第13話


「カノン。お前をカラーシンガー見習いと認める」


 ……気の所為だろうか。今、とっても聞き捨てならない単語が、カラーシンガーの後ろにくっついていた気がした。カノンはめがしらを押さえて、「え?」と聞き返す。老齢の男性はカノンの疑問を無視し、「それでは今日から、上級色音使いと共に訓練に励め。勅命は以上だ」ちょっと、勅命って。


 つまりそれは、帝王からの直接の指示ということになる。カラーシンガーは帝王直属の部下として扱われる。だったらそれも不思議ではないけれど、どうにもざっくばらんな対応な気がした。というか、気の所為じゃなくて、多分そう。これは、もしかしなくとも。



 ***


「……この間のことを、なかったことにされる感じですかね?」

「まあ多分そうだろうなぁ」

「自分が許可した手前、やっぱなし、とは堂々と言い辛い。だったら見習いってことにしておいて、みんなが忘れ去る辺りでぶちっと首切りって感じだろうな」

「……ですよねー」


 エイッオー。エイッオー。エイッオー。

 アウサーとイーバムと共に、カノンは黙々とダッシュする。上級色音使いと共に訓練に励めということは、これから彼らと毎日を共にするということだ。ムキムキに挟まれると、なんだか肩身が狭くなる思いだ。


 もちろん、彼ら以外の上級色音使いも十人ほどいるのだけれど、なんとなく避けられてしまい、カノンがぼんやり孤立していたところを、アウサー達が声をかけたという流れだ。バリューは中級色音使いであるため、訓練場は別である。「約束違反のズルじゃないですかって主張できると思います?」エイッオー。エイッオー。


「無理だろうな」とイーバムは首を振る。どうやら彼はアウサーよりも頭が回るらしく、息も乱さず話した。


「そもそも、カラーシンガーの昇格試験での合格者はゼロだ。前例がないことなんだから、初めからこういう形にしようと決めてたんですよ、なんて言われたら口を閉ざすしかない」


なるほど、とカノンとアウサーはうんうんと頷く。アウサーは眉をひそめて、「それにしても卑怯だぜ。そういうのは好かねえな、姉御」

「そうですね……って姉御って誰のことですか」

「姉御は姉御に決まってるだろうよ!」


 グッと親指を立てるアウサーを見て、カノンは目の前がくらりとなった。


「諦めろ。アウサーは脳味噌が筋肉な分、思考が単純に出来てるんだ。自分よりも強い人間には絶対服従だという野生動物のようなきらいがある」

「ど、どんな……」


 野生動物って。アウサーの方も、自分自身認めていることなのか、イーバムの言葉に怒ることもなく、寧ろどこか照れ臭そうに頬をかいていた。今どこに照れる要素があったんだ。


(……まあ何にせよ、彼らには感謝してもしきれないなぁ)


 チケットを譲ってくれたアウサーに、自分がアウサーではないと分かりつつも勝負に挑んでくれたイーバム。もし彼らに御咎めがあったらどうしようと戦々恐々していたが、幸い特に何もないようで、イーバム曰く、「カノンが勝ってしまったもんだから、下手にいちゃもんをつけることもできないんだろ」ということだった。


 あれからカノンは上級色音使いを表す竜の紋章をかたどったバッジをもらい、クルーセルの宿からも引き上げ、色音使いの宿舎に泊ることになった。クルーセルは試合の結果を聞くとひどく驚いていたものの、とても喜んでくれた。そして。「他のお客様には秘密ですよ」と細い指先をちょんと口元に乗せて、豪勢な晩ごはんを作ってくれた。


 個室まで貰ってしまった上に、三食ご飯付き。たとえ見習いとは言えど中々豪勢な扱いだ。まあ、上級と中級の色音使いの全員は同じ宿舎で個室を貰っているんだけど。現在彼らが走っているのは、宿舎を含め、長い鉄柵で囲まれた訓練場だ。道々に木々が植えられていて、奇妙な建物がそこいらに立っている。


 集まりすぎた木々が、一つの森のようになってしまった場所を、ふとアウサーが指をさした。こんもりとした木の天井部分から突き出した茶色いレンガの建物が建っている。


「姉御、あそこがカラーシンガーの宿舎だ」


 とりあえず、姉御はスルーすることにした。


「へえ……結構、離れているんですね」

「まあ、カラーシンガーの奴らは俺達にも滅多に姿を現さないからな」


 頷き言葉を乗せるイーバム。

 遠い――――のだろうか? 少なくとも、この街に来て、門の前でほっぽり出されたあのときよりも、たぶん、絶対、近づいてる。


 ぶいーん、と激しい音をまき散らしながら、色音機付自転車で通り過ぎる。黒と薄い青のストライプだ。おそらく二人の色音使いが色音を重ねがけしたのだろう。田舎では見かけなかったが、首都ではときどき見かけるキカイだ。色音使いが手ずから作った道具のことを、キカイと呼ぶ。拡声器もキカイだ。素早く移動ができ便利だが、なにぶん一つ一つ手作業で作っているものなので需要と生産が追い付かず、目玉が飛び出るほど高価なものらしい。


 そんなセレブな乗り物、色音機付自転車に乗った、上級色音使い担当教諭の中年の男は、「お前らくっちゃべってないで真面目に走れ!」と喉から声をからして叫んだ。カノン達は、はーい、という返事とともにスピードを上げた。


 さて、いったいカラーシンガー見習いとは、上級色音使いの訓練とは、如何なるものなのか。カノンはがっくり期待外れのような気持ちになりつつ、やっぱり少しだけ期待して訓練に励んだ。


「スクワット五百回! はいいーちにーい!」

「いーちにーい!」

「声がちいさーい、もう五百追加だァ! お次は千本ダッシュ! それが終われば――――」


「…………このままじゃムキムキになっちゃいますよ!」

「いいじゃないか姉御。女は多少筋肉がついてる方がいい」


 いや、アウサーの趣味はどうでもいいから。とカノンは声をのみこみ、足元をふらつかせながら他の上級色音使いの後ろにくっついていく。さすがにアウサーとイーバムは慣れたもので、しゃんと足腰を絶たせている。自分もなかなか鍛えている方だと思っていたが、さすがに持久力では負ける。自身の足に引っかかって、カノンはずべっとこけた。けれども間一髪のところでイーバムがカノンの脇を拾い上げた。


「……ありがとうございます」

「どういたしまして」


 へたへたになりながら、カノンは食堂に向かった。正直、今胃の中に何かを入れてしまえば、そのまま同じ場所から出してしまいそうだったのだけれど、食べなければ強くなれないことは分かっている。だから無理にでも口に詰め込む。それに、出されたご飯を思いっきり食べないと、もったいないし。これが一番本音だし。


「……なんだか、想像と……ぜんぜん、ちがいます、ね」


 カノンは自身の息を落ち着かせながら、最後にげほっと咳き込んだ。そんな様子を見て、アウサーはほんの少しだけ心配げに、イーバムはげらげらと笑っている。宿舎の中に入り、廊下を歩きながらイーバムは「そりゃあ残念だったな」と面白げに言った。


「なんてったって、上級の色音使いが、特級のカラーシンガーに勝つ方法は自身の肉体しかありえないからな」

「え?」

「だってそうだろう。魔力の量と質は生まれたときから決まっている。それはいくら訓練したところで変わらん。だったら次に伸ばせるものは、己の肉体のみだ。カラーシンガーのやつらはそこらへんに無頓着だからな。努力ってものを知らないやつの方が多い。その足をすくってやるまでさ。……強者であること。それがただ一つ、カラーシンガーの条件だ」


 なるほど、確かに理にかなっていると言えば、そうかもしれない。けれどもほんの少しだけ頷きがたいような気持ちにもなった。魔力はいくら努力しても無駄だから、捨て置くというのだろうか。色音使いであるというのに、それをほっぽりだしてしまうのか。


 カノンが難しい顔をしている隣で、アウサーがじろっとイーバムをにらんだ。イーバムは「ホントのことだぞ?」と片方の眉を口の端をくいっとあげる。


「お前は他人をいじるのが趣味なやつだからな。姉御、イーバムがいうことはただの極論だ。今日がたまたま肉体訓練しかなかっただけで、別の日にはきちんと魔力の訓練もあるんだぞ」

「え?」


 そうなの? とイーバムを見上げると、彼は「ばれたか」と悪びれもなく肩をすくめて、ぺろりと舌を出した。なんだかわかりづらい性格なやつだなぁ、とカノンはため息をついて、苦笑した。





 食堂は上級色音専用となっている。その他別の塔に中級専用、そして初級と初心は合同。人数の比率で言えば、ランクが上がるごとに少なくなるのだから、あまり効率的な組み合わせとは言えないけれども、食堂と言っても、運ばれてきた食事を食べるためだけの部屋で、調理場は別にあるようだった。カノンはくんくんと匂いをかぎ、食欲を掻き立てる匂いに、先ほどまで呻いていたのが嘘みたいにしゃんとして、わーっと部屋に入った。

 もちろんアウサーとイーバムも、うおおおー、と、うわーい、と突撃する。ご飯はおいしくって楽しいもので、食べれば食べるほど強くなれる。


 他の上級色音使いはすでに席につき、もくもくとフォークとナイフを動かしていた。みんな筋肉質なので、一つの場所に集まって座っていると少々暑苦しいというか、目に悪い光景だ。なんでこんなただっぴろい部屋なのに、一か所に集まっているのだろうとみてみると、机の上にネームプレートが張られている。その場所に座っているのだろう。


 アウサーたちは自身の席に着き、さあ自分の場所は、とカノンは机の上を見回した。食事を食べるのは今日で初日だ。ちらりと他の人間の食事を見てみると、レーズン、シュガー、ゴマにピーナッツ。


 ちらりと見ただけで、パンだけでずいぶん多くの種類が皿の上に乗っかっている。実家がパン屋だから、いつも一番に気になってしまうが、もちろんそれだけで終わりではない。食べるのが怖くなりそうな高価な皿の中には大きな葉に包まれた肉汁がしたたり、この香ばしい匂いは味噌を塗り付けているんだろう。別の皿には鴨の肉がチーズと一緒にくるりとまかれたものがのっかり、ゼリーのような黄色いスープがぷるぷると震えている。


 ぎゅーっと胃が音を立てたような気がする。カノンは一つ一つの席を見て回り、ネームプレートを確認する。

『カノン』

やっと見つけた、と思った場所は、彼らの一番後ろの席だった。新参者なので、それは別にいいとして、あれ、おかしいな? とカノンは首をかしげた。

 カノンと書かれた席の上には、何も乗っていなかったのだ。


「あの……」


 カノンは思わず顔をあげて声をだした。こっちを見たのは、アウサーとイーバムの二人だけだった。「あの!」カノンがもう一度強く声を出すと、ようやく他の色音使いたちものろのろと顔を上げた。大半の人間がめんどくさそうにちらりと瞳を向けた程度だったが。


「あの、私のご飯がないんですが、何か知りませんか?」


 言った後で、そんなことを彼らに聞いても仕方がないな、と気づいたのだけれど、一人の色音使いが(やっぱりこの人もムキムキだった)「あるじゃないか」とめんどくさそうにカノンに向けて指をさす。カノンは少しだけ首をひねった後振り返った。部屋は上級色使いの人数に比べて広いので、カノンの後ろにも、ずっと机が並んでいる。


 壁際の席の上にお盆が置かれていた。

 近づいてみると、間違いなく食事が乗っていた。けれども先ほど見た彼らのものとはくらべものにならないくらいの質素なものというか。なんでだろう。カノンが瞬きを繰り返していると、「見習い殿の魔力は初級レベルなんだろォ? だったら食うもんも初級でいいじゃないかね! 誰かが気を利かせて変えてくれたんだろうよォ」と、独り言のように吐き捨てた大きな声がカノンの耳に響いた。


 その言葉を聞いて、やっと意味を理解した。これが初級色使いの食事なのだろう。しかしご飯をまるごと変えてしまうなど、どうやって首を傾げたとき、「てめぇ」と素早くアウサーが叫んだ。


 勢いよく立ち上がり、先ほどカノンに向かって言葉を吐き捨てた男に、指を突きさして「お前だクルックン。転送の色音を使えるのはお前だけだしな。こういう意地の悪いことすっから女にもてねーんだよお前は。マリーマリーって言い寄ってるくせに、まるで相手されてないんだろ?」


 クルックンと呼ばれた、髪の毛が薄く紫がかったメガネの男が、カッと顔を赤くした。周りの、胸まで筋肉に変わってしまった女性たちは、男ったらめんどくさいねぇ、というような顔で首をふり食事に集中し始める。クルックンは「マリーは関係ないだろ! 僕はマリーのファンなだけだ! 濡れ衣だよ濡れ衣!」鼻息を荒くした。


 アウサーはどうやら腹に据えかねたらしく、「濡れ衣もクソもあるか!」と足を踏み出そうとした。けれどもカノンは、「アウサー」と対して大きな声を出すでもなく、一喝する。


「その人の言うとおり、私はこれで十分だよ。いただきます」


 そういって、手のひらを合わせ、頭を下げた。マリーが育った村、ヴィオラ村の風習だ。

 アウサーは眉を寄せ、軽く舌打ちをした後、自身の席に戻り、食事の盆を持ってカノンの隣の席にガツンと腰を据える。それをマネたように、イーバムもアウサーの反対側へ。紫がかった髪の男は、それを見て不服そうに声を出した。


「お、おい。そういうなめた態度をとってると、カラーシンガーになれないぞ。ちゃんと自分の席で食えよ。国は従順な色音使いの方がいいんだぜ」


 アウサーは鼻で笑った。「姉御の例を見てみろよ。そんなの関係ねぇさ」そして思いっきり言い切った。一方イーバムはすでに口の中にフォークをくわえこみ、「俺は強くなりたいだけだしな。カラーシンガーとか、どうでもいい」クルックンはぽかんと口をあけた後、唇をかみしめて、自分の食事に戻った。


 カノンは驚いた顔をしたまま、左右の彼らを見た。アウサーは相変わらず鼻息を荒くしていて、イーバムは涼しい顔をしている。


 何かを言おうと息を吸い込んだけど、ここで何をいうのも無粋な気がした。なのでカノンはもう一度食事の前に手を合わせ、いただきます、と頭を下げた。


 別に、自分にはこれで十分だというのは強がりではない。この食事も、カノンにとっては十分豪勢なものだ。ほんのちょっぴり残念な気もしたけれど、彼女はぶどうパンを手でつかみ、ぱくりと口にいれた。「……おひしい」もごり。

 隣のアウサーとイーバムが、かすかに笑った。

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