。一緒に遊んで、いろんなことしたよね。私たちの義弟、おっきくなったんだよ。ナギに会うのを楽しみにしてるんだ。義父さんも、ナギにすごく会いたがってる。口ではいわないけれど、さみしがってて、それで、ねぇ、ナギ?
言葉を発することが怖い。私はカノンだよ、そう言って、彼がまた眉をひそめたらどうしよう。どうすることもできない。がくがくと胃が震えた。気づけば隣にいたカルロの服の裾を握りしめていた。ナギが、ふう、とため息をついて首を振る。
「何度も言うが。魔力もない人間がいるべき場所じゃないんだよ、ここは。さっさと帰ってくれ。目障りだ」
それだけだった。ナギがカノンに投げかけたセリフはそれだけだった。
「おい、てめ、ナギ!」
カルロが叫ぶ。やめて、と彼の裾をつかんだのに、聞いてくれない。「ナギ、こいつ、お前のこと探してここまで来たんだぞ。おい、なんだその態度」やめて。やめて。耳をふさぎたい。「名前くらい知っているだろ、こいつの名前は――――」 やめて
「カノンだ!!」
ナギは振り返らなかった。そのまますたすたと背中を向けて闇の中に消えていった。ぼろりと涙がこぼれた。自分でもびっくりするくらい唐突だったのだ。慌ててカルロから手を放し、両手をこする。ぬぐってもぬぐっても、視界がレンズ越しのようにゆがんでいて気持ち悪い。次第に喉も苦しくなって声を出してしまいそうなところを、ぐっと唾を飲み込んで我慢した。けれどもやっぱりダメで、ひくり、ひくり、としゃっくりみたいな声が口から洩れる。ぎゅうっと口元を押さえた。
カルロが背中を撫でてくれていた。彼はおどおどとしながら、優しくカノンの背中を撫で続けた。ありがとう、と思うことよりも、やめてほしい、と思う。涙が止まらなくなるからだ。何度もやめてくれと首を振ったのに、カルロは聞いてくれなかった。真剣な目つきをして、まるで昔のナギみたいにカノンの頭を撫でた。だから、やめてって。
カノンは気づいたらカルロの胸に泣きついていた。自分よりもほんの少し背が高いだけの彼は、カノンよりも肩幅が大きく、手のひらも大きかった。男の子なのだな、とぼんやりした思考の中で考えた。
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