第11話
カノンは真っ青を通り越して青白い顔のまま体育座を続けた。すすすっと自分の顔の側面に手のひらを移動し、アウサーと同じく、鋼のような筋肉を持つ男、イーバムが自分の存在を無視してくれないだろうか、と切実に祈った。始まる前から終わるなんてありえなさすぎる。大丈夫、きっと自分の顔なんて、彼はすっかり忘れているさ。声をかけてきたのは、なんだか体調が悪そうに座りこんでいる自分が気になっただけ。そう、そうにきまっている。
「ああ、お前。確かあれだな、宿で会った」
「……え? すみませんちょっと覚えてないです、どちら様でしょうか」
人違いだと思いますよ。人違いに違いありませんよ。人違いですって! 激しく主張をするように、カノンはぶるぶると首を振る。イーバムは気にすることなくカノンの横によっこらしょと座りこんだ。
「なんだよ思えてないのか? イーバム……ああ、名前は名乗ってなかったか?」
「いや、ホント知らないんで。もうホントに、力の限り」
「そんな端っこに座ってないでこっちを見てみろよ、ほらほら、アン? っていうか何でこんなところにいるんだ? お前上級の色音使いじゃ」
「空気を、お願いそろそろ空気を読んで!!」
そろそろ周りの視線もカノン達に集まり始めている。やっぱりあいつ、見たことないよな……? 誰だっけ……? 絶対おかしいって……! なんてこしょこしょ話まで聞こえてきた。耐えられない。カノンはがくりと首を垂らす。逃げなければ、今すぐこの場を逃げなければ。
「休憩時間は終了です。次は決勝になりまーす、アウサーさん、おられますかー?」
その声は天の助けだった。開いたドアから聞こえた声に、「はいはいはい、アウサーここにいます、はいはい!」とカノンは力の限り叫んだ。そしてドアの向こう側に滑り込むように逃げた。案内役の係員は「そんなに主張しなくてもわかりますから」と冷たい言葉を発したが、今のカノンにとって彼は天使だった。さながら後光が見える。
両手を合わせながらキラキラ目を輝かせ、何故だか自身を拝み始めたカノンをスルーし、係員は手に持ったボードに目を落とした。
「えーと、対戦相手は……イーバムさんでしたよね。いらっしゃられるのなら、挙手を」
はーい、と太い腕がにゅっと伸びる。
のったりのったり余裕を持ちながら、彼はカノンに近づき係員に告げる。「イーバムだ」「確認しました。それじゃあ会場にご案内します」係員はそそくさとイーバム達の前を歩いた。
「……ふうん、お前が、アウサーねぇ……」
イーバムは係員の後ろにつきながら、野太い指で顎をさすった。カノンはごきゅりと唾を飲み込み、イーバムの隣に並ぶ。
「まあ、いいけどな。俺ももう一回、あんたとやり合ってみたかったんだ。いい機会だ。お手柔らかに頼むぜ」
イーバムは大きな手のひらで、ばしんとカノンの背中を叩いた。カノンは勢いづいてそのまま一、二歩前に進んで、驚いたようにイーバムを見つめる。イーバムは太い眉をちょいと上げた。
「何不思議そうな顔してんだ。いいか、強い奴が、色音使いなんだよ。戦いが全部を決めて、それがルールだ。……シンプルで素敵な理屈だろ?」
そう言って、ニカッと笑った。カノンもつられたように笑い、お互いパンと手を合わせると、案内人の男が「さっさと準備してくださいよ」と困った声を出した。
空気が熱い。声援が頬を焼く。カノンは一つ息をついた。それだけで肺の中身が火傷をしてしまいそうだ。多くの観客たちに見守られ、白いタイルの上をこつこつと音を立てて歩いていく。隣にはイーバム。巨漢の彼とカノンが並ぶと、カノンの姿はすっと影の中に隠れてしまう。おかげでカノンの視界の大半を埋めるものはイーバムの体で、周りの観客を見があまり見えないので、ちょっと安心した。
イーバムはそんなカノンに気付いたのか、妙な奴だな、と言う風に視線を向けて、今度は観客に向け、高揚した頬をべちん、べちん、と勢いよく叩く。
「うおおおおー!」と力強く吠えた。観客も、彼に呼応するように吠えた。カノンは一瞬委縮してしまったものの、負けるもんかと吠えてみた。
「う、うおおおおー!」
カノンを真似するように、観客が「う、うおおおおー!」と似たような声を出す。一瞬どっと沸き上がり、ゲラゲラと観客は笑った。カノンの緊張も、一緒にどこかいってしまった。よかった。
丸い試合場の中心でカノンとイーバムは向かい合う。審判の男が、手元の資料を読み、叫んだ。
「――――お待ちかねの最終決戦となりました! 念のため、ルールの確認をさせていただきます! 相手にまいったと言わせた方の勝ちという単純ルール! ぶっちゃけ私の存在はあんまり意味がありません! もちろん気絶させてもオウケイ、ステージの上からたたき落としてもオウケイ! そうなれば試合は終了です! 色音はもちろん、全ての武器の使用は許可されます! 派手にやっちゃってください! 白の色音使い、剛腕のアウサーVS茶の色音使い、岩男イーバム! はてさてどちらに勝利の女神は微笑むのか!? 去年優勝者のアウサーは、見事な力技で優勝をもぎ取り、カラーシンガーの昇格試験のチケットを手に入れました。さて、今年は一体どれほど成長を遂げているのか……いるのか? え、あれ?」
視界の男が、オレンジ色の拡声器を片手に、「あれぇ?」とカノンを見て首を傾げる。もう一度資料を確認して、「剛腕……? 男……?」とぽそりと呟く。そんな声でさえも、色音でつくられた機械は拾い上げ、瞬く間に会場の中に不穏の空気を流してしまう。
けれどもイーバムは、そんなことは知らないとばかりにカノンに襲いかかった。審判は慌てて、「試合開始!」と大声で叫び、やはり困ったような顔をして本部席に逃げ帰る。資料に書いてあるアウサーの顔と、自分があまりにも違っていたからだろう。ばれるのは時間の問題だ。けれども、手遅れだ。こっちだって、もう迷っていられない。
イーバムは懐の中から、カノンの拳ほどのある石をこちらへと投げつけた。恐ろしいスピードで彼女の顔面のすぐそばを通り抜ける。もとより当てるつもりはなかったのだろう。ただの牽制だったに違いない。こちらもそれを承知の上で、体を低く保ちながら一気に彼に懐に飛び込む。「ダァ!」気合を一声。けれども刀を使うことなく、ただの左拳で彼の鳩尾を狙う。こんなこと、筋肉で包まれた彼の体には、まったく意味のない行為だった。ただカノンは挑発したのだ。
さっさと本番、しませんか。
イーバムもカノンの言葉の意味を理解したのか、今度は先ほどよりも大きな石を取り出し。ガチンッと石同士を叩き合わせる。「これは――――茶の音!」一度見た色音は、大抵頭の中に残っている。彼の色音は土を操る。
カノンは即座に体を横にずらした。その瞬間、試合のラインである白いタイルの外に詰められた土達がもりあがり、先ほどまでカノンがいた場所に、土砂が降り注ぐ。それで終わりではない。土砂は重力ではありえない動きで毬のように跳ね上がり、カノンの後を追った。彼女は手のひらに魔力を練り上げ、刀を包み込む。
――――一閃
彼女は土を切り裂いた。
魔力の根っこの部分を断ち切られた土は、ただの土くれに変わってしまい、ばさばさと白いタイルに積って行く。会場の客たちは、何が起こったのか理解ができないと言った風に瞬きを繰り返していた。
(今だ!)
カノンは勢いづいたまま、イーバムに飛び込んだ。「茶の音、茶の音、茶の音!」イーバムが繰り返し使う色音、全てを叩き切る。いける。息を吸い込んで体のリズムを合わせる。イーバムは図体がでかい。けれどもその分、自分のように小回りが利かない。まっすぐに突っ込む。力の限り突っ込む! 彼女がジクザクに彼に進み、彼が気づいた瞬間はもう遅い。彼の膝を土台にして、カノンは飛びあがった。刀をきらめかせ、イーバムの懐を切り裂き、中からぼろぼろと大小の石がこぼれ落ち、タイルを打つ。
流れるような動きで、カノンは刀の切っ先をイーバムの顎下にくっつけた。
「もちろんこれは――」
わざとらしく言葉をとぎって、カノンは口元を釣り上げる。
「色音だけではなく、人間も器用に切ってみせますよ」
イーバムは表情をどこぞに落っことした顔でカノンを見つめ、ほんのしばらくの間の後、ふきだした。そして両手をひらひらと上げ、「負けだ。俺の負け。そいつをどけてくれ」
カノンは彼の顎から刀をどけた。ほっと一息ついた瞬間、イーバムはカノンの手のひらをさらって、がっちりと固い握手をした。カノンは一瞬瞳を大きく見開いたが、同じく彼に合わせるように、熱い握手を交わす。ぎゅっと握ったイーバムの手のひらは硬く、アウサーの手のひらと似たような体温をしていた。
わっと破裂したような歓声が、カノンの頬をひっぱたいた。驚いた。見物人は立ち上がり、「今、何をしたんだ!?」「色音を無効化したのか!」「そんな馬鹿な!」
先ほどまでの堂々としていた気分はどこへやら。カノンはイーバムの影に小さくなって消えてしまいたくなった。自分は田舎育ちの、田舎娘なのだ。あんまり過度の視線は注がないで頂きたい。緊張して心臓が止まってしまったらどうする。「お前の勝ちなんだから、そんなに小さくなってどうするんだ」そんなカノンを見て、イーバムは苦笑いをした。
「その勝負、ちょっと待ったー!」
先ほど本部に戻り、確認をしていた審判役が、両手でバツを作りながら駆け出してくる。カノンは体を硬くした。おそらく、ばれたのだろう。
「こんなもん中止だ! ほら降りろ、後で軍からの取り調べがあるからな、国家行事にもぐりこむなんて大した悪党だよ! 覚悟しておけ!」
審判はギッと犬歯をむき出しにした。
(ど、どうしよう)
青年はカノンの腕をぐいぐいとひっぱる。
「ちょ、ちょっと、待っ、待っ」
カノンは同じ台詞を繰り返すことしかできない。彼を今すぐこの場で叩きのめすことはとても簡単だ。けれどもそんな行為に走っても構わないのだろうか。実力行使の暴力行為を、堂々と行うべきなのか。カノンは迷って、迷って、迷って、結局舞台の上で固まっているだけだった。
そんなカノンと審判の手を、のっそりとやってきたイーバムがぶちりとひきちぎった。何事だと、審判はイーバムを見上げた後、ぶるぶると頭を横に振って、「本部に確認を取って来た。不正にエントリーしたものの勝負は無効だ。よって、イーバム。お前が今大会の優勝、そしてカラーシンガーへの挑戦チケットを――」
そこまで言った後、彼一人に宣言してもしょうがない、と判断したのか、片手に持っていた拡声器を取り出し、同じことを繰り返そうとしたが、結局そのオレンジ色の拡声器もイーバムの手でもぎ取られた。彼は静かに、「拒否する」と審判を見下ろした。
山のように大きな男に見下ろされたのだ。審判はへたへた及び腰で一歩下がる。ちょっとだけカノンは彼に同情しそうになった。あれは怖いに違いない。イーバムは手に持った拡声器を使い、見物客に呼び掛ける。
「ちょっと話を聞いてくれ。お気付きだろうが、ここにいる彼は、アウサーではない!」
「イーバム、私、女なんだけど……」
「ん? すまん。言いなおす。ここにいる少女はアウサーではない。名前は――」
なんだっけ。とこっちを見ている彼に、「カノン」と言った。なんだかしまらない。
「そう、カノン! もちろん上級色音使いではないことは確かだ。けれども、俺を倒した。今まさに、お前らはその決定的な瞬間を見ていた。違うか、俺は間違っているか!?」
観客たちは、しんとしてイーバムを見つめる。
「これは不正行為だ。しかし強さこそ色音使いの全て。結果こそ全てだ!」
審判の男が、イーバムから拡声器を奪い取ろうとする。イーバムはうるさい小蠅だ、と言う程度にばたばた手を振った。そのうち、今度は兵士が流れ込んできた。
チッとイーバムは舌打ちをして、拡声器をタイルの上に投げつける。審判が手を伸ばそうとしたときに、彼は足で拡声器を踏みつぶし、ぐちゃぐちゃに壊した。審判が、声にならない悲鳴を上げた。
彼は男らしい喉を震わせながら、手のひらを大きく仰ぎ、「聞け!」と叫ぶ。兵士たちも下手に手出しができないというように、じりじりと彼の周りを包囲した。
「上級ではない色音使いが、俺を倒した! こんなことありえない! けれども事実だ! 彼女はちょっとした奇跡だ! さて、そんな奇跡を、もうちょっと見てみたいと思わないか! 俺は見てみたい、彼女がカラーシンガーと戦う姿を、見てみたい! 今まで誰も、上級の色音使いが成し遂げなかった偉業を、彼女が成し遂げるかもしれない!」
――――見たい!
誰かが叫んだ。
――――見たい!
それに答えるように、また誰かが。
――――見たい! 見たい!
「叫べ! 賛同の意をしめせ! お前らの声は、きっと届く!」
見たい! 見たい! 見たい! 見たい! 見たい! 見たい!
観客は一体となって叫んでいた。イーバムを見ると、彼はにまりと口元をあげて、周りの兵士たちを余裕たっぷりに見つめ直す。
「だ、そうだが? 今ここで俺達をひっぱりだしたら、観客はどう思う。昇級試験はただの娯楽じゃない。金をかけてる奴も多いはずだしな。こんな中途半端な形で終了となったら、それこそ暴動が起きるんじゃないか?」
なるほど、とカノンは頷いた。見たいと叫ぶ彼らの声は続いている。耳が興奮で熱くなる。イーバムは、カノンにちらりと目を向ける。カノンは頷いた。イーバムの影から飛び出し、手のひらを強く天に向け、それを拳の形にかえる。黒い空に向かって、挑むようなポーズをとる。カラーシンガーの誓いのポーズだ。そんなこと、この国に生きるものなら誰でも知っている。
ワッと割れるような叫びが上がった。胸が熱い。どくどくと高鳴る。頭がくらくらする。
――――許可する。
カノンの頭に冷水をぶっかけたように覚ました声は、あの大きくもないくせに、不自然に人々の間に響く声だった。一体どこからやってきたのか、ふらふらとカノン達は視線を動かした。ふと、兵士たちが一点を見つめている。その視線を沿うと、聴衆がひしめく中、唯一ぽかりと開いている空間が目についた。カノンは両目を細め、その中心に座る、豆粒のような人間達を見た。二つの大きな椅子が並んでいるようで、日差しを覆うように、その隣には大きな傘を持つ複数人の人間が見える。その中に、オレンジの色音がふわりと舞った。声の主は、あそこだ。
――――皇帝の名に置いて、許可しよう。存分に楽しめ。
兵士たちが、そろって皇帝に膝をつき、頭を下げた。
あれが、この国を治める主。おそらく、隣に座る人間は王妃だろう。カラーシンガーを保護し、彼らを直属の部下としている人間。間接的に、ナギを首都に連れて行った人。
イーバムも、頭をたれていた。カノンはただ、彼らを見つめていた。
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